投稿元:
レビューを見る
「わりなき恋のおとぎばなし。」
国際的に活躍するドキュメンタリー作家の伊奈笙子は、パリ行きの飛行機の中で偶然隣り合わせたエリートビジネスマンの九鬼兼太と恋におちる。笙子70歳、兼太59歳。互いを得がたい存在として求め合い、いたわり合い、時には激しく嫉妬し…。その思いの命ずるままに、7年の歳月をともに恋に生きた男女の物語。
男女とも老年で、男のほうが十一歳年下。
ともに世界を舞台に活躍するいわゆる成功者で、女は未亡人、男には家庭がある。
そういう条件を全てそぎ落とすと、その出会いから別れまでが描かれるベタな恋愛小説。
年配者がいつまでも若々しい昨今、どこかにこういうこともあるだろうなとは思う反面
この舞台でこの設定のこの小説を往年のパリ女優岸恵子に語られると
やはりドラマに過ぎないのかなとも思う。
本書を読んでいて特養老人ホームにヘルパーとして勤める友人から聞いた話を思い出す。
「利用者さんの間でも普通に三角関係とかあるのよね」
人を好きになることに年齢制限なんか無い。
「好きだから一緒にいたい。相手を独占したい」というシンプルな想いは全世代共通だ。
だからむしろ幼稚園でも学校でもオフィスでもあるのと同様に
特養老人ホームでの三角関係のほうがより現実味があるというか親近感を持つというか。
『わりなき恋』はおとぎ話に思える。
すみません、夢が無くて。
投稿元:
レビューを見る
五木さんやこの作品の岸さん、ノリノリが過ぎませんか〜
男性と女性が互いに感じあってお付き合いが始まるというのはわかりますが、それが60のじいちゃんと70のばあちゃんっていうのがこれはかなりしんどかったです。若いもんと違うところは、お金があってこの人たちは名声も持っているということ。60にして己の欲するところに従いて規をこえず。という雰囲気ではどうもありません。
東日本大震災やアラブの春など、現実に戻った時、ワタシの気持ちも「この人たち、60のじいちゃんと70のばあちゃんだったんだ」と作品内の現実に戻ってしまい、興ざめでした。
近頃の週刊誌に「70になっても…」なんていうのがよく出てきますが、してもいいけど人前で言うな!というのがワタシの正直な気持ちです。五木さんやこの作品の岸さん、ノリノリが過ぎませんか〜。
投稿元:
レビューを見る
海外出張の多い、60歳のメーカーの役員の男性と、やはり海外へ頻繁に出かける仕事をしている70代の女性の不倫話。
女性は独身だけど、なぜこんな嘘つき男に魅了されるのか???
投稿元:
レビューを見る
70代の女性が主人公だが、少し無理があるような・・・
そりゃあ 介護施設でやりたくもない紙風船をついたりカスタネットをたたかされたりそんな時間を過ごすしかない人達に比べたら笙子のような日常はうらやましい・・・が
笙子のまわりが理解があっていいが、普通は社会的に許されない恋に関してはみんなこんなに理解してくれないし、非常識だとか、散々嫌われ誰も味方なんていないはずなのに・・・
投稿元:
レビューを見る
歳いって、そんなに好き勝手なことしたらアカンやろう!って感じですが、まぁちょっとはうらやましくもあります!
投稿元:
レビューを見る
人生について…
「人間はみんな道を外したり、立ち止まって考え込んだりしながらいきてゆのよ」
「私はしあわせを壊すために存在していません。私はしあわせを作るために生きています」
「人生なんて、忘れていたさまざまな思い出のかけらが繋がってできているものなのよ」
愛について…
「私たちの愛は時を経て静かにかたちを変え、もっと安らかなものになったのかも知れないし、鮮度を薄めて引き潮のように浜辺から遠ざかりつつあるのかも知れない」
「愛なのか、愛着なのか、執念なのか、惰性なのか。彼を肌の一部のようにも感じるけれど、私が彼のどのあたりにいるのか分からない」
投稿元:
レビューを見る
【世界中をデートする高齢者のおとぎ話】
かなり読み進めるまで、笙子が70才だなんて分かり難い文章だったので、びっくり。
全体的に笙子は江國香織に出てくる、外国人ライクなおばさまって感じの性格。海外を自由に行き来する才能に溢れた生活には憧れるけど、やはり九鬼含めて、なかなか有り得ない人物像で、
その忙しい二人が不倫するってのも、リアリティに欠けまくると思う。
そもそも九鬼は本当にむかつく!
