投稿元:
レビューを見る
エッセイ。
言葉じゃないってこと。
共通言語ですら文章だと誤解が生じたり、面と向かって話してても受け止め方で行き違ったりするもの。
アレとかテキトーな言葉で伝わるような、そんななんとなく受ける感じって大事だな。
それにしても、 ここまで明け透けだと面食らうんだけど、、、
投稿元:
レビューを見る
著者が5年程前に2ケ月滞在したセネガルでの日記的な紀行小説的な作品です。
余程の地理好きかアフリカ好きじゃないとあの巨大な大陸に詰め込まれている国々の地図上の場所をイメージ出来る人はそんなに多くないのでは無いでしょうか?
セネガルと言われても??ですがダカールと聞くと有名なラリーレースが開催されていたのでゴールである西海岸の乾いた砂浜と長閑な海岸線を想像出来ますが、
行動派である著者は、そんなダカール海岸やセネガルの街中を拠点として特別な目的も無くフィクションの様な実態の無いフワフワした生活を2ケ月間に亘って、コーディネーターである日本人女性やボディーガードの現地人男性等と食事・飲酒・旅行でセネガルという土地とセネガル人・セネガル料理を堪能し時にはシモネタで盛り上がり、ある時には群馬に残ってる彼氏の事を考えたり、精神は日本とセネガルを行きつ戻りつするその姿はまるで著者が描く小説の登場人物が乗移ってるかの様な印象で著者の魂を感じられる1冊です。
投稿元:
レビューを見る
高崎で「芥川賞の人」として暮らしている自分に
納得がいかないから来たのかもしれない―。
このセネガル体験が、その後見事に血肉になっていると思います。
現地の日本人に対しても忌憚が無い。あくまで人間対人間。
人種というフィルターを通して人を見ない、その姿勢がすごい。
投稿元:
レビューを見る
なんとも強烈な紀行文。
名前がややこしくてたまに混乱。
この作者の人間性がよーく出ている感じがした。
ゼネガルってどこにあるのかも知らない私。
一生行くこともないと思うが、何かの拍子に
絲山絡みで思い出すこともあるだろう。
しかし同行編集者、あんだけボロクソに書いて、
その後の関係は大丈夫なのだろうか。
そっちの方が気にかかる。まさかそこだけフィクション?
投稿元:
レビューを見る
絲山氏によるセネガルの旅行(?)記。
セネガル、という自分にとっては事実の情報をほとんど知らず、したがって偏見しか持ち得ていない国の滞在記。
行って、自分で確かめること。
大切なことだけれど、有限の時間の中で、あとどれだけの国に対してそれができるだろうか。
投稿元:
レビューを見る
ちょっと長い旅のもたらす効果。しかもセネガルの2ヶ月。土地を知ろうとしたらきっとこうなるのでしょう。大使館だけではなく、企業の現地法人でも地元の人々と深く知り合おうとしない人は実に多い。それを実感する。絲山さんはそれをはっきり書くんですね。強い人だ。
投稿元:
レビューを見る
序盤はドゥドゥ・ンジャエ・ローズへの興味が記述を引っ張るが、
それ以降はひたすら人、人、人。
もはら僕にとっても、だめボディガードのソレイマンや、絲山の軽口を真に受けてしまったウスマンや、トッカリさん、ムッシュ・コンプロネなどなど、ここに登場した全員が、
もはや懐かしくなっている。
懐かしさ、思慕、愛着。これはただの旅行記にはないものだ。