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「消しゴム版画は棟方志功の再来、シニカルなテレビ批評は太宰治のデカダンス」とは今、ナンシー関を紹介するために勝手に作った説明だが、まあそれは別としてナンシー関が急逝して早10年が過ぎようとしている。
急逝後、彼女の書いた文章の殆どが網羅され書籍化されたわけだが、此処へ来て新たに未書籍化のエッセイをまとめたものが本書だ。全く新たに発見された文章なのか、それとも意図的に書籍化の対象から外されていたのかは良く判らないものだが、内容的にも結構発散しているし、場末的な雑誌(失礼!)に発表されたものが多いことから後者のような気もする。
少なくともナンシー関の「名エッセイ」の一つとはとても名乗れる代物ではないのだが、逆に、ナンシー関が青森発見されたという謎の「おでん・ジュース」を調査するという超貴重なエッセイが読めることに喜ぶべきだろう。
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世界文化社のSさんにいただいた。
没後10年ってことで、流石に、今となっては古い固有名詞が結構沢山出てくるんだけど、上手く『注』でカバーしてあるので、問題なく読めたかな。
今となっては廃刊になった雑誌の名前も、私には面白かった。
とは言え、コラム自体の切り口なんかは、いまでも全く褪せることなく、『流石はナンシー』と思うこと必至。
私は本屋さんだからかな?
『マガジンチェック』
が好きだなぁ。
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今年で没後10年のナンシー関の未収録原稿を集めた1冊。彼女が亡くなったときは衝撃でした…。
ナンシー関といえば、テレビ番組や有名人についてのコラムが印象的ですが、この本には雑誌やジュースなどについてのコラムも収録されていてとてもおもしろいです。また当然のことながらかなり昔に書かれたコラムなので、今と比較して読むのも楽しいです。
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未収録作品ということで、ややマイナーなエッセイが多い。
んでも、カルピスウォーターの考察なんかがうれしい。
ナンシーさんのファンなら、この事件をナンシーさんに書いてもらいたいってことがよくあるはず。塩谷 瞬とか、ミッツマングローブとか、嵐の人気についてとか。
誰か二代目になるような人、いないかなあ。
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好きで良く読む作家の方々の本からチカッ、チカッとこぼれる名前があった。
「ナンシー関…」
確か、消しゴム版画家さんだよね。
著書は読んだ事なかったな~
確か、すでに亡くなった方だと思って…
いたのだが、なんと図書館の新書コーナーにてこの方の本を発見。
亡くなって尚、本が出版されるって、きっとすごい人なんだ!
と、手にする機会が出来た事を幸運に思いつつ記念すべき
ナンシー関本を初読み。
して、その内容は、と言えば。
世に流通する『あらゆる』に優しくも厳しく突っ込む、まるで子供の全てを見通している母のごとき眼力をそこに見たような気がした。
今回は
TV番組、雑誌、コンビニジュースが標的になっていたが、
私達が
(面白いなぁ)と、思えば笑って眺め、
(つまらないな)と感じれば、スイッチを消す。
うまけりゃ飲む、
まずけりゃ捨てる。
気になれば読む、
興味なければスルー
されるだけの、どこにも留まらないもの達をひとつひとつ捉えては
良くも悪くもじっくりと向き合う。
カコン、と机の上に置いたジュースをじっ…と、睨みつつ
そっ…と目を閉じたその思考の内側の実に深い事と言ったら!
洞察力、観察力、先見力、共に鋭く、
10年以上前に書かれたコラムなのに、
今とのズレをあまり感じなかった。
先を歩いていたナンシー関に、
やっと時代が追いついた、と言う所であろうか。
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「ナンシー関がタレントの流行り廃りを考える」
物事の本質を見抜く、鋭い視点と愛のある毒舌が魅力だった故ナンシー関さん。その彼女が「タレントの流行(はや)り廃(すた)り」について語ると、こんな話に――。
* * *
テレビに出ているタレントは、文字通り流行り廃りに運命を委ねきっている。それでまたこの流行り廃りというもののメカニズムがわからないから厄介だ。
ただひとつ言えるのは、何を流行らせるか何を廃らせるかは、すべてテレビを見ている人=世間のちょっとした気持ちでしかないということだ。気まぐれな世間の胸三寸に、自らの存亡に関する言ってみれば決定権まで預けてしまっているのだから、テレビタレントというのもやくざな稼業である。
流行り廃りのメカニズムなんてのは解明できないに決まっているが、世間の気まぐれというものには、気まぐれと言いながらも多少のパターンがあるような気がする。たとえば、確認が事態を進行させるということである。
「流行る」という現象を考える場合、そのブームがどんどん広がるということは、それが「流行っている」ことを確認した人間の数が増えていくということだと思う。するとそこに、もともと「流行っているもの」がないのに、「へえ、○○って流行ってんだ」という確認だけを取るズルが生じる。
この情報社会でもこんな手を使うバカはいないだろうと思いきや、ちょっと形を変えただけで、原理は同じという作戦はまだまだ多く使われている。
たとえば「映画『タスマニア物語』(1990年公開)いよいよ公開! 観客殺到!!」というニュースをあたかも他のニュースと同等の報道価値があるかのようにして出してくる『タイム3』(1988~93年、フジテレビ放送のワイドショー。「TIME3」のこと)もそうだ。(中略)
それでは「廃り」に関してはどうなのか。よく「あきられたから」という理由づけがあるが、もうひとつ「嫌われたから」というのがあると思う。
いつのまにか消える「あきられた」型に比べて「嫌われた」型は、“今、この人は廃れつつある”ことがブームになるとでもいうか、衆人環境の中で廃れていくのだ。
