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大好きだったナンシーさんの最後がどんな感じだったかこれを読んで初めて知った。それにしても懐かしい彼女独特の文体は何度読んでも面白く本質をついている。彼女のあとに続く人がなかなか出てこないのは、それだけ彼女が偉大だったからか。
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ナンシーのコラムの為に週朝を立ち読みし、CREAを毎月読んでいた一読者ですら新聞で訃報を見た衝撃が大きかっただけに、冒頭の急逝直後の関係者談はリアル。激務に追われつつ、たくさんの仕事の予定を抱えていた彼女も、彼女の仲間達も無念だったに違いないとひしひしと伝わる。
彼女の消しゴム版画やコラムだけでなく、その人となり、影響力の大きさを端々から感じさせる。
本名の関直美は知っていたが、"ナンシー関"がいとうせいこうさんの名付けだとは知らなかった。
テレビに(あまり)出ない事で評する対象との距離を保った姿勢は男前。テレビに出る事で生じるバイアスをきちんと分かっていらしたのだろう。
今、テレビをつけるとナンシーに斬られた人々と番宣タレントばかり、画一化されて面白くない。
ナンシーを失い、テレビは自浄作用を失ったのではないか?と思う。
SNSでの芸能人糾弾が日常化し、タレントの引きずり下ろしが常態化した現在のテレビ界をナンシーならどう評したのだろう?
もの申す視聴者の言いなりになってしまったテレビを見ながらナンシーに思いを馳せる一冊。
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消しゴム版画家でコラムニストであった故ナンシー関の生い立ちから、デビュー、そして確立した地位を得るまでを親族や友人、業界関係者に取材して構成した評伝。
あらためてナンシーのすごさを痛感。
久しぶりに彼女の著作を本棚からひっぱり出して読みたくなった。
あと、ハワイ本を中心とするトラベルライターの山下マヌーが初期のナンシーと交流があったことが記されていて、軽い驚きを覚えた。
ナンシー亡き後もTVについてのコラムを書く人が何人も出てきたが、個人的には武田砂鉄がポストナンシーだと思う。
ところで、今は亡き日清パワーステーションでムーンライダースのコンサートを観たときに、ナンシー関を目撃したが、本書でもナンシーがムーンライダースを観にパワステに行ったことが書かれていたので、やっぱりあれはナンシーだったのだと確認できて、ちょっとうれしかった。
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読みやすくはないがおもしろかった。 名前は聞いたことあるけどよく知らないという感じだったが今更ながら興味が沸いた。 そのうち何冊か読んでみようと思う。
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没後10年、テレビがつまらなくなった理由の一つにナンシー関がいなくなったことがあるのだろうな。顧客目線を持つジャーナリズムが存在する事はどんなに耳の痛い事を言われようが大切なこと。
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体重は財産だ。◆それでいいのか。後悔はしないのか。◆自分は規格外。◆安治川親方(敷島)との交流。◆デブは、人のヤル気をそぐ言葉(マツコ)。知恵のない言葉。◆あざといのが嫌い。受け手の受け取り方を強要していることが嫌なのだ。◆絶対的な正義への反発。妊婦のことなど。
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いつも心に1人のナンシーを、というフレーズには賛成だが、ナンシー関の支持者はもともとナンシー関的な哲学、視座の持ち主なので、ナンシーが生きていたらきっとツッコミしたであろうモヤモヤを言語化するのは結構ハードタスク。