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投稿者:なつめ - この投稿者のレビュー一覧を見る
東日本大震災での大川小学校の悲劇が、詳しく記録されていて役立ちそうです。今後の教訓のために、大切だと思いました。
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辛い記憶を直視する勇気が明るい未来を創ると思う
http://s.ameblo.jp/motesaku/entry-11396174893.html
下記の震災ドキュメント,品薄だったのか,
Amazonから届くのに1週間ほどかかりましたが,
ようやく受け取りました.
池上 正樹 ・加藤順子 著
「あのとき、大川小学校で何が起きたのか 」
http://amzn.to/Sk7d85
震災時に限らず,避難判断の難しさは,
地球科学に携わる人全員が意識する問題です.
しかし,直視することがとても辛く,
難しいことでもあります.
地球科学に対して普遍的な問いかけを
含んでいるドキュメントだと思うので,
素直な目で読ませていただこうと思います.
以前,ツイッターで紹介した所,
@katoyoriさんおめでとうございます!
Amazon 社会政治・災害カテゴリ 第1位!
池上 正樹 ・加藤順子 著
「あのとき、大川小学校で何が起きたのか 」
http://amzn.to/Sk7d85
@motesaku ありがとうございます。
ただ、成果物としての達成感はほとんどないのです。
というやりとりがありました.
こうした辛い記憶のドキュメントをまとめるというのは,
前向きな達成感というのとは
全然違う次元のものだろうと思います.
それでも,きちんと多くの人に伝わるべきものが,
伝わるということは,前向きな未来に向けた第一歩だと思います.
みなさんも受け止める一人になって,
さらに広める一人になって欲しいなと願います.
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現場にいた、大人であり、唯一生き残った教員からの新しい発言がなければ、本当の意味で事実も検証もできないと思う。遺族達は対立を望んではいない。不誠実な教育委員会の姿勢も疑問に思う。これほど規模が甚大でなくても、ここまでこじれていない学校もあったかもしれない。もし、あればこじれなかったケースを参考にできればと思うが如何。
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108名の児童中,74人もの死者・行方不明者を出し,10人の教員も犠牲になった石巻市立大川小学校。地震発生から津波襲来まで50分もあったのに,なぜ避難しなかったのか? 校舎の後ろには普段も使っていたという裏山があったのに,なぜ登らなかったのか?
それが未だにはっきりしていないことにビックリしました。本書を読むまで,私は,こういったことはもうしっかり分かっていることだとばかり思っていました。生き残った人もいるのだし,近くの人の証言もあるし…と。
物事はそんなに簡単なものじゃなかったのです。それは,たぶん,責任問題に発展しかねないという,「上」の判断があるからだと思います。そう思えるに十分な「上の方々」の対応が,本書を読むと伝わってきます。
まさに,いじめ隠蔽問題の「ある」教育委員会と同じ体質がそこに見られるのです。
一刻も早く真相を解明し,しっかりした防災対策をとって欲しいものだと思います。
と,同時に,同じ教員として,襟を正して子どもたちの命と向き合っていきたいと思いました。
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先日東北沿岸部へ旅をした際、大川小学校に立ち寄ったのだが、小学校の建物と慰霊碑と近くにある裏山の他ごっそり何もなく、人々が暮らしていたことやこどもたちの遊ぶ姿があったことが想像できなかった。
なぜ全校生徒108名のうち74名もの命が失われたのか。未曾有の自然災害に際し仕方がなかったことだったのか。
本書を読み進めて行くと子どもたちや地域の人々がそのときどのように動いたのか、具体的で多様なその姿が生存者の証言から浮かんで来た。
それと比較して、石巻市の教育委員会が公式にまとめようとしている検証結果のあいまいさ、一貫したストーリーに無理矢理仕立てようとする意図を感じざるを得ず、驚いてしまう。
震災後を生きなければいけないそれぞれの事情から、そこに存在したはずのコミュニティが分解されていく。先日立ち寄った大川小付近の光景は、そのような荒野でもあったのかと思うと言葉が出ない。