本当に廃れきるかちょっと不安だが、松田聖子がそうだと思う。まだ人気があるじゃないかと思うかもしれないが、それは「廃れていく松田聖子」人気である。
~『お宝発掘! ナンシー関』(ナンシー関)より
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「ナンシー関の『軍事評論家は“バレるハゲ”を考えろ!』」
我々が彼女を失って、早10年。彼女の名は、ナンシー関。時を経てもなお、いや、時を経たからこそ、物事の本質を突く彼女の着眼点や言葉にハッとさせられてしまいます。ソーシャルメディアのある時代に生きていたならば、どんな140字をつぶやいたでしょうか。今回は『噂の真相』1991年4月号に掲載されたコラムをお届けします。
* * *
戦争(1990年、クウェートに侵攻したイラクに対し、アメリカなどが多国籍軍を編成して戦った湾岸戦争のこと。91年終結)を振り返る時、緑色に光る夜の空���や原油まみれの鳥といっしょに我々は江畑謙介さん(軍事評論家。1949~2009)を思い出す。
炭鉱で酸素不足を計るために使われたカナリヤのように、江畑さんは寝不足で日に日にやつれていく自らの姿をもって戦争の激化や長期化、深刻さを我々に伝えていたのかもしれない。と、そんな江畑さんをはじめ、今回の戦争で「はじめてテレビで見る人」が大量に露出した。あきれたのは一目でカツラとわかる人があんなにもいたかという事だ(江畑さんはもちろん自毛だ)。
カツラの最終命題は「バレない」である。バレてるカツラに存在意味はない。バレた瞬間に、人はその人のカツラ無しの状態を過剰に思い描くからだ。
もうひとつ、バレたカツラは相手にプレッシャーを与える。何の力関係もないところにいきなり「頭のことに触れてはいけない」という“立場”をつくってしまう。
平和について考える、その心のほんの片隅で「バレているカツラ」ということについてもちょっと考えてみてもらえないだろうか。
~『お宝発掘! ナンシー関』(ナンシー関)より
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ナンシー関の、まだ読んだことのない文が読める。それだけで価値がある。どのコラムの読後感も、いつものナンシー関です。それがうれしい。
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初めてちゃんと読んだナンシー関の本。
何十年も前とは思えない、今のテレビにも当てはまる内容で、唸ってしまう。
どうにもならないのに、今生きてらしたらどんなコラムを書かれるだろう、書いて欲しい、読みたいと思ってしまう。
まじまじと消しゴム版画のカットに見入りながら読みました。
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マツコを読んだ後だと、やっぱりピリッとした言葉の冴えを感じます。
ナンシー関はやはり天才だったのだと思うのです。
が。
時流って物があるのでしょうか。かつてほどには…ノリきれませんでした(涙)
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あの絶妙な辛口コメントが今聞けないのが残念です。旬な題材ではない為、面白味は半減ですが、コンビニ・ジュースは今読んでも秀逸。かなり久しぶりのナンシー関で懐かしかった。 我家では伝説の人
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大好きなナンシー関に「新刊」が出た、しかも電子書籍というので飛びついてみた。
今でもテレビドラマやバラエティで、浮いている人を見ると、「ナンシーだったらなんて言うかな」などと思うので、ものすごく楽しみにしていたのだが、やはりテレビの話題は旬でないと面白くないようで、ほとんどが10年前の話題にそんなのあったかな、とちょっと残念な感じ。
こういう斜に構えてものごとを眺めながら、しかも愛情あふれる文章を書く批評家が出てきて欲しいものである。
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初めてちゃんと読んだ。
視点の鋭さは時代を超えるんだなぁと。
コンビニ・ジュースのコラム連載がまとまめて収録されていて、面白い。
もう一冊読んでみよう。
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ナンシー関の突然の訃報は本当にショックだった。もう12年も前なのか。あの不世出の天才コラムニストが今の時代をどう書いただろうと思いを馳せたことがある人 は多いのではないかと思っている。本書は没後10年に単行本未収録原稿を集めて出版された最後のコラム集。単行本化されているものはとっくの昔に読み漁ってし まっていたからかなり久しぶりに読んだ。嗚呼。この文章芸、懐かしい。
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いやー、やっぱりナンシー関の切れ味には誰も追随できない。独自の観察眼は、今読んでも十分面白い。
10年に一度の逸材どころでなく、近代文学史に名を残す逸材では。
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鬼才とはこういう人のことを言うのだと思う。
ものごとの本質を見抜く眼力は素晴らしい。
そして、そのものごとが、実はどうでもいいことについてである、という点もまた素晴らしい。
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(目次)
テレビ1989~1997(もしや教育番組?の心配も消し飛ぶ林家ペーパーの存在
国民感情を全く理解しない『紅白』は滅んで当然だ
90年元旦、『いか天』が見せた本気モード ほか)
浮世1990~2001(週末テレビ視聴スケジュール1990年2月
「ナンシー関のネコのひたいで流行るモノ」新連載口上
週刊誌で花ざかり。「こいつだけは許せない!」の研究 ほか)
コンビニ・ジュース(桃ミルク
麦ミルク
おでんジュース ほか)
ナンシーの漢字一發!!