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やし酒という酒を飲むことしか能のない金持ちのボンボン息子が、
不慮の事故で死んだ自分専属のやし酒職人を呼び戻すため、
ジュジュと呼ばれる魔術道具を身に着けて死者の国に旅立つという神話的物語。
完璧な紳士に擬態する頭蓋骨だけの一族、恐ろしい力と呪力を持った赤子、
一度入ると帰れない町、太鼓と歌と踊りの妖精による祭典、
超常的な力を持った小作人による大虐殺、全ての争いを裁判で決する町等、
混沌とした出来事を魔術と機転と幸運で切り抜ける様はどことなくユーモラス。
最初単なるごく潰しのように描かれてた主人公がいきなり全ての神の父を名乗り始めたり、万能の呪術道具を持ってる割りにすぐにピンチになったりするところもいい加減な感じで面白い。
反面、縄張り意識や共同体の輪を見だすものへの仕打ちなど村社会的コミュニティの閉塞感だったり、アフリカの規範意識のようなものがからっとした物語のなかから透けて見えたり。
文体もいきなり敬語になったり、いきなり読者に語りかけ始めたり、かなり独特だと思ったけど、原文も現地言語を英語に置き換えて作られたようなかなり破格の文体だとか。
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やし酒ってどんな味なのだろうかと、なんとなく手にとったのだが、新年早々、手に余るお話を読んでしまった。この読後感を如何せん。
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アフリカ文学に初めて触れた。ひとつの大きな物語の中に、たくさんの神話が詰め込まれているような不思議な形態の小説。簡単に一年二年が経過して行くところが、不思議で、なんたって、時間の流れがゆったりとしているもんだと。
それから、物語を進める動機など、理論的な物語展開を無視していると言うか、全く違う毛色の物語の進め方で、とても楽しめた。
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ナイジェリアのチュツオーラによる神話的物語。
主人公の「わたし」は、大金持ちの父のもとに生まれた。弟たちはみな働き者だったのに、「わたし」は、小さい頃から「やし酒」を飲むより能のない、とんでもない総領息子だった。
普通なら「ばかもーん!」と怒られそうなところだが、なんと父は「わたし」のためにやし酒造りの名人を雇ってくれ、あまつさえ56万本のやしの木がはえた広いやし園までくれた。
やし酒造りは毎朝150タルのやし酒を採取し、夕方にさらに75タル造ってくれる。これでめでたく「わたし」は毎日毎日、大勢の友だちとともに、文字通り浴びるほどやし酒を呑んで暮らせることになったのだ。
しかし、幸せな日々は永遠には続かない。15年目、父が死ぬ。そしてその6ヶ月後、今度はやし酒造りが死んでしまった。
翌日からはやし酒がない。しあわせな気分は去ってしまった。あんなにいた友だちも去ってしまった。必死に他のやし酒造りを探すけれど、「わたし」の要求を満たすだけの量を造れる名人は見つからない。
「死んだ人はすぐには天国に行かず、この世のどこかにいるものだ」という古老の話を思い出した「私」は、死んだやし酒造りを見つけようと旅に出る。
・・・冒頭から突っ込みどころ満載なのだが、これはこの物語のほんの序の口である。
とにもかくにも、やし酒なしではいられない「わたし」は、やし酒造りの居場所を尋ね歩く。情報を得る引き替えに、「死神」と渡り合ったり、ぱっと見は「完全な紳士」だが実は「頭ガイ骨」だけの男から娘を救い出したり、「死者の町」を目指したりする。
いろいろあるけど、「わたし」は何だかんだと切り抜ける。何たって、この「わたし」、「この世のことはなんでもできる『やおよろず』の神の<父>」と呼ばれているのだ。
・・・ちょっと待て、なんでもできるなら、やし酒造りをすぐ見つけるとか、自分でやし酒をたんまり入手するとかできんのか(・・;)!?
キツネにつままれたような気分になりつつも、何だかやし酒飲みの冒険の顛末が気になって先へ先へと読まされてしまう。
「わたし」が出会う「生物」たちはときに奇怪で途方もなく、迷い込む森は暗く深く、何が出てくるか得体が知れない。
予想のつかない冒険が「だ・である」と「です・ます」の混じる文体で綴られる。著者は短い期間で習得した英語でこの物語を書いている。おそらくはどこかたどたどしさの残る文章を、訳者がこのように置き換えたというところだろう。
母語のヨルバ語の伝承が混じり、一種独特の、おどろおどろしいが魅力的な世界を創り出している。
本編に加え、チュツオーラの自身が自らの人生を語った小文(「私の人生と活動」)、それに、訳者(土屋哲「チュツオーラとアフリカ神話の世界」)とドイツ語でも創作を行う日本人小説家(多和田葉子「異質な言語の面白さ」)による解説がつく。
不条理とか、洋の東西の神話との比較など、なるほど文学論的にもいろいろ議論がありそうな作品だが、一般読者としては、まずは物語世界に放り込まれる感覚を楽しみたいところだ。
それでやし酒造り���見つかるのかって・・・?