危険を察知し、自身の経験や判断から裏山に逃げようと申し出た児童を制し、(教師が)校庭にとどまらせ(結果被災した)というのが真実であるならば、そんな学校や教育は世間に閉じた世界だと思わざるを得ない。
自分の子どもは籠の世界には送りたくはない。籠の中で何が守れ、生き延びる力を育てるというのか。
一方で大川小の先生方も命を守ることに一所懸命だったはずなのだ。だからこそ、真実の姿を再検証して無念を汲み取り、地域でも痛みを分担し合ってほしいと願う。
自分はこれから親になるにしてもなれないにしても、これから小さきものを守りながら生きる責任がある、と感じる。大川小を夫と歩いていたとき、地元の方に声をかけられた。遺族と間違われたようだ。決してあちらの世界の話ではないのだ。
震災関連の書籍、という枠を超えて、大事な子どもたちの命をどうやって守り、自立した大人に育てるかという観点で、多くの方に読んでもらいたい一冊である。
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東日本大震災の津波により、学校管理下にもかかわらず死者行方不明者84名(うち児童74名)を出した大川小学校の悲劇。地震発生から避難到達までの51分間、文字通り「何が起きていたのか」に迫るルポルタージュ。
しかしながら身内を守ろうとする教育委員会の厚い壁に阻まれ、真実を知ろうとする遺族の思いは遂げられない。民主党政権によるSPEEDI隠蔽と同じく、正常性バイアスとエリートパニックがひき起こした人災であることがよくわかる。
結局3.11が浮き彫りにしたのは、想定外の大惨事においては、自分の身は自分で守るしかないということか。「津波てんでんこ」こそが身を守る唯一の手段なのか?
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(2013.02.23読了)(2013.02.21借入)
【東日本大震災関連・その112】
東日本だ震災の生なましい記録を読むのは、そろそろ終わりにしようかなと思っていたのですが、図書館で本の題名を見て、借りる予定だった他の本を置いて、借りてきました。
著者の地道な取材により、ほぼ明らかになったように思います。
16章の「「空白の51分」を再検証する」に書かれています。
地震の第一波が治まった後、生徒を校庭に避難させ、そのまま山へ避難しようとした生徒たちを呼び戻し、校庭へ待機させたまま、教頭・指導主事たちは、どうすべきかを協議し続けていた。その間に生徒を受け取りに訪れた親御さんたちには、生徒を引き渡していた。遠くから通っている生徒たちの送迎バスも来ていたが、出発させずに待機させていた。
すぐ近くの山は、倒木の危険があるということで、避難経路としては、却下された。
津波の危険性を説く人たちの注意には、聞く耳を持たず、校庭にそのままいて様子を見るということにした。ところが、3時35分ごろ、津波が来たという、知らせを聞いて、山側でなく、富士川の方へ向かって逃げたが、そちら側からも津波が来て、生徒74名、先生10名が犠牲となった。助かったのは、先生1名と生徒4名。
助かった先生1名は、津波の直前、学校の2階に上がり、今後の避難場所として適切かを見に行って校庭に戻ってきたときには、津波が間近に迫っており、まだ校庭に残っていた生徒1名を伴って山側に逃げた。この2名は津波に呑み込まれていない。
残りの助かった生徒3名は、逃げる途中に津波に呑み込まれたが、かろうじて助かった。
教育委員会側の発表では、山側に逃げようという話は、聞いていない。避難を開始したのは、3時25分ごろ。助かった先生も津波に呑み込まれ、怪我をしていた。と、いうことになっている。
ニュースで聞いた時には、山側に登るには、子供の足では無理だったので、ということだったように思うのですが、そうではなく、倒木があるから、ということだったようです。(実際には、倒木はなかった、ということです。)
2011年3月11日、2時46分に、僕は、岩手県大船渡市にいたのですが、次から次と大きな余震が襲ってくるので、家に入ることもできず、3時半過ぎまで、庭に止めてあった車の中で過ごしました。そういう意味では、大川小学校で、3時半過ぎまで、校庭から動けなかったというのもわからないではないのです。津波さえ到達しなければ。
幸い、僕の家までは、津波が到達しなかったので、助かりました。自宅から150メートル離れたあたりまで、来ていたのは、後で知りました。
【目次】
プロローグ 「子どもたちは、見えない魔物に殺された」
1 釜谷地区と大川小学校―かつて、そこにあった風景
2 悲劇はどのように伝えられてきたのか
3 開示された聞き取り調査
4 「避難途中に大津波」は嘘だった?
