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オックスフォードに移られた以降の刈谷氏の現場からの日英大学比較。オックスフォードの教育の大いなる特徴として、教授と学生のほぼ個人指導からなる「チュートリアル」をが興味深い。「カレッジ」という寮制度の学問共同体のなかで、チュートリアルを通じて、「読み→書き→議論する」という、いわば「学問の作法」が徹底的に訓練される。これが学習の中心で、学生は別に日本のような講義をとらなくてもよい。そのかわり、チュートリアルで学んだ成果をブラッシュアップし、卒業試験に合格すればOK。イギリスに「教育された市民」を育てる、ノブレスオブリージュを備えたエリートを育成するということが、社会的に根付いていることがこうした制度を支えている。ということである。
一方、日本の大学は「体験学習」になっているという。それは、企業が新卒者をOJTで育てている(orいた)から、「学習の総仕上げ」として、大学教育に期待がかけられてこなかったから。だという。
高等教育の目標は「教育された市民」を育てることだという文化的土壌のあるイギリスとは、日本は全く違う。また、イギリスであってもこうした高邁なことが実現できるのは、オックスブリッジだけかもしれない。これらを鏡としたうえで、我々はさあてどこへ向かうのか。
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「聞く」ことを中心とする日本の大学教育と対照的に、「読んで、書いて、議論する」というチュートリアルによる英国のエリート教育の実態が描かれている。そうした知的訓練によって、英国の若きエリートたちは物事を批判的にとらえて説得する能力を磨いているのである。それはガバナンスに必要な基礎能力そのものである。政治にしろ、企業や組織にしても、日本で自ら改革が起こりにくいのは、そうした訓練がされていないからに違いないと納得。
著者の問題意識と改革の提案が、日本の教育界や行政で真正面からとらえられることを強く願う。
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前書のアメリカの大学に物足りなさを感じたのはおそらく時間経過であるということがわかった。リバプール大学の集中講義で学ぶよりも早く本書に出会うことができればよかったと感じる内容であった。
ただし、どうしても高等教育研究における各国の比較研究はエリート大学などに偏っている点が研究の網羅性として多いに疑問を感じてしまう。しかし、反対に考えれば研究のフロンティアは残されていることになるため、研究領域としては行き詰まりよりも明るいゴールドラッシュを望む西部開拓民のような心持ちで望めるものであると感じる。
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読後感は、暗い。
内容が悪いのではなく、日本の状況を振り返るととてつもなく暗くなる。
「日本社会という閉じたコップの中」で大学改革は遅々として進まない。
教育の質を高めるには学修時間を増やせば良いというような答申が未だに出てるような状況だし、最近就任した大臣は裁量逸脱で混乱を招いている。
この本を読むとこのように暗くなるのであるが、あのオックスフォード大の専任教授としてこのような貴重なレポートを発し続けていただくことがコップを割るような改革につながっていかないだろうか。
潮木先生の解説がまた素晴らしい。
「我々は人材を失ったのではなく、強力なイギリス観察者をオックスフォードに送り込んだのではないか(p198)」
ホントにそうだと思う。続編に期待したい。
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続いてイギリスの大学と日本の大学との比較論です.端的に申し上げれば,大学にもグローバル化の波が押し寄せており,オックスフォード大学のような名門中の名門大学が,精力的に変革を進めている一方で,日本の大学は「閉じたコップ」の中でのみ競争を続けているというものです.
当事者としては,こちらの方は多くの点で頭の痛い話です.
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東大からオックスフォード大学に移籍した著者の体験的、日英大学制度の比較と評論。大学教育に関心のある方なら必読書かなと思う。
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まず著者の論稿を新書化し、かつ潮木氏に解説を組み合わせた編集者に敬意を表したい。このような編集に必要な嗅覚を見習いたいと思った。論文の形でないので、著者のこれまでの多くの主張を、欲張りながらもコンパクトに収録できている。全ての大学関係者は、時間の無くても第3部だけは必ず目を通した方が良いと感じた。盲目的に答申を礼賛するのではなく、それを適用する場面と大学を仕分けするのが重要と気づかせてくれるはずだ。
高等教育政策の文脈ではある種の公平性や合理性が重視されることが多い。ゆえに著者がいうように日本では「エリート主義の問題を正面から論じず、それを暗黙のうちにさけながら」政策メニューが示される。例えば、「機能別分化」という言葉もかなりソフトに変換された表現の例の一つだろう。全ての大学が自らの機能を、妥当性を持ち選択できるとは限らないが、分化の方向は各大学に委ねられている。やがて、各機能に基づき、メリハリ・偏りがある資源配分が正当化され、ゆっくり実現されるのだろうが、スピード感は乏しい。個人的には、国立大法人化前に国の手で、「自ら」が機能別分化してほしかったといいたくなる。私学を巻き込む前に。
