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東日本大震災で罹災した「書店」は宮城・福島・岩手の3県で391店とのこと。
全てが津波に流されて、泥にまみれ、多くの「本」が失われていきました。
衣食住と比べると軽く考えられそうな本、そして文化ですが、決してそうではなく。
全てを失い心が折れるような状況だからこそいっそう、己を保つためにも必要とされていると感じます。
- 書店は"小さな日常"を取り戻せる場所
これは、1995年の阪神大震災のときにも見られた風景とのことで、
- 人はパンのみにて生きるにあらず
という事を、強く実感させてくれました。
また、個人的に興味を覚えたのは書店に図書館のエッセンスも加えたという、
「ほんの森いいたて」というお店、ここは是非、震災前に訪れてみたかった。
- 書店があるかどうかは、町の文化度を表すバロメーターです
このことは、遥か幕末のころから変わっていないと思います。
訪れた外国人が、江戸の町中で立ち読みしている庶民に驚いた、そんな時代から。
ん、"いつも本があった"、とある本のそんなフレーズを思い出しました。
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地震のとき、わたしも「本屋」だった。
ただしその日は出勤していなかったし、
大体店は都心にあった。津波なんか来なかった。
短縮営業から店は再開して、
津波の写真集や原発の本が飛ぶように売れた。
文字通り飛ぶように。
だけどこれは「被災地」じゃないからで、
現地ではやっぱり誰も本なんて読む余裕はないだろうと思っていた。
「本物」を目の当たりにしているのに、写真集なんて触れる気も起きないだろうと思っていた。
でも、そうではないということを、この本に登場する人たちは口を揃えて繰り返し語った。
現地にいるからこそ、マクロの視点で自分たちのおかれた状況を理解したい、しなければという人。
援助のお礼に写真集を贈る人。
余裕のないときだからこそ、
自分とその周りの人のことを考えなければなければならないのか。
それが、人間の本質なのかどうか。
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何もかも無くし。その日一日を生き延びていくことで精一杯だという状況の中でも、人は「本」を必要とする。
復興された書店が、そんな人々の生きていく光となることがうれしくて。
でも「復興されなかった書店」が、それ以上にたくさんあった、ということを忘れてはいけない。
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東日本大震災の地震、津波、原発事故により
通常営業を断念せざるを得なかった書店たちが、
通常の生活を送れなくなったお客さんたちによって
書店であること、書店が町にあることの意味を再確認していく。
本は水や食べ物と同じように生活必需品であること。
人が人として生きていくそのそばには本が必要であるということ。
その実感を書店員や店長が語るときに、涙せずにはいられなかった。
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本に携わる仕事をしている一人として、胸が熱くなった。
私の住む北関東の街に津波はこなかったけど、何万冊と書架から落ちた本の海を前に呆然としたあの日。ひたすら本を拾って棚に戻す日々。余震でまた落ちる。仙台のロフト店の店員さんと、おんなじ思いを抱えてた。
こんな時ここに人が来るの?そう思っていた職場も、再開されると人が集まった。本のある場所が支えているのは、人の知識欲だけじゃなく、日常なんだ、と初めてわかった。
あの時と同じ気持ち、東北の書店員さんの誰もが語っていて、涙が出てしまった。
どんなにネットが便利でも、やっぱり本屋が大好きだ!
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震災後、確かに郡山の書店には新刊は入ってこなかった。15日に発売だったみをつくしの「小夜しぐれ」をようやく手に入れることができたのは、28日のことだった。固まってしまった心を溶かすような、その暖かな物語が、本当に宝物のように思えた。あのとき、書店には確かに人がたくさんいた。本書にもある通り、それはきっと本を求めて、というよりも、ありふれた日常の風景を求めていたのだろうと思う。
それぞれの信念と想いを持って、復興を目指した書店関係者たちの取材記事。「書店のある風景」を愛する人たちの物語だ。何人もの方が登場するが、「ほんの森いいたて」と「おおうち書店」の章は涙した。また、霊山生まれの佐藤さんのエピソードも素敵だった。
「心を充電するためのツール」「本棚を耕す」という言葉が印象に残った。
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被災した書店が地域でどんな役割を果たしてきたか、どう復興してきたかという話。
移動型であれ、「本屋が営業を再開した」ということが、地域に与えた希望が描かれています。古い雑誌でもいい、人はパンのみに生きるにあらず、心を充電するツール、本屋は神社の大木のようなもので、切られてしまってはじめてその価値に気がつく…。
地域の本屋は、そもそも結構苦しいはず。それでも本屋にはやっぱり大きな価値があると再認識できる本です。
同時に、震災絡みの本もそれなりに読み、被災地にも何度か足を運びながらも、いろんな記憶が薄れていることに気がつきました。
本の価値と、震災による生活の変化、どちらも忘れられがち。よいタイミングの出版です。読め!