5 ひた隠しにされた被災状況に関する公文書の「嘘」
6 「校長のひと言」から生じた「人災」疑惑
7 破棄された聞き取り「証言メモ」
8 石巻市教育委員会の混乱と逡巡
9 元指導主事の「証言メモを捨てた理由��
10 実態を把握していなかった文部科学省
11 やっと1年5か月後に実現した文部科学大臣視察
12 現場検証でもうやむやにされた「51分間」
13 大川小学校大惨事の目撃者たち
14 子どもの死の意味を問い続ける遺族たち「命の言葉」
15 生存児童の証言―てっちゃんとおっとうの覚悟
16 「空白の51分」を再検証する
17 大川小学校のこれから―いま、ここにある風景
エピローグ 「子どもたちに、ひと目会いたかった」
●山(62頁)
「大川小学校の体育館脇には、誰でも登れる山があり、シイタケ栽培などで、子どもたちが日常的に登っていた。あの日、私たちの多くは、津波が来ても、あの山があるから大丈夫だろうと考えていました。スクールバスも来ていた。」
●山へ逃げよう(105頁)
津波が来る前、「山へ逃げよう」と、必死に訴えていた児童の証言が、市教委作成の公文書の聞き取り記録の中には残されていなかったのだ。
●報告の義務(116頁)
船越小は、市教委のある市庁舎からは、最も遠い被災校の一つで、通常の道路で35キロあまり離れた海辺にある。通信も交通も分断された中で、各学校の責任者は、山を越え、時に水の中を進み、市教委まで状況を報告に行ったのだ。そこまでしてでも、駆けつけて報告する義務があったからだ。
ちなみに、大川小の当時の柏葉照幸校長が初めて学校を見に行ったのは、3月17日だった。
(市教委に柏葉校長からの報告が送られたのは15日。ファックスでの報告。)
●3号配備体制(119頁)
3号配備体制とは、すべての職員が職場で24時間の勤務するのが原則。各学校では、災害発生時、校長、教頭、またはそれに代わる教職員が、施設の被災状況を速やかに電話やファックス、メールで教委に報告することを義務付けられている。
●震災直後(156頁)
私たちが震災直後この地に入ったとき、ここは、まさに地獄絵図でした。それでも遺族全員が、一生懸命、手で砂に埋もれた子どもたちや先生方を掘り起こしました。何の資材もありませんでしたから、遺体を地べたに置くわけにもいかず、流れ着いた畳や板のようなものに上げて、濡れた毛布をかけて、何とか安置したという状況です。
●現場検証(164頁)
市教委は、2012年8月21日、同校の津波被災事故から1年5か月が過ぎて初めて、現場検証を行った。子どもたちが学校を出てから被災するまでの経路と、おおよその距離を割り出すことのみを目的とした調査だ。
この日の測量の結果、子どもたちが逃げたあの時の経路は、校庭から離れた遠い地点でも、185メートルあまりだったことがわかった。
●教育長は不在(173頁)
2010年12月5日、当時の綿引雄一教育長が脳梗塞で入院したにもかかわらず、亀山市長は新たな教育長を任命することのないまま、翌年の3月11日、震災が起きた。当時の教育長の長期不在は、今日の大川小の被災対応の混乱を招く一因にもなっている。
●第三者検証委員会(181頁)
主な論点は「学校の置かれた環境」「震災前の学校・教育委員会の取り組み状況」「震災時の対処行動」「その他、今回の事案と学校防災に関する提言」を挙げる。
●余計なことは(224頁)
大川小も、柏葉校長が就任して以来、ガラリと変��ってしまった
「何をやるにも縛りをかけられて、自由がなかった。学年PTAでも、これまで行われていた餅つき大会やキャンプ、肝試しなどが、火を使って危ないからと中止された。PTAバレーの学校対抗戦や反省会、育成会主催のスキー教室にも、先生方が参加しなくなった。余計なことは一切するなという態度。」
(このような校長先生の方針からは、津波が間近に迫るまで、避難行動を起こさないという結果が導きだせそうだ。)
●スクールバスの到着を(244頁)
河口に近い集落では、地域の人たちが「津波が来るから山に上がろう」と強く促したにもかかわらず、孫を乗せたバスの到着を待っていた多くのお年寄りが、犠牲になった。
●山へ(284頁)
教務主任のA教諭は校庭に出ると、〝山だ!山だ!山に逃げろ〟と叫んだ。それを聞いて、山にダーッと登って行った子どもがいた。しかし、教諭の誰かから「戻れ!」と怒られ、連れ戻されている。
