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今、特に直面していない悩みの分野なので、最初うまく入っていけなかったけど、著者自身の小説をからめた話あたりからおもしろくなった。分人という考え方を用いることで、人間関係に関することはずいぶん整理されて落ち着くと思う。他者との相互作用で自分があることとか、しっくりくる感覚があった。難解なイメージが先行して、小説に手が伸びないでいたけど、これから読んでみたい。
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平易な文章で、大変わかりやすく「分人」という概念を論じているが、その内容は非常に奥深く、また、人間という存在に対して大変優しい。個人的には、今のところ人間関係に深刻な悩みはないし、この手の「人付き合いの悩み解消しまっせ型新書」は疑ってかかるタイプだけれど、胡散臭くなく、とても誠実な語り口が好感度。
また、本書全体に著者の小説についての記述が多く、ぜひ読みたい気分にさせる。(巧い宣伝?)
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先日、Twitterでみつけたつぶやきを元にいろいろ最近思うことをつぶやいたら、いろんな方から興味深いご意見を頂くことができたので、はじめて「Togetter」にまとめてみました。
その後、以前から気になったこの本を読んだのですが、まとめたことへのアンサーを頂いたような気がしました。
ひとつの自分ですべての関わりの人に対するということの、いい部分と難しい部分。
http://togetter.com/li/378722
自分の中に「分人」があるように、他の人にも「分人」がある。SNSはそれがすっかり見えてしまう。
一貫しない個人であたりまえ、むしろいろんな顔があっていい。
とても共感する内容でした。
追記:ブログアップしました
ひとつの自分ですべての関わりの人に対するということ【ブログ編】
http://rucca-lusikka.com/blog/archives/4082
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ずっと違和感を持ちながら読み進めました。
まず、「分人」というのと昨今いわれてる「キャラ化」との違いがわからなかった。
口述筆記をもとに書き直したものということだそうで、それも違和感の一つかな?と思います。
対談にしたほうがよかったかと…。
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著者と似たような年代だからなのか、話にものすごく共感できた。
「個性を持ちなさい」といわれ教育されて来た世代で、インターネットなどによるコミュニティの普及で「分人化」が急速に進んだ世代。
だからこそ共感できたのかもしれないが、もっといろんな世代のヒトに読んでもらいたい、大切な一冊になった。
自分自身の中でも、「あっちに対する性格」「こっちに対する性格」に違和感を感じたり、苦しみを感じたり、人間関係がうまくいかない人とのやり取りで苦しんだり…。
しかし著者の「分人」という考え方で、すんなりと、「これでいいのかもしれない」と思えるようになりました。
なんか新興宗教とか新手の自己啓発本読んだあとのような感想になってしまいますが、こんなにストンと納得できた本も珍しいです。
著者の本は「決壊」しか読んでいなくて、しかもここの感想はさっぱりしたもの程度だったので読み直してみたいです。感想が変わりそうで楽しみ。「ドーン」「空白を満たしなさい」や作中で出てきた古典を読んでみようと思います。持ち歩きたいくらいいい本。
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従来の「個人」単位の考えのもとで思い悩み、自分探しをし、本当の自分とは何かを追い求める者が増えている。
その「個人」に対して、著者は「分人」という新たな概念で自分というものを考える。自分の持つ分人すべてが本当の自分であり、重要なのはその文人の占める割合であるのだ。
個人的にこの考え方には納得させられました。あれもこれも偽者の自分だと考えるのではなく、それすべてが本当の自分だと考える。
そしていきいきした自分の分人を見つけたとき、それが自分の個性であり、するべき「為事(しごと)」かもしれないと思いました。
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久しぶりに買って読んだ本。
本書は平野啓一郎の著者「ドーン」に出てくる「分人」という考え方についてまとめたもの。
「分人」とは「人が対人関係ごとに見せる複数の顔」のことで、「個人」をより細分化させたものだと作者は説明しています。「人間は決して唯一無二の『(分割不可能な)個人individual』ではない。複数の『(分割払い可能な)分人dividual』である」。
「ドーン」を読んだ時に分人主義の考え方が自分にはとてもしっくりきたので、今回の本にも納得させられることばかりでした。
