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何か、すごくじわじわくる話。
主人公の『僕』は他人と関わることがうまくできず、ひとりで東北の街に暮らし始め、その街に架空の鉄道を走らせることに熱中するの。
そのさまが延々描かれるから、この話はどう終わるのか…と思いながら、だけどその行動の詳細がおもしろくて読んでいたら、ある大きな出来事が…。
そこからの『僕』の行動や思いがまたおもしろくて…何か『僕』が愛おしくなりました。あの出来事の後の周りの人たちも私と同じ思いで『僕』を見てたんじゃないかしら…『僕』が気づいてないだけで。
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3.11の震災に絡めての話だった
最初読み始めは分からなかったから
ちょっとショックもでもあった
話的には、列車や地理の話が色濃くって
旅行好きの興味をひいた。
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若い男の人が東北のある街で架空の電車の路線を作る。
その路線を自転車で走ることに楽しみを感じる。
そうしているうちに震災が起こる。
現段階で震災を書いていいのかなというのを考えた。
きっと傷ついている人はまだまだたくさんいるし、
復興の道筋すらついているのか怪しい。
作品のよさを知ろうと思う前にそういうことを考えた。
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人とうまく接することができない僕は
東京で働くことを諦め、逃げ出すように東北へ行った。
そこを最後の地として、仕事もせずに最低限の暮らしをするなか
その土地に架空の鉄道を作ることに生きがいを感じ
一人で盛り上がり日々達成感に包まれていた矢先に起きた3.11の震災。
人々は家族や財産に尊い思い出までもを失うのにたいし、
無職で家族もたいした貯蓄もない僕が失ったものは、一体なんであろうか。
架空列車とか特殊すぎて最初読むのがとてもつらかった。
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電車の中で本を投げ捨てたくなった。こんな言葉は使いたくないが、東日本大震災の犠牲者と被災者に対して、不謹慎な小説だ。
とはいえ、作者に東日本大震災の犠牲者と被災者を冒涜する意図はもちろんないだろう。なんというか、そんなつもりはないのに不謹慎な小説になってしまった、という感じ。
主人公は、人前で顔を上げて話すことができないほど重度なコミュ障の青年。彼は社会生活をあきらめて東北の海辺の町へ引越し、親の遺産と貯蓄でとりあえず6年間生き延びることを決意した。途轍もなく退屈な生活の中で、町に架空の鉄道を走らせ、電車に見立てた自転車で毎日「運行」することに楽しみを見出すのだが、3月11日、町を大地震と津波が襲って……といったおはなし。
そもそも主人公ははじめから何も失うものなど持っておらず、津波で家が流されてもそれほど困らない。ただ架空の鉄道を運行させていた場所が壊滅したことが辛い。それだって彼の生きがいには違いなかったけれど、大切な人や家や思い出を失った人にそんなこと言えるはずがないわなぁ。
主人公は被災することで社会生活の中へ半ば強引に再編成されながらも、喪失の悲しみを誰とも共有することができない。そこで、他の被災者が失ったすべてのものも一切が架空なのだ、と、逆に自分と同レベルに持ってくる「画期的な新発想」をひらめき、社会生活に復帰するチャンスを拒んで架空列車の世界へと引きこもっていく。こういうところは、文学として面白い、のかもしれない。
けれど、描写が足りないせいなのか、架空列車を得た喜びと失った悲しみがそれほど伝わって来ず、おまえの妄想と人間の命を一緒にするなよ、と言いたくなるし、「家族を失った。今は、家族はない。津波で流され、まだ骨さえ見つからない。そんな家族は架空だ。はじめから、そんなものはまぼろしだったのだ。」なんて文章を読むと、どうか当事者の方がこの本を手にとりませんように、と思ってしまう。
作者は理系大学の准教授だそうだけど、この作品にも殺人が起きると楽しそうに謎ときしちゃうS&Mシリーズの西之園萌絵に共通する残酷な無邪気さを感じて、どうにも嫌悪感が。いや理系の人がみんなそうだとは思ってませんが。
作中に登場する地名は、作者がかつて住んでいた東京・日野市のものなのだそうだ。
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昨年(2012年)の群像新人賞受賞作品。
理系の准教授が書いた、というおたくな世界だけれど、後半の3.11のところからがよかった。
最後の結論(?)はどうかなと思ったけれど、僕(主人公)の世界の完結という意味ではいいかなとも思う。
全体的に(架空の路線をつくり、電車を走らせるのも)興味深く読めた。
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文芸の割にはまあまあ。
中間ポイントで地震があって、人に頼られても架空列車の方が大事な自分が恥ずかしいけど、(そこの心理描写が唯一の救い)やっぱり変わらない。
オチなし。
(群像新人賞)
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『架空列車』
岡本学さん
これからはもう自分の改善もしないと決めた主人公。
無意味な事をしたくて、地図を眺めているうちに架空鉄道を作り、毎日毎日自転車で架空列車の実運行をしていく。
そこに突然地震がくる話し。
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いや、架空なのはお前だけだよ。
って思った。
震災扱ってるけど、いろいろ失礼な気がした。
いや、そんなつもりはないのわかってるけど。
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最後、自分は変わらず架空列車として走り続ける、とある。けれど道路整備や伝達をして小さなことだけど誰かの役に立てていたことに気づくことができない主人公だから、何か本人が気づかないうちに彼は変わっていくこともあるんじゃないかと、私には希望が持てる終わりでした。
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終着は終着、これ以上なにかを求めて逃げることも戻ることもない。
主人公は家族も職も失って、東北の沿岸に逃げてきた男性。遺産と貯金をたよりに、ただ人生の期限だけを定めてその街に住み着いた。
絶望することにも退屈した彼が、暇つぶしに思いついたのは"架空の路線を走らせること"。どう路線図を引くべきか、駅間の運転には何分を要するか、ダイヤをどう組むか。彼自身が<架空列車>となって、来る日も来る日も自転車に乗って街を駆ける。
やがて彼は欲や執着が出てくる。なんの対価も得られない遊びへの白けた気持ちに蓋をするが、そんな日々を突如ぶち壊したのが、東日本大震災だった。
すでに何もかもを失った彼を同士とみなし接する<津波によって失った>人々を、彼は穏便に拒絶する。「本来なら持っていたはずのもの」への執着が喪失感を生み、疎外を生む。ならば、はじめから手放せばいい。
もう人生の実運行に戻ることはないと周囲と再び壁を作って、彼は架空列車に戻る。
震災で家族や財産を失った人へ、それも架空なんだよと心の内でささやく主人公。
<疎外感>によって気が狂うよりも、いっそ手放すほうが精神が健全でいられるのかもしれない。
でも、煩わしい人間関係を維持する努力をして、家族や仕事や財産を持って暮らす、そういう人々がいるから、社会は、暮らしは続いてゆくのだ。
そして彼はその恩恵にフリーライドしているに過ぎない。だからこそ、彼はいつまでも「架空列車」のままでいるしかないのだし、それを自覚しているから自ら<疎外>を選ぶんだろう、と思った。