うーん、見つかることは見つかるんだけど、それからまたいろいろあってねぇ(--;)。
驚きの結末はぜひ、ご自身で。
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奇想天外!現代における神話!って感じの話。
神話なので主人公が何考えてるかいまいちわからない…神話なので…。
ですます調とだである調の混ざる文体なので、翻訳文学読みづら!と思っていたけれど、それは原文の調子を再現しようとした結果らしい。なるほど考えられてて面白い。
語られてる内容は神代の話でも、たとえや描写が現代なのが面白い。フットボールスタジアムのような広い開けたところで踊るドラム・ダンス・ソングとか(うる覚え)
主人公が不死になる経緯が面白い。白い木の中に入るときに、我々夫婦は死を売り、恐怖を月○○ドルの貸賃で貸した。白い木の中から出た時に、我々は恐怖を返してもらったが、死はもう売ってしまったので、返してもらえなかった、っていうの。
不死は、多くの神話の中で、英雄たちがこれを求めて冒険したり彷徨ったりするものなのに、こんな軽いノリで手に入れちゃうんだ?!っていう。
あと、実はガイコツである完璧な紳士に出会ったシーンも好き。私は彼を見たときに、神様が私を彼のように完璧に作ってくれなかったことが悲しくて泣き喚いた、っていうの。その表現の仕方好き。
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解説で多和田葉子は、百鬼夜行やらパウル・クレーやらを引き合いに出していた。そんな見方もできると思った。たしかにこの世のものでないものがたくさん出てくる。主人公の呑み助は、いろんなものに化けたり、逃げたり、でも結局は解決して、生まれ故郷に戻る。そのへんてこ不可思議な世界は、「陽気かつ怪奇」な世界。何度も読み返せば、その都度心の旅に出られる。
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「毎日大量のやし酒を飲んで暮らす。やし酒のみと呼ばれた男の話」やし酒を造ってくれる人が死んでしまい。
生き返らせる?呼び戻すために
冒険をする話
「ブルース・ブラザーズ」で昔の恋人からバズーカ砲を受けたのにさらっと交わす感じ。何が起きても起きなくても当然のように話が進む。
主人公が、やおよろずの神様で
何がどこまで出来るのかがわからない。
「それ出来るなら、なんでも出来るやろ」と思いきや出来ないこともあるのが妙で本人がそれを恥じてるのも面白い。
ほぼ全編場面の描写なので、神様なら声に出して会話してないんじゃないか?とか「神様」というのは呼び名で全てなんからかの比喩なのではないか?など、話は短いけど楽しみ方が多い。独特なリズム。
だんだんやし酒を飲んで
酔ってそのまま見た夢?
と思うようになり
様々なことがぐるんぐるんと起こり、動じずに淡々と展開してく
子供が考えたような話にも似てるけど
神話でもある。
なんか
「アドベンチャー・タイム」っぽい。
「えっいいの?」とか「あれ?ここらへん書いてて楽しくなってない?」とか
スローテンポのラップのように刻んでくるのが心地よい。
あえて解説はまだ読まない。
想像して楽しむ。
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アフリカ神話。ぶっとんでる。古事記のオオクニヌシの冒険のようだな。一番のお金持ちの長男でウダウダやってたのが父親の死により崩壊。今日もやし酒飲もっと。やし酒を作ってくれてた人は木から落ちて死亡。ま、まずは木に登って酒のむお!そんな訳で美味しい酒を作ってくれる名人を捜して旅に出ます。神様なので色々できます。でも神様と言っても特に唯一神でもなくて色々冒険させられます。サイア人みたいな感じでしょう。本国では民族神話のパクりだなどと言われ評価は低いらしいです。しかしやっぱり面白いから故に外国で評判になる訳でして。
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この辺はまだ、作者がヤングイングリッシュで、でも土着のなんかをアレしてたはず。作者クリスチャンだけど、「冥府にいる頭蓋骨が知人からいけてる部分を借りて地上へ婚活に行く話」は水木しげる先生も、確か別枠で収録してたし。それにしても、作者は第二次大戦中、アジアへ行って日本軍とたたかった程度なのに、イケメンの兄さんが「腕と頭だけになって、カエルのように跳びながら」移動すると言ふジャパニーズでもやるやうな演出をやる。はー。
解説の多和田先生が、「外国人へ稚拙なそっち語でお話書くとウケる件」について書いてをられて、大変興味深かった。
