投稿元:
レビューを見る
図書館の新刊コーナーにあったので,
借りてみた。
博士論文を加筆修正したものなので,
少々表現が硬いが,意外と面白かった。
投稿元:
レビューを見る
1.丸山里美『女性ホームレスとして生きる 貧困と排除の社会学』世界思想社、読了。これまでのホームレス研究は男性が中心で、その立場から主体性や排除と抵抗の論理を読み解くものが多かった。野宿者全体のうち女性は3%というが、本書はその3%に初めて光を当てる。見えないものが見えてくる。
2.丸山里美『女性ホームレスとして生きる 貧困と排除の社会学』世界思想社。ホームレス論の現在、筆者の取材と調査に基づく女性ホームレスの実体とその生活、現状と福祉行政と未来への展望で本書は構成されている。迷いやためらいの中で問題に向き合ってきた筆致に筆者の誠実さが伝わってくる。
少し本書にはtwしたので、別の角度の蛇足を少々。
ホームレス研究自体が男性中心主義の眼差しで記述されていたように、ホームレスとなる女性(そしておそらくそうでない人も含め)、どこまでも男性中心主義の眼差しがインプリンティングされていることには驚く。
研究に対して女性の眼差しで捉え直すことは、近代家族を中心に設計された対応の見直しを迫るきっかけになるだろうし、学問のもつ「権力性」の認識から、再びそれを捉え直すことは必要不可欠な営みだ。しかし、「仮象」にしか過ぎない概念を大事にするフツーの人間をどのように説得していくのか--。
例えば……喩えは悪いのだけど……、離婚してそれぞれの道を歩んだ方が双方にとっていいのに、しがみつこうとするような場合、「それは虚偽だから」の一言では済まされないだろう。著者十一年の研究の軌跡は、長い間時間をかけて寄り添う意義や説得する意味を考えるヒントを頂いたような気がする。
※まとまりのない構成ですが、以下がその他の言及部分
丸山里美『女性ホームレスとして生きる』世界思想社を読み終えた所為もあるのだけど、女性ホームレスが圧倒的に少ないことには、「近代家族制度」の漆喰がガッチリ私たちにインプリンティングされているからだ。家族なんて百年近くの歴史しかない捏造された伝統なのに、準拠するあまり逸脱が許されない
男が働き、女性が、国民国家の兵士を養育することを目的に捏造された最小単位が家族だ。戦前から変わらぬ仕組みだけど、稼ぎ手の男が働けなくなった時、そのDVから逃れたくなったとき、無償のシャドウワークに専業していた彼女たちを誰が保証するのだろうか。
生活保護、年金等々、生活を守る仕組みは、それを「年金、百年の安心」などなんだのと取り繕うにせよ、すべて、専業男性+専業主婦女性をモデルに想定されている。しかし「家族」神話なるものがほころびをみせる現在、家族共同体を超えて、一人一人の人間に光を当てたものに変えないと話にならないわな
投稿元:
レビューを見る
こういう学術的なのではなく、ルポルタージュ、ドキュメントっぽいのを想像してしまった。
内容は良かったと思います。
ジェンダーの考察も含めたタイトルにすると分かりやすかったかな。
投稿元:
レビューを見る
女性ホームレスについて調査して書かれた本。ある人の生態について書かれている本ではないので、軽い気持ちで読む本ではなかった。
投稿元:
レビューを見る
構造的に見えにくい女性ホームレス問題を浮き彫りにしている。これは著者だからできる調査ではないか! 興味深く読ませてもらいました。
投稿元:
レビューを見る
事前に予想していたより学術的価値が高い内容だった。
ホームレスには女性は少ないと思われがちだが、そうではなかった。
「ホームレス」=「野宿者」ではなく、広義のホームレスではネットカフェ難民なども含まれる。
ホームレスの人は総じて学歴が低いが、女性はさらに低い。(半数以上が最終学歴が中学生以下)
また、ホームレスになるきっかけとしては、本人の失業が多い男性とくらべ、女性の場合には「夫の失業」「本人の失業」「関係性の喪失」などがある。
福祉制度全体が男性と女性とで異なり、女性が性別役割を遂行することを前提に設計されている。
投稿元:
レビューを見る
いつ生活必需品が手に入るかわからない不安定な生活のなかで、人と人との距離が極度に近く助け合って生きており、互いに偏見のないフラットな関係に過ごしやすさを感じる野宿者もいるようだ。