会社関係者に笙子を同席させたり、いきなり北海道旅行したり、軽井沢の本妻用の別荘を見に行く旅行をしたり、無神経すぎる。
時々笙子が「このひとは私を壊していく」と逡巡するシーンがあるが、ほんとに見方によれば、ホラーだと思うわ
あと、笙子がドキュメンタリー製作者であるから、仕方ないが、少々世界中を旅しすぎる。その箇所箇所でのトリビアやエピソードが多すぎて、散漫になっているあ
投稿元:
レビューを見る
出会った当時このままでは二人とも焼き焦げてしまうのではないかというくらい情熱的に恋をしていた。ただ彼には家族があり、時の経過とともに少しずつそれが垣間見えてきて苦しむ主人公。また、今までに見たことのなかった彼の一面に触れた時の彼女の驚き。恋もその他の人間関係も突き詰めていったとき、疲れのようなものを感じるのかもしれない。彼は孫に触れたときその喜びを隠すことなく彼女に話し始めた。彼女は嫉妬より彼の幸せそうな姿を見て、互いに愛していたけれど、彼を家族のもとに返す決心をし、彼が飛行機に乗るとき別れの手紙を手渡す。愛していながら相手を思いやり分かれていく二人が素敵だと思った。苦しんだとしても何もない人生より良いのかもしれない。私もいくつになってもこんな恋のできる人でありたいと思った。
投稿元:
レビューを見る
パリ在住の女優岸恵子さんの作品と知り、興味津々で読みました。
「わりなき」とは「終わりなき」の意味だそうです。
国際的なドキュメンタリー作家・69歳の伊奈笙子と、大企業のトップマネジメント・58歳の九鬼兼太。二人は、2005年の春、パリ行きの飛行機で偶然隣り合わせの席になり、運命にもてあそばれるかのように、親交を深めて行きました。70歳を目前に控え、夫に先立たれて一人娘を育て上げた笙子は、仕事に没頭する毎日でしたが、そこへ妻子も社会的地位もある10歳以上年下の九鬼が、入り込んできました。いつしか深い仲となり、年齢を気にしながらも、笙子の心はときめきます。二人が知り合って7年の歳月が流れた頃、東日本大震災がおこりました。家族や身内の安否を気遣う九鬼の姿を見て、笙子は苦い決意をするのでした。
70歳の女性と60歳の男性の恋???