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災害直後は衣食住に関わるところが大切だけど、人はそれだけでは生きていけない。
震災から1ヶ月後、子どもたちに絵本を送る活動に携わり、本が必要とされていることは、現地からの声でわかった。
今も本に関わる仕事をしているので、あの日から、本のためにたくさんの人が動いたこと、その思いは忘れずにいたいと思う。
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何度も涙がこぼれそうになるのをこらえて読んだ。
被災地ではない東京にいた私もあの時は、ひたすら本を読んでいたなぁということをふと思い出した。
この経験の代償はとても大きかったけれども、取り返しがつかないということを私たちは学んだはずなのに、エネルギー政策は紆余曲折してあいまいになっている現状。政治の道具ではないのに。そこに生きる人の命が関わっているのに。何をいちばんに考えるべきかなんて、明白なはずなのに。どうして、こんなにシンプルなことが実現できないのだろう。
そんなことも悶々と思いながら読み進めた。
忘れない。
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食べるものにも事欠くときに本を買うという状況は意外な気がしたが、この本を読んだらうなづける。いつもの雑誌、漫画。その本の世界に入り込み、小さな日常をとり戻したり、気持ちを落ち着かせる。
こんな大変なときだが、改めて本の持つ力を再認識した。それにしても、自分達の生活もままならない中、店の再開を急ぎ頑張った書店員さん、すごいのひとことです。
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「僕たちは必要とされているんだ、すごく大事な仕事をしているんだ、と本当に強く感じた。」
という言葉が印象的。
やっぱり書店は必要な場所なんだ。
本以外の情報源や娯楽が増え続けていて、町の本屋さんには厳しい現代。
でも、再開を待ちわびてくれる人がいて、開店と同時にたくさんのお客さんが詰めかけるくらい必要とされていた。
いいなぁと思ってしまう。
私も書店を必要としている1人だし、うらやむのも変なのだけれど、自分の仕事が必要とされていたという実感がとてもうらやましい。
この本を読んでいると、書店の仕事って本当に素敵だなと思う。
本を見ているのではなくて、その本を必要としている人のことを見ている。すごく優しい仕事だ。
だからこそ、私達は書店が必要なんだろうな。
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2011年3月11日に起きた地震、津波、そして起きた原発事故によって被災した地域の本屋さんの復興の物語だ。
津波や地震でお店を失い、商品を失っても本屋として続けていきたいといった本屋さんの思いと行動が地域や被災した人々に小さな明かりを灯していたように感じた。
最近は電子書籍などが注目されているが、やはり電池やインターネット環境に左右されないモノとしての本の価値を認識する。
書店員さんたちの情熱のほかにも、被災する前でも経営が厳しく学校や図書館への納本が町の書店の経営を支えているという全国の書店が直面する厳しい状況もかいまみえた。
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被災し、自らも傷を負いながらも本屋であり続けようとする人たちの記録。
読んでて何度も泣きそうになった。
あの震災で、ウチの店も大きなダメージを受けた。
いくつもの店が休業を余儀なくされた。ほぼ全壊してしまった店もあった。
そんな中、再開を急ぐ上司に「なんでそんなに急ぐの?」と思ってしまっていた。 「絶対の安全が確認されてからでいいじゃないか」と。
この本を読んで、あの時の上司の指示の意味が分かった。
こういう事だったんだ。 ああいう時だからこそ、「いつもの場所」としての本屋が必要とされてたんだ。自分らは本屋を一生懸命やるしかないんだ。
この本に登場されている方々と境遇の違いはあるけれど、同じ職業についている事に誇りを感じます。
もっともっと頑張ろうと思った。
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東日本大震災で被災した東北の書店。廃業するお店も多い中、やはり街には本屋がないと、本屋が天職、と立ち上がった書店のルポ。
──本はただの「情報」ではない。人々にとって「生活必需品」だった──書店が開店した時、列を作って人々が求めたのはお礼状の書き方、パズル誌、中古車情報誌……本を送る活動をしているけど、いちばん求められたのは料理本だった。料理をする人が亡くなって男の人や子どもが料理する必要になったので。
飯舘村村営書店の章は、本を買うということがこんなに人生に意味があるのかとしみじみ泣かずにいられない。
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震災後「一体本が何になるのか」と思っていたのを思い出しました。
「本なんか、フィクションなんか読んで何になるのか」と。
この本を読んで、答えがわかりました。
「普通の人になる」のです。
定期的に出る雑誌を定期的に読めてはじめて「日常生活」なんです。
みんなが、普通の、日常を生きられる日まで、がんばれ復興の書店たち。