精神面に不安定さが目立つ方も多く、「一貫した自己」は生きるなかで形成される後天的なものだと伺える。
「あなたは、こういうタイプの人なんだね」って言うこと、言われること
カテゴライズされた結果、カテゴリの狭間で認識されない対象とされてしまうこと
「仕方ない」と言葉にしてしまえば、それは事実で。とても正しくて。
"いつ生活必需品が手に入るかわからない不安定な生活のなかで、人と人との距離が極度に近く助け合って生きており、互いに偏見のないフラットな関係に過ごしやすさを感じる野宿者もいるようだ"
「ホームレス」ときいて、ほとんどの人が想像するのは、中高年の男性だ。
実際に女性を見かけることは本当に本当に少ない。
本書に紹介されている野宿女性たちは、性役割に徹して自身のパートナーや同じ公園に住む人々とうまく協力して生きる姿として描写されているかと思えば、男顔負けなほど仕事をがんばって自分の手で稼ぎ生きる姿として描写されていたりもする。
少なくない数の女性が、「仕方なく野宿をしている」のではなく、部分的にでも自分の意思で野宿生活を継続することを選択して生きている。
その理由のひとつには、社会生活では差別や嘲笑の対象になりうるハンディキャップ、
例えば「小学校へあまり通えなかったため文字が読めず、計算も苦手である」、
などを野宿者たちは笑わず受け容れてくれるという環境もあるだろう。
「野宿」という、極度に生活必需品の不足した環境で、
自分に余裕がある時は他人を助ける、という道徳規範を大切にすることは、
自分に余裕がない時に他人に助けてもらえる、というリターンを大いに含んでいる。かと思えば、
彼らはまた、いとも簡単にコミュニティを捨て居住地を変えてしまう、糸の切れた凧のようでもある。
"精神面に不安定さが目立つ方も多く、「一貫した自己」は生きるなかで形成される後天的なものだと伺える。"
支援の手に繋がった野宿者は、時として「生活保護の申請をし、定住生活に移行するか否か?」という選択に直面する。
彼らは、複数の支援者にさまざまなシステムを紹介され選択を迫られるわけだが、その際の選択に一貫性がみられない場合も多い。
そもそも「一貫性」とは何か。
法律の側面から人間の行動を考えるとき、人間は「ある目的に適うよう、一貫した方針での選択を続ける存在」として設定されている。
では人間は果たして「一貫性」を持っているのか。
少なくとも、生まれた時に持っているものではないだろう。
安全な場で自分の気持ちを固める時間と余裕をもらい、利害両面から考えることができて初めて、生まれる考え方の芯だ。
しかし、説明をすべて理解し自分の中で再構築し利害両面を抽出し考えるというのは容易なことではない。
わたしたちは、毎日迷いながらいくつかの決断をし、ときにはそれを撤回し再考しながら生きてゆく存在である。つまり、わたしたちを、完全に一貫的な人間であると言うことはできない。
野宿者は、さまざまな困難を抱えている。経済的な困難はもちろんのこと、家族の問題や、身体障害や知的障害、発達障害なども複合して抱えていると推測される方は少なくない。考えるうえで他の人よりも多くのファクタを抱える彼らに、当然の性質であるかのように完全な選択の一貫性を求めるのは酷なことではないか。
これは野宿者のみに当てはまる言い方ではない。
女性支援、障碍者支援、他にもさまざまな支援に関わる人みなに言えることだ。
すべての人が、さまざまな選択をしさまざまなカテゴリに入ったり出たりしながら生きている。
一度の選択でカテゴライズし、安易に対象を固定して見ることで自己一貫性を求めるのではなく、
「迷えるひとりのあなた」が幸せになれるような選択とそのやり直しを、根気強く応援できる人でありたい。
投稿元:
レビューを見る
図書館本。前半のデータも読み応えがあり、ここがあるからこそ、後半の生活史が立体的に浮き上がってくる感じがした。日本に暮らす外国人女性の抱える背景とも共通しているところが多いように思う。
新装版が出たら、ぜひとも買いたい。
投稿元:
レビューを見る
京都大学に提出した博士論文の加筆修正である。半分ぐらいが公表されたデータの分析、あとの半分がフィールドワークと理論である。学部生のフィールドワークの授業の参考になるかどうかの観点で読んだが少し難しいようである。ジェンダーの修士論文及び博士論文執筆に参考になるだろうと思われる。