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前に読んだ「時と永遠」に先んずる2編で、合わせて三部作をなす。
波多野精一の語る「宗教」とはキリスト教のことで、それ自体には興味はないが、彼が展開する他者論には共感する。
「宗教哲学」が1935年の著作で、「宗教哲学序論」は1940年、後のものだが、本文庫版では「序論」を先にしたかったのか、後者を先に置いている。しかし「序論」の方は、宗教論の論理的手続きに関してくどくど述べているもので、少々退屈だった。
波多野精一の言う他者とは、まずは普通に周囲にいる他人たちのことで、
「主体はいつも「他者」との交りにおいて存在する。主体と主体(実在的他者)との交りにおいて実在性は成立つ。」(P84)
「人格はその成立のために共同態を必要とする。」(P357)
という思想は木村敏氏の「あいだ」の理論にも通じるものだ。
ただし、この思想をさらに著者は展開し、絶対的他者=神の実在性へと行き着く。つまり絶対的他者まで到達しない限り、「他者との生の共同」(P360)としての「愛」は完全に成就しないというのだ。
確かに「他者」さえ発見すれば気が済んでいた20世紀後半の一部の哲学者たちには、なにか欠けていたかもしれない。しかしそこにはどうしても「神」が必要なのだろうか?
私たちのような無神論者にはちょっと近づきがたいテーマではあるが、単なる「他我」ではない他者の他者性をのぞんでいく主題は、それ自体どこかで行き詰まるのではないかという危惧も感じている。
馴染まないキリスト教テーマではあるが、深い思想的刺激をもたらしてくれる書物だった。