英雄を一年癒す処で、まったり過ごした主人公一家が、追ひ出される寸前にそこの主の女性へ延長を申し込んで断られるのがおもしろかったです。
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この変わった本との出会いは、1990年の花博まで遡る。忙しい時間をやりくりしてラフレシアを見に行った。あわよくば青いけしも見たいとそれだけで大嫌いな混雑に紛れ込んだ。ラフレシアは時期が遅くしぼみ始めていたが、帰り道に「やしジュース」の店を見つけた。これはチャンスかも。ストローを突っ込んで飲んでみると味は青臭く、薄甘く、健康飲料に似た味でいざというときの水分補給以外に飲みたくなるようなものではなかった。
本屋でこの本を見た時は、「やし酒」か、あのジュースを発酵させたものだろうか、わずかな糖分が飲めるほどに発酵するものだろうか。深く考えもしないで、書き出しの大酒のみの部分だけ読んで本棚に押し込んであった。
今回引っ張り出して読み返すと、これが見事に発酵していた。たまらなくユニークで面白かった。
金持ちの長男で十歳ごろからやし酒を飲むだけの生活だった。この頃はまだタカラ貝が通用する世界で父親は大金持ち。やし酒のみの息子に広大なやし園を与えやし酒作りの名人も雇ってくれた。
これが話の始まりだが、この幸せは父親が突然死に、やし酒作りも死んで消えてしまった。
やし酒以外水も飲めない体で、残っていたやし酒も飲み尽くし、そうなると取り巻きも去り、代わりのやし酒作りも見つからなかった。死者の国からやし酒作りを連れ戻そう。この話はここが発端で、彼は「死者の国」に旅立つ
ジュジュという妖術か魔力を身に纏い、父親のジュジュまで重ね着をして、一歩を踏み出す。
「死者の国」は死者が天国に行く前に仮住まいをするところらしい。まだやし酒作りはいるだろう。
当時まだあちこちの道の奥にBushと呼ばれる深い森林があった。そこには未知の生物や魔物が隠れ棲んでいた。死者たちはきっかりと区分された国境線の中で暮らしていたが、その中でやし酒作りを探すのはほとんど運任せだった。
恐怖にさいなまれながら不思議な旅が続く。
チュツオーラの想像力はマジシャンが空中から鳩を取り出すように、「死者の国」を作り出す。
一つ一つの物語は、「死者の国」に住んでいるモノとの遭遇で、恐怖と命がけの戦が続く。
まず「死神」に頼まれ娘を取り返して嫁にする。彼女は市場で見かけた完全な紳士の後をつけて、彼が借り物の体のパーツをを次々に返し代金を払って頭蓋骨だけになるのを見る。骸骨紳士がいる「底なしの森」で娘は「頭蓋骨一族」にとらわれていた。これを救い出す方法が面白い。
連れ出した娘の親指から子供が生まれ、これまた輪をかけたやし酒のみで怪しい生き物だった。「ズルジル」という名前がある。幸い出会った「ドラム」「ソング」「ダンス」という善良な生物の中に赤ん坊を置いて出発する。
死者の国々を通過する有様は、チュツオーラの脳内でさまざまに変化し、読んでいるとまるで「ドラム」「ソング」「ダンス」を見せてくれるように揺さぶられ踊らされる。
運よく危険な魔物から逃れ、親切な一族に助けられ、探し出したやし酒作りは、死者は生者のところには戻れないという。
やし酒をたらふく飲ませてくれたが、別れ際に「卵」をくれた。その望むものが何で��出る魔法の卵をもって故郷に戻り、旱魃・飢饉で飢え死にする人々を救い、こっそり出しておいた金貨で大金持ちになる。
飢饉は「天の神」と「地の神」の争いで始まったものだった。貢物をもって行くと「天の神」は怒りを沈め。雨を降らす。
これはアフリカの風土から生まれた人たちの話で、チュツオーラが味付けして作り上げた神話に似た物語りではないだろうか。
我が国にも古事記から伝わる、神話、民話、伝承、文字のない時代の口伝の御伽噺などがある。異国の長い歴史の中で生まれ魂の奥深くに根付いたもの、根源的な死の恐怖や、想像力が作り出した妖怪変化や、アニミズム・力の及ばない大きな自然に対する畏れ、魂の救済も司どり心の支えになっている祈りの対象に持っている深い信仰心。このぶっとんだ「死者の国」の話は読んでいると遠いアフリカが少し身近に感じられる。
チュツオーラを読む、人間の原風景ともいえる、これらの話を読むとき、いつの間にかやし酒のみの旅が親しく響いてくる。
それにしても「打ち出の小槌」か「玉手箱」のようなものはどこにでもあるもので。人類共通の「望み」かも。
チュツオーラという作家は、アフリカでも文化都市に生まれ、そこで途中まで教育を受け飛び級するほど優秀だったそうだ。ただやはり風土のせいか教育費に事欠き、望むような道に進めなかったらしい。