終章では比較論の重要な視点を教えてくれる。「ややもすると、日本での教育の議論は、そこに充満した「空気」に影響されやすい。そのために、問題の核心を見逃したり、あるいは空気の圧力に押されて、わかっていても問題点を明確には表明しにくくなったりすることがある。比較の視点の有効性は、そういう議論のしかた自体に違和感を感じるセンスを持ち続けるところにある。」(P.161)修論で因果関係の推論のために大学を比較するが、異同から違和感を感じて問題点を指摘できるように努力したい。
ちなみに、多くの大学が体験学習の場から学問の場を目指し、それに移行した場合、日本の高等教育システムのリソースはもつのだろうか。枠内で再編・最適化が進むのか。関心は尽きない。
ちなみに前任校のHPにはまだ教授風景の写真が掲載されている。http://www.p.u-tokyo.ac.jp/gs/c2
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イギリスの大学で実際に働いた著者の視点から生の情報が描かれている
文章として美文であったりするわけでは無いのだが、大学制度や日本におけるその改革に興味のある人間ならば、参考になる面はあるだろう。
私学に働く身としては、前著となるアメリカの大学との比較論の方が気になるかな。
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終章の「学修時間の確保を提言の中心に置かざるを得ないところに、日本の大学教育問題の根深さが表れている。」という所に、思わずひざをたたいた。
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日本語に守られた日本の大学の特殊性と中世から伝統を持つ世界レベルの大学の特殊性を比較する。
日本の大学教育,いや,教育制度全般を変える時が差し迫っている。大学教育を小手先の改良をしても全体に波及するのに長時間かかる。全体を変えるには手続き上長時間かかるし,コンセンサスを取っていくのにも時間がかかる。
多くの国民が高度な教育を受けられることは国力の高さに反映される(はず)。名ばかりの大学,名ばかりの高等学校となっていないだろうか。その国の最高学府で学問をする矜恃を教員・学生は持っているのか。
本の中で入学試験を受ける者の知的水準の違いを述べていた。知識量は日本も見劣りはしないであろう。その知識を生み出す場所で学問することへの意欲はどうであろう。
大学で学ぶということとは,大学を卒業する人材とは,社会における大学の存在意義とは,・・・改めて(初めて)真剣に考える必要があるな。
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イギリスの大学がどういうものなのか、というのが書かれている。日本の大学はこのようになるべき、とかいう話ではなく、そもそも、文化が違うとしかいいようのない大きな違いで興味深く読むことが出来た。
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アメリカとは違い、こちらは矢張り老舗の風格、学ぶべき点は多い。日本の近代は初めはその西洋の薫風に憧れたのだった。しかし、戦後は東からアホの西洋がやってきたということ。教育関係者は本著を読んでも、もはや希望は見つからず、どこから手を付けるべきかに途方に暮れるしかないのでは。日本の近代教育は遂に失敗だった、という気がしてならない。
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榎本博明の「教育現場は困っている」に引用されていた所から興味を持って読んでみた。
本書の情報は2012なので少し古いが、2020年にも通じるところは多くある。著者の苅谷はイギリスの名門オックスフォード大学で教鞭をとる日本人だ。本書の内容は彼(在英日本人)から見たオックスフォードの内情について、そして日本の大学制度についてである。
●オックスフォード含めオックスブリッジは生活の中心となるカレッジと学科教育の中心であるdepartmentからなる。
●departmentは日本に似た講義形式の授業だが、カレッジでは毎週1度マンツーマンないし1対2程度で行われる個別指導だ。オックスブリッジの学びの中心はカレッジで学生は毎週大量の参考文献の読書(インプット)とそれについての議論、論文化を行う。
●学生の採用は、高い学力をクリアした上での面接重視で、教員は自分が指導したくなる、世界トップレベルの教育に耐えられる学生を採用し「教育された市民」をつくる。
●日本の大学教育は、大学での学問教育(知識の伝授の更に上にある、運用力)が特に人文社会系で行われていない、また社会的にも価値が認められていない。
●日本も「コップの内側」から世界に目を向けなければならない。
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子供の大学の入学式で、この本の著者が来賓に招かれ、スピーチをしていたので読んでみようと思いました。
オックスフォード大学のチュートリアルという教育方法の話は全然知りませんでしたので、非常におもしろく、勉強になりました。マンツーマンに近い教育で学生を徹底的に鍛え上げ、インフォーマルな関係も含めて全人教育を施すというのは、現代の視点から見るとそうとうのアナクロニズムのようにも思えますが、これだけ世の中が効率化・均質化の方向に行ってしまった現代だからこそ、逆に極めて重要になってきているようにも思います。
子供にもぜひ読んで欲しいと思いましたが、本人は大学生活に忙しく、本には全く興味ない模様。この本に書かれている「大学ではエリート教育は決して行われない」日本の実情を再確認。それがいいのか悪いのか、悩ましいところです。
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イギリスのエリート教育の一端を垣間見た。日本で人材育成は確かにかつては企業がOJTで担っていた。今の時代、大学に学びを取り戻す手段は三つか。オックスブリッジかアメリカのリベラルアーツカレッジを選ぶか、独学だ。どちらも困難な道だ。