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イクバル・マシーという少年がいた。
彼はパキスタンの絨毯工場で4歳から働かされていた。
NGOの助けで開放された後、彼は南アジアの過酷な児童労働をなくすために活動する。
イクバルの生涯を中心に、子供をとりまく状況や児童労働の歴史、イクバルが与えた影響などを描く。
子供向けのコンパクトなノンフィクションながら多角的な視点で綴られている。
過酷な労働、でもメイドに出たり家や路上で働くよりはいくらかマシ、とか。
児童労働の製品を買うことは児童労働を肯定してしまう。
だからといって、その国の製品をボイコットして子供や親の仕事を失わせると家族丸ごとの生活基盤が破壊されてしまう。
その結果、よりひどい状況に子供が置かれることもある、とか。
わかりやすい答はのってない。
知ることと考えることをうながすような本。
原書の出版は1998年。もっと早くに読みたかった。
せっかく同時代に生きていたのに。
アメリカの中学生と交流する部分。
低所得者層の子が通う公立中学とあったけれど、比較的平和なのかな?
写真に写っているのは白人ばかりにみえる。
その子たちが「子供を撃つなんてありえない」と言ったことに衝撃を受けた。
(「ありえない」という表現もどうかと思うけど)
同じ時代、同じアメリカの「フリーダムライターズ」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4062140519のおかれた状況とあまりに違う。
パキスタンは自分と関係ない余所の国だろうけど、アメリカは他人事じゃない同じ国のはずなのにこんなに遠い。
「ライファーズ」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4622076985に、スラムの子供たちとスラムじゃない町の子供たちのエピソードがあった。
たった数キロしか離れていない場所で、黒人の子は「撃たないで」と主張し、白人の子は「飲酒運転をしないで」と主張する。
身に迫る危険が全く違う。ものすごい乖離。
アメリカの児童労働に章を割いたのは、自分と切り離さないためだろうと思う。
だったら、日本版には日本の説明が欲しかった。
写真にうつっている子供たちが、みんな大人の表情をしている。
体のパーツはこんなにも小さいのに。
イクバルの写真もある。「イクバルの闘い」の表紙の絵は似てない。
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読んでる途中で突如、『イクバルの闘い』のイクバルね、って気付いた。そちらも未読なのだけれど。南アジアの国々では、こうした児童労働が堂々と行われているという事実を、もっと多くの人が知るべきだと思う。小さな活動から、「あたりまえ」と思われていた世界を変えていく。本著を読んだ後、果たして、家の中に児童労働によってつくられた製品がないだろうか?と考えてしまった。
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イクバルは立ち向かった。負けなかった。
死してなおイクバルと関わった人々を励まし続ける。
でも、イクバルは一人で戦ったわけではなかった。
イクバルを見つけた人、イクバルを保護した人、イクバルに賛成した人、イクバルと行動を共にした人、イクバルのために協力を依頼し続けた人。
彼らの力があって初めて成し得たことだ。
でも、イクバルだから、だろう。
イクバル基金はまだ続いているし、子どもも世界を変えられる、と励まされた少年実業家は世界に散らばっている。
イクバルがこの世界に残した爪痕はとても大きい。
でも、本当はイクバルが少年実業家となった姿が見たかったなあ。
児童労働解放は新たな奴隷を生むだけだ、という人がいるけれど、まず買う人を減らすことから始めたい。
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言いたいことを言える、学校で勉強できる、好きな遊びができる・・・そんな当たり前のことができる幸せって、本当にその中にいると気づかない。
児童労働、搾取労働に従事する子供だけを救えばそれですむという、単純な問題じゃない構造。児童労働は複雑な社会構造の一角だ。
かつての日本も、欧米も児童労働はあった。
いろんな物語でかいまみることができる。
それでも、まずそこをとっかかりにしなくちゃ、風穴はあけられない。
小中学生よ、いろんな世界をみよう。
世界は、大人になっても、自分が情けなくなるくらい広い。
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4歳にして,借金の代わりに債務労働者として働くことを強要されたイクバル少年。何度も何度も逃亡を繰り返しながら,債務労働解放戦線(BLLF)という組織で活動しているカーンという人物と出会い,自由の身になっていく。そして,自分と同じような児童労働の子ども達を救うための活動をしていきます。
ところが,ある日,銃弾に倒れます。イクバルの行動を快く思わない大人の仕業らしいですが…。
今まだ続く児童労働の実態。解放するだけでは解決しない問題も,現れてきます。これは奴隷解放時のアメリカと同じです。自分の善意だけで行動すると,解放されたハズの人たちから「仕事があるだけマシだった」「私たちの収入源を奪った」といった反応が返ってくることもあります。
ともあれ,イクバルの遺志は,しっかり受け継がれているようです。