このあたり、独立戦争でやっと勝ち取った自由や長い悲惨な歴史、今も続く部族の争いなどが浮かんできた。豊かな資源がかえって不幸を呼び寄せたことも考える。
やし酒はあのヤシジュースから作るのではなく、やしの幹に出る芽を欠いて、そこから出る甘い樹液を発酵させたものだとか。
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10歳の頃からやし酒を飲むしか能がない男には、父が雇った専属のやし酒作り職人がいたのだが、ある日やしの木から落っこちて死んでしまう。途方に暮れた男は「死んだ人はすぐには天国へ行かず、この世のどこかに住んでいる」という古老の言葉を思い出し、死んだやし酒作りを探す旅へと出発する。
1ページ目から文体の酩酊感がすごい。「神である彼の家に、人間が、わたしのように気軽に入ってはならないのだが、わたし自身も神でありジュジュマンだったので、この点は問題なかった」とかいう一文が、主人公が神である説明一切なく急に出てくるので困惑するが、読むほうもアルコールを入れるとだんだんチューニングが合ってくる(笑)。
飲んだくれの語り手はどこも勇敢なところがないけれど、予言能力を持つ娘を娶ることになったり、訪れた村の人びとが全滅するなか自分たちだけ生き残り、あるいは生き返るような、古来の英雄譚を思わせる道程を辿る。魔物に追いかけられ、それを魔法で退治しながら新しい村に入り、その村のしきたりによる洗礼を受ける、というパターンの繰り返しはRPGゲーム的でもある。
ディネセンの『アフリカの日々』と続けて読んだら、池澤夏樹個人編集の河出世界文学全集と同じ組み合わせだった。
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最高の文体。癖になる。頭蓋骨は意思を持って転がるし、街は赤いし、魚は喋るし、「生き物」はいつまでたっても何の説明もない「生き物」だし、人探しの旅なのに一所に長々と滞在するし、全知全能の神のくせにできないことは多いし。実はそれを恥じてもいるし。
わからないものを「わからないまま」読むことに慣れておかないと先に進めない。でもそれがいい。これほど原作のおかしさを顕著に押し出す翻訳文学もなかなかないだろう。一展開ごとに疑問は尽きないけれど、一々立ち止まって「なんで?」を考えていたらキリがない。
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全然意味が分からない。行動に思考がない(ことはないんだけど、あまりにも普段私たちが行動の根拠としてるものと違いすぎて、ないように思えてしまう)ことに慣れなくて、最初どう理解していいのか戸惑っていたのだけど、この小説(なのか部族)の法則に則って生きる生に馴染んでいけば、めちゃくちゃ面白くなってきて、もう読み終わるのが嫌で、毎日寝る前にひとつだけ森を抜ける決まりにして、ちまちまと読み進めました。
とはいえ、小説という西洋様式を借りているのだから、彼らの生を描ききれない限界はあるんだと思うけど、様式に無理やり詰め込むことで逆に浮き立つ部分が沢山あって、借りる、なんてところにとどまらず、小説ってこんなことも出来るんだ、という新しい可能性が開けてさえいる。
とにかくめちゃくちゃ面白くて、読み終わってしまったのが悲しい。
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アフリカ文学。死んでしまった専属のやし酒造り名人。彼を連れ戻すべく「死者の町」まで旅する主人公(やし酒飲み)の神話的冒険譚。死神やら頭蓋骨やらと対峙したり妻を得たり。けっこうひどい目に遭いながらも、ときには良い待遇の町で長逗留して過ごすなど、アフリカ文化の知識がない私には荒唐無稽な展開に思えたが、解説を読むと、隠された背景を知らず読みとばした部分に目が向けられ、作品の奥深さに触れることができた。
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読みながら私はハンターハンターを思い出していた。
ハンターハンター作中で「世界地図によって自分たちが「世界」と思っているものはその実、暗黒大陸の中央にある巨大な湖、メビウスの中に浮かぶ島々でしかなく、外には未開の地が広がっている。」とある。
「やし酒飲み」で言えば、
これまでの経験から自分たちが「小説」と思っているものはその実、小説全体の一部でしかない。
「やし酒飲み」は我々の認識の外側にある小説であり、それゆえ読むとびっくりするが、「これは小説ではない」というようなことは思わなかったし、面白かった。