☆関連図書(既読)
「ふたたび、ここから-東日本大震災・石巻の人たちの50日間-」池上正樹著、ポプラ社、2011.06.06
「石巻赤十字病院、気仙沼市立病院、東北大学病院が救った命」久志本成樹監修・石丸かずみ著、アスペクト、2011.09.06
「石巻赤十字病院の100日間」由井りょう子著、小学館、2011.10.05
「奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」」中原一歩著、朝日新書、2011.10.30
「海に沈んだ故郷(ふるさと)―北上川河口を襲った巨大津波 避難者の心・科学者の目」堀込光子著・堀込智之著、連合出版、2011.11.05
「さかな記者が見た大震災石巻讃歌」高成田享著、講談社、2012.01.06
「笑う、避難所」頓所直人著・名越啓介写真、集英社新書、2012.01.22
「ボランティアナースが綴る東日本大震災」キャンナス編、三省堂、2012.02.15
「東日本大震災石巻災害医療の全記録」石井正著、ブルーバックス、2012.02.20
(2013年2月24日・記)
(「BOOK」データベースより)
なぜ、「山さ逃げるべ」という児童の懇願も受け入れず避難が遅れたのか?なぜ、石巻市教育委員会は児童の聞き取り調査メモを廃棄したのか?なぜ、真相解明を求める遺族の声は聞き入れられないのか?膨大な資料開示請求から得た新事実と、行政・遺族双方への綿密な取材によって再検証する、渾身のノンフィクション。
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子ども達の遺族・市教委・校長・諸々のやりとり,不備。
あの震災から何も学んでいない,息子の小学校の学校執行部の顔が重なった。彼らも,次にあの地震と同じ規模の地震が起きて,子ども達が犠牲になっても,大川小学校の前校長と同じような対応を取るんだろうな…と辛くなった。
子ども達は2度,殺されている。そんな印象だった。
そして事実を知りたい遺族。誠実に対応しているつもりでも,保護者との意識の違いが露呈している市教委・市長。
今,子ども達の声・生き残った保護者の声が同じ世代の子ども達を持つ親世代に届いているのだろうか?
読んでいて,苦しくなる本だった。
それでも,この本を書いてくれたこと・取材に応じてくれた保護者や関係者の方に感謝の念を禁じ得ない。
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読んでいて辛かった。
寝る前に読む本じゃない。
内容は3.11の津波で宮城県の大川小学校で児童・教員を含めて80人近くが亡くなった惨事について。
学校管理下でこのような大人数の被害者を出したのは大川小学校だけらしい。
なぜこのような事態になったのかは詳しいことは分かっていない。
それは主に市教育委員会によるミスや責任逃れのための事実の隠蔽が原因で、読んでいて憤りとどうしようもない無力感で嫌になった。
本の前半はそのことについて、後半からは亡くなった子どもたち、遺族にフォーカスを当てていく構成になっていて、途中からものすごく悲しくなってきた。
ディズニーランドを楽しみにしていたとか泣いちゃうよ。
子どもたちの命は救えたとしか思えない。
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3・11の大津波で、大川小学校は84名もの児童、教職員がなくなった。しかし、一方で、「てんでんこ」―各自の判断で生き延びた多くの学校のことを考えると、なぜ大川小ではこのような悲劇が起きたのか、だれしも知りたくなる。NHKでは、2013年の3月8日にその報道をしたのだが、ぼくはうっかり見逃してしまった。そのかわり、新聞の書評欄で見つけたのが本書である。大川小学校の悲劇でもっともひっかかるのは、児童たちが、地震が起きた後、校庭で50分も待機し、逃げたのは津波がくる1分前であったことである。なぜ、こんなことになったのか。本書の二人のジャーナリストは事実を、幸か不幸かその日はそこにいなかった校長、教育委員会、市長、遺族、土地の人々への取材で浮かびあがらそうとする。しかし、そこで遭遇したのは、無責任な校長、教育委員会、市長たちの姿である。