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キャロル・グラハム『幸福の経済学 人々を豊かにするものは何か』日本経済新聞出版、読了。経済学の分野で注目を浴びるのが「幸福」。が、ベンサム的効用論と、アリストテレス徳論の二項対立で分断されてきた。本書は調査と思想史からその両面を捉え、「幸せな農民と不満な成功者」の実相に迫る。
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幸せとは何か。を考える書。経済発展と人々の幸福感を結び付けようとしているようにも読めたが、読者の力不足からか、結局タイトルと中身のちぐはぐさが残った。
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幸福の経済学。
幸福は政策決定の尺度となりうるのか、使えるものなのか。
などについて、最新の事例を交えて現状を紹介してくれている。
GNPを補足するものとして、幸福度・厚生といったものは本当に使用に耐えうるのであろうか。
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最近、ちょっとはまっている「幸福の経済学」関係の入門書。
今まで読んだ範囲では、この分野で一番分かりやすいかな?
分かりやすいだけでなく、とっても深いところまで、すっと入って行く。
あと、訳者のあとがきも、本書と日本のデータとの関係を紹介していて、とても良い問題提起になっている。
内容は?
読んでみてください。
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幸福という曖昧なものを経済学の、または国の政策に反映させるための課題を多く浮き彫りにしている。
パラドックスの問題がまさにそうで、経済成長をする過程で人々は一時的には不幸になる。ここにはおそらく行為者性を多く伴う作業が、経済成長につながっているからであろう。
また、比較する対象が変化すること、期待値が低く固定化されてしまっているがための(アフガニスタン人の例)はとても興味深い。
著者としては、いわゆるアメリカ的な機会の平等を重視しているが、当然そこにはその機会を与えられる人の行為者性があるかどうか、はまた別の問題である。
ポイントとしては「行為者性」の向上なのだろう。不幸が伴うにしても、幸福をアリストテレス的に捉えるのであれば重要である。
そして、個人の能力をどう改善するか、例えば行為者性を獲得するためにはどうするべきなのか、などが着目すべき必要があるのだろう。
また、人間の慣れが、本来はよくない形の行為をいつの間にか適正な水準が下がっていることなども興味深い。一時的な労苦を将来振り返る際に、有用なのだろうか。
加えて時間軸の問題もある。長期的に捉えることができるとすると、一時的な快楽のみならず、経験としての厚生を達成することにつなげられると考える
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幸福の定義として、幸福をベンサム的な意味(快楽)とアリストテレス的な意味(意義深い人生を送る機)という二つが考えられ、どちらを重視するかは、その人の持つ能力や状況に影響される事を指摘している点が印象に残った。
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幸福の経済学というものがまじめに研究されているという事態に驚く。
「幸せな農民と不満な成功者」というパラドクス表現も使われる。国際間比較を見ても、国民の満足度と所得や経済成長とはあまり相関があるようには見えない。
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■内容
- 幸福の経済学を政治に利用する試みについて、現状研究されていることと、課題が解説されている
▼分かっていること:
- 計測した幸福度に影響する要因の重要性を調べる
▼課題
- 計測した幸福度を比較可能なものに整理する(指標の作成?)
→適応能力に関する説明、客観的な幸福と主観的な幸福の差異の説明
- そもそも幸福とは何かの定義
- ベンサムvsアリストテレス
- 政策目標として追求すべき指標は?
■感想
- 課題だと思ったこと
- 指標の作成
- 幸福度を計測する難しさ
- 読んで思ったこと
- 幸福の追求は難しいが、まず不幸を減らすことが大事なのでは(不幸を取り除いても、幸福度の向上には繋がらないかもだけど、、)
- 現実に満足できるかは、行為者性を高められることがポイント
- ある程度発展した社会では自分の生活について振り返る、豊かな社会に適応していることに気づかせるのが有効なのでは、、
- 結婚や就業スタイルについては、政策として打ち出してしまうと少数の人が苦しくなる恐れがないか
- 公共政策の利用という点で書かれているけど、個人の幸福を考える上でも参考にしたい点があった