平野啓一郎は以前に講演を聞いたことがあり、そこで「小説家には書きたいことだけでなく、『書かなければいけないこと』もある」と話していたのがとても印象に残っています。本書でも「この小説ではこういうことを書いた」ということが多く語られていて、この人の小説に対する真摯な姿勢を改めて感じました。しかし平野啓一郎の小説は難解で、まだ「ドーン」しか完読できてないのよね・・・。
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・個人(分けられない、本当の自分、仮面の自分・・・)から、”分人(付き合う相手によって違う自分の一面がある、その一面=分人)”
・本当の自分など探しても意味ないが、”自分探しの旅”などで環境=付き合う人が変わって、その人(たち)に対応した新しい一面が出来上がると、個人=100とした時の一面たちの構成比が変わるので、そういう意味で影響がある=自分トータルは変わる。
・地元に居た頃のの自分と今の自分が違うのは当たり前で、話す相手の比率が違うからである。よって、あの頃の自分が本当でも今の自分が作り物でもない。たんに地元の友達と話す自分、は登場回数が年に数回とか数年に一回なので、息をひそめているだけである。
・幼少期の体験が悪い人がその分人を(付き合いは長いので)捨てられないで苦しんだりするが、見てみよう、構成比が変わったんだから、自分は変わったのである。(青い絵の具も黄色をじゃんじゃん混ぜていけば、緑、黄緑、ほとんど黄色、と様子を変えるのだ。)
・分人は相手あってのもので、3ステップに分けられる。1)社会的分人:知らない人と初めてあった、コンビニで買い物をする、役所で手続きをする、自分。2)グループの分人:初めましてのときに1対1でない場合の調和?。3)対個人の分人:1人ずつに対応。
3までを全員にやるのは馬鹿げてるし、例えば職場では#2で、家族とは、親とは、親友とは3で、とか、色々。
・分人は1人で作るものではなくて、相手との相互関係で作り上げて行くものだから、相手の出している分人は半分自分のせい/おかげ。
・恋人との分人について。愛、すなわち、相手と一緒にいるときの自分の分人が好き。だから長期的に一緒に居たいと思う。相手もまたしかりで、自分と居るときの相手は、自分に半分影響された彼。
・死者(別れも同じ)との分人は、そこで終わってしまうので悲しい。でも長い付き合いだと、あいつならこういうだろうな、という予測もあるし、長い付き合いの間にその人との分人のweightが大きくなっているだろうから、亡くなった後、その分人は自分の中を生きる、自分に取り込んでしまう。取り込んでいるのは半分は自分が作り上げた相手用の分人、半分は相手に影響された分人だから、自分に相手を取り込んでしまうんですね。だから、あいつならああ「言ったろう」というのがあり得る。よく知っている人にもちろん限られるけれども。
亡くなったと聞いてすぐに悲しくなる事はあまりない。あの人と話したいなと後で思った時に悲しくなるものだ。それは故人用の分人を出したくなって悲しうなっているのだ。
★今の自分が気に入らなければ、分人の比率を見直せばいい。
上司と上手く行かないでどんより生きるより、家での夫や子どもとの分人を軸にしたりして楽しく生きられる。上司が変わったらけろっとよくなるうつ病があるのもそう言う事。
ただひきこもりはよくない。社会全体との関わりを経ってしまうと分人が出来ない(ネットの世界で分人を作る事は出来るが、広がらない)。
その意味で海外逃亡(自分探しの旅)などは理にかなっている。それで海外での分人の方が気に入って居着いてしまったりする人も居る。
消したい分人は、その分人の比率を小さくすればいい。(つまり、実家に帰らず、実家の人と関わらず、話さず、YさんやKYさんとは二度と合いませんって感じで生きればいい。)
学院の自分、地元の学校の自分が好きならその分人にもっと会う様にすれば、海外での自分が好きならあの分人を使う相手と信仰を続ければいい。
(だから私は地元の友達と定期的に会いたく、Mと会話をし続けたかった。話さなくなれば、言語以外にも忘れてしまうものがあると思ったがそれは正しかった。MUとどうしても交遊をし続けたいと思うのもそうだ。)
自分を引き出してくれる、いい気持ちにさせてくれる、登らせてくれる分人を育てられる相手との時間を多くすればいい。
1つの分人は無理、不健康。子育てノイローゼや炭坑に閉じ込められた鉱夫が家族と電話できるのが大事だった訳はそこ。
たくさん分人を、心地いい程度(個人の好み)に取り揃え、メンテして生きていくのがいい。
(帰って来たのに仕事の分人が戻って来ず、それで当時の会社の先輩たちに会いたくてしょうがなくなったんだろう。そして仕事の、あの会社での分人、大きなweughtを占めていたあの分人が私はそこ2気に入っていた、少なくとも消してしまいたくはなかったらしい。YやKYとの嫌度に我慢をしすぎてしまって、だいぶ広範囲の分人をシャットアウトしてしまい、それは失敗だった。どの分人を切ればいいのか、今後はもっと上手く選択出来るだろう。)
子どもとの間の分人が好きって大事。きっと。
・子育ても、どういう子に育てるかというより、どういう分人(環境、付き合う相手)を持たせてあげらるか、を考えるといいかも。