あまりにも現実離れしているなと思いながら読んでいました。
高齢者とも言える年齢ですが、バリバリ社会人として働く主人公たちには、老いなど感じられません。二人が陥る恋愛も・・・若い!。年上の独り身女性が年下の妻子ある男性へかける思慮分別、愛憎、執着、ためらい、苦悩が随所随所に感じられました。さすがに「大人の恋愛」です。
作者は主人公の笙子を自分の分身として書かれていたのでしょう。なにかしら、作者の半生とダブルような作品でした。
人生におけるこれが最後の恋。
この年齢になってこれだけの恋が出来るというのは
まだまだ色々な可能性にとんでいて、
運命の出会いとも呼べるステキな人がいるということなのでしょうか。
個人的な意見としては、
こんなにステキな男性にはなかなかお目にかかれないでしょう。
「わりなき」恋も、私の場合、体験できそうにないなと思います。
余談ですが・・・
岸恵子さんといえば、子どもの頃夢中で見ていた山口百恵さん主演のテレビドラマ「赤い疑惑」を思い出します。岸さんは、主人公大島幸子のパリ在住の叔母さんという設定ですが、実は幸子の生みの母。白血病におかされた幸子は、パリの叔母さんに会いに行きます。そして、このパリでの思い出が最後の楽しい旅の思い出となったのです。岸恵子さんとパリの関係が、子ども心にも鮮明に記憶に焼き付きました。
「わりなき恋」の内容はもちろん「赤い疑惑」とは全然関係ないのですが、パリで過ごすシーンがいつくかあり、そのたびにあのドラマを思い出し、懐かしく思いました。
投稿元:
レビューを見る
読むのに時間がかかってしまった。
夢中になって早く続きが読みたい…とはならなかった。
69歳と58歳の出逢いを否定はしないけど、
文章が時に高尚過ぎて、時に稚拙で、なんだかくるくると気持ちが乗らなかったなぁ〜。
投稿元:
レビューを見る
69歳の笙子と58歳の九鬼が国際線の機内で知り合ってから、足掛け7年の交際模様を描いた作品。九鬼には妻と5人の子供がおり、笙子は30年前に夫を飛行機事故で亡くして以来の恋。出会ってすぐの心のときめき、恋がいつしか愛に変わる瞬間、意見の対立や激しい口論、ともに乗り越える試練。2人を取り巻く環境も時間とともに変化し、その中で叙々に移り変わる関係性が丁寧に描写されている。
岸惠子さんの本は初めて読んだ。なんだこの、溢れ出る文才は!読んでいて溜息が出るくらい美しい文章が、最初から最後まで淀みなく続いた。個人的に最も印象的だったのは、冒頭のこの一文。
「止めた足を人の往き交う雑踏の中に戻した女は、視線を遠くに結んで、ゆっくりと歩いた。(6頁)」
止めた足を雑踏の中に戻す・・・「歩き出す」という行為の開始を直接的な言葉にしないで表現しようなんて、わたしなんかには思いも寄らない発想。すごいなぁ。わたしが小説を読む原動力になるものは、内容そのものより、こんなふうに圧倒的な表現力を目の当たりにしたときの感動なのかもしれないなぁと思う。
たしか高校生くらいのとき、「小早川伸木の恋」というドラマがあって、大人のドラマなんか滅多に見せてくれなかった母親がなぜかそのときだけ了承をくれたので(何故なのか猛烈に気になってきたから次会ったら確認する)、食い入るように観た。内容も結末もほとんど忘れてしまったけれど、エンディングに納得できない!と凄まじく悶えた記憶だけしっかり残っている。
既に分別がついてしまった大人同士の恋愛は、相手への配慮とか自分への矜持とか、とにかく考えなきゃいけないことが多すぎて、好きならそれでいいじゃん!的な感覚だった当時のわたしには全く理解が及ばなかったんだろうなぁと今になって思う。今回この本を読んで、まぁそうなるよね、そうなるしかないよね、と、著者が設定した物語の着地点の合理性というか仕方のなさみたいなものに、すんなりと納得がいった。わたしも、大人になったのだ!
もしこの小説が、笙子にも家族がいる設定だったら結末はどうなっただろう。きっと「お互い様よね」という薄情な連帯感が息苦しいほど募る互いへの想いを発散させてしまうだろうから、こんな切なくて狂おしい小説になんてなり得ない。不公平だからこそ生々しくて、そのリアルさが心に刺さるのかな。
投稿元:
レビューを見る
勧められて読みました。著者の本は初めてで、映像からの印象しかなかったのですが、心情も丁寧に描かれていて一気に読みました。前半は、恐らく笙子と同じように九鬼の気持ちを全面的には信じられず、後半に近付くに連れ「このまま幸せな結末を」と、何が幸せな結末なのかもわからずに願っていたように思います。最後は、一般的な幸せ、2人が人生のパートナーとなることは難しいことを突きつけられましたね。この物語の幸せは、「幸せな時を持つことができた」に尽きますね。読み終わり直後より少し経った今、清々しさを感じます。