(よくここまでいなおられるものだと思う場面も少なくない。)一番の鍵は、教師の中で唯一生き残ったA教諭だが、ショックのためか、ドクターストップがかかって、父兄へ一度書面で説明をしたあと表へ出てこない。しかも、その手紙と市教委の報告とは矛盾する内容になっているというのにである。大川小の悲劇はp283以下に、仮説として再現されているから、気の短い人はここをまず読めばいい。というのは、本書は聞き書きを中心に構成されているので、A教諭にしても、最初読んでいて、そんなにとりみだしているのは女性なのか(女性の方すみません)とか思ってしまったが、最後まで読むと「学年主任」までしている人である。つまり、全体を読まないと人物像がわからないようになっているのである。また、これだけの人が助からなかったのはなぜかという疑問に対しては、まだすっきりしないままだ。たとえば、子どもたちは、近所の山は、きのこの栽培もしていたのでよく登っているし、父兄もあの山があるから、学校は大丈夫だと思っているのにそこに登らせなかったのはなぜか。残った教師に聞いてみるという法はなかったのか。規則でしばる校長の資質を問題にしているが、それなら、日常、自由な思考、行動を制約されることがあったのか。もうすこし、つっこんで取材してもらいたかった気がする。
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防災教育とは、マニュアルを作ることでも、マニュアルににそった通り子どもたちが動けるようにすることではなく、自分の命に責任をもって、自分が動けるように子どもたちの心をはぐくんでいくことだと思った。
釜石で「津波てんでんこ」「命てんでんこ」という言葉があり、あれほど町が壊滅的な被害にあっても、多くの子ども達の命が救われたのは、こうした普段から地震、津波、自然災害がきたらどうすればいいかということが、子ども達の頭にも体にも刻まれていたからだと思う。
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「何故こうなったのか真実を知りたいだけ」
その想いがただ積もっていくだけの現実がつらい。
自分も最初は何を問題にしているのか分かってなかったけど、
この隠蔽問題が事実を歪ませていたのか、と。
この状況を子供たちがこの先どういう形で思い出すんだろう。
忘れました、覚えていません、分かりません。
そんな言葉が聞きたい訳ではないのに。
誰もが助かろう助けようと動こうとした事は本当だと思います。
だけど、先生がいなかった方が助かった、と
言われてしまう現実。
事なかれ主義、と簡単に決めてしまえるのかも分からないけど、
そうとしか思えない行動が多すぎて。
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3.11の大津波で、全校生徒108人のうち、実に74人の死亡・行方不明者を生む大惨事の舞台となった宮城県石巻市立大川小学校。
これまで、ひた隠しにされてきた「空白の51分」の悲劇が明らかになった。
なぜ、「山さ逃げるべ」という児童の懇願も受け入れず避難が遅れたのか?
なぜ、石巻市教育委員会は児童の聞き取り調査メモを廃棄したのか?
なぜ、真相解明を求める遺族の声は聞き入れられないのか?
膨大な資料開示請求から得た新事実と、行政・遺族双方への緻密な取材によって再検証する、渾身のノンフィクション!
やっぱり、今までにない体験をした場合、津波なんてこない、自分に限って大丈夫って思ってしまうんだろうなと思う。
しかたないとは言えないけど、なんとなく気持ちはわかる。
でもそれを隠そうとするのはやっぱり許せない。
ちゃんと本当のことをみんなに伝えて、今後のために生かしてほしい。
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「石巻の奇跡」に対して、大川小の悲劇は、後世への警鐘としてしっかりと伝えていかなければならないのだと思う。ただし、残された人々が争っているのは、切ない。
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本書の中でも述べられているが、事実を明らかにして今後に役立てていくことが生き残った私たちの使命ではないかと思った。