・小説や映画とか、人以外とも分人は出来る。
いい本だった。
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「分人」という視点はとて新鮮だった。個人の中に様々な分人がいて、様々な人との関わりで様々な分人が現れる。それらすべての分人が自分を成すものである。
この考え方は最小単位を個人として、本当の自分、仮の自分を追及していたわたしにとって、目からうろこものだった。
「分人」はすべて真実の自分の姿。そう捉えることによって、ちょっと生きやすくなりそうな予感がしている。平野さんの小説もかじってみたいと思います。ひとまず「日蝕」から。
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平野さんが「ドーン」の中でテーマの一つとされた「分人」という考え方について,まとめられている作品です。小説での取り上げられ方とは異なり,個人individualとの違いや,平野さん御自身や回りでもよくあるような人間関係の具体例を元に,個人と分人の考え方の違いが述べられているので,分かりやすく「分人」という考え方を把握することができる内容になっていると考えます。
個人としての多くの人と接しているときの姿勢の違いを説明しているこの考え方を,全面的に受け入れられるかどうかと言われると,個人的には疑問に思うところもあります。ただ,このような考え方があり,個人の中で,そのときどきで対応する人達や,環境に応じて姿勢を変えて行くというような「分人」というこの作品における考え方を知っておき,頭の片隅にでもいれておくと,いろいろと人間関係を構築することや,人間関係における問題点があるときの解決に役立つのかなと思い読み進めていました。
今後も平野さんはこのテーマで作品をいくつか書かれるのだと思いますが,この作品で「分人」という考え方について知っておくと,「ドーン」や今後の平野さんの作品をより楽しめるのではないかと思います。
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高校生の時に自分がなぜこのグループにいるのか、いつも疑問だった。だって、隣のグループの方が居心地がいいのに。その答えがよやくわかって、とても楽になった。分人という考え方は当たり前のようだが明文化して、定義したのは平野氏の功績。特に思春期のころのモヤモヤが晴れた気がする。そして、今から生きる上で、自分自身も他人に対しても、この考え方があれば、納得いくことがたくさんある。「ドーン」「決壊」「空白を満たしなさい」そして、本書に出会えて本当によかった。
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この本を読んでいて思い出したのが、精神科医の中井久夫氏が多重人格について書いていた文章です。
"われわれは皆、プルーストが『失われた時を求めて』で描いたように、超多重人格者であって、たまたま人格の数の少ない人、あるいは変化の不器用な人が社会から析出されるのかもしれない。 (家族の深淵/P221)"
多重人格というとジキルとハイドのような「入れ替わり」のイメージがありますが、これは誰もがひとつの固定的な人格を保持しているという考えの裏返しです。
平野氏の「分人」概念は、こうした入れ替わりが常に起きていることを前提に、移ろいゆくものとして人間を捉え直す試みであると言えます。
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読みやすさが光る。
私たちは「個人」を生きているのではなく、その場その相手に合わせた「分人」を生きているのだという。
そんなに斬新な主張ではないものの、めちゃくちゃ丁寧に説明されていて、それゆえの説得力はある。
上の考え方を発展させて「うまくふるまえる自分は相手のおかげでもある」「他人のよくないふるまいは自分のせいでもある」という風に論を延長したのはうまいなあと感じた。
独特の恋愛論もおもしろい。「その相手といるときの自分の分人が好き」な相手が好きな人。なるほど。
アイデンティティに悩む若者は勇気を与えられるかもしれない。自分もすこし励まされました。
ひととのつながり、を本気で考えられる本。
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「分人」という概念により、「本当の自分」という幻想の正体や、相手によって様々に変わる自分自身のことを、具体的かつ丁寧に書き表している。
なんとなく感じていたことが明確に言語化されていて、思わず膝を打つ。
これほど深く人間や社会について考察したうえで小説を書いている著者は、本当にすごいと思う。
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1人の人間に一つの人格しか認めない「個人」ではなく、複数の人格を認める「分人」という概念によって「私」というものを解読している。確か、岸田秀さんの『ものぐさ精神分析』のあとがきに、フロイドが人格とは他者の人格のコピーであるとしていると書いておられたと思うのですが、その考え方と似ていますね。