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現代の地方都市は、かつての田舎にあった煩わしい人間関係はなく、ショッピングセンターで匿名の買い物をし、好きな家族や友人とだけの関係だけで暮らして行くことのできるほどほどパラダイスであるという説。若者は積極的に都会へ出ようとはせず、また経済的に出ることもできない。そういう環境の中で、中途半端な田舎である地方都市は、都会よりもド田舎よりも他者への想像力の欠けた場所になる。
著者の研究対象は岡山県であるが、自分の知る静岡や茨城の都市も似ている。描写される郊外の国道沿いにチェーン店が立ち並ぶ風景は、映画の『悪人』の舞台とも重なる。地方に住む若者たちの(今は見えないが予感されている)孤独は、深刻なものがある。どうつながるべきか、地方に住む者の一人として考えていきたい。
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地方都市出身、さらに大学時代を岡山で暮らした身としては、倉敷が典型的な地方都市のライフスタイルを体現しているという導入は実感できたし、面白く感じました。
最近の若者の「懐かしい」は商店街ではなくちょいマイナーなチェーン店というのも面白い指摘。
……が、JPOPの歌詞分析が院生の修士論文のようなノリで残念展開に。
社会学の本でこういうツッコミは野暮なのかもしれないけれど、音楽消費の変遷を考えると、BOØWYやミスチルとワンオクやRADWIMPSを同じ土俵で考えては無理があるのでは?
終章のコミュニケーション論に触れる部分をもっと膨らませて欲しかったかな……。同化段階というより、古市憲寿的に「あきらめている」方がピンと来ます。
個人的には、「岡山の若者たち」で1冊書いて欲しいな~
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非常に刺激的な、都市論かつ世代論。地方都市のイオンモールは「ほどほどパラダイス」であり、そこで休暇をほどほどに楽しむ若者の人間関係は友達・家族に限定されがち。だが、一部にハイパーコミュニカティブな意識のきわめて高い層も生まれつつある――。中盤のJポップ論も秀逸。B'zって、ミスチルって、だから売れたのか! 周囲にも一読を薦めたい一書。
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若者が昔のように都会への憧れをもたなくなった背景について。
三浦展のファスト風土論などを引き合いに出した地方の話、若者論かと思いきや、途中は、J-POPの歌詞の分析による若者在り方論、最後の方は、以前より多様になった人間関係の中で対話を通して合意形成をはかろうとする若者のコミュニケーション論や組織論的な内容。論じ方は多様ですが、全体としてはまとまりのある印象でした。すららと読むことができました。
次は、『居場所の社会学』も読んでみよう。(つちなが)
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大学時代の社会調査実習を思い出した。
はい、はい。対面インタビュー形式のアンケート。
事前に選挙人名簿からハガキを出し、回答のあった人のところに直接出向く。磐田市の田んぼの中をグルグル回ったっけなー。。。
あれ、その時のテーマって何だったけ??
Jリーグとなんちゃらの関係性…だったっけ??
さて、本書はそのようなフィールドワークの結果を元に考察を行っているのだが、モータライゼーションがもたらした「ほどほどパラダイス」は確かにその通り。東京まで新幹線で2時間半という地方に住んでいる身としては、わざわざリスク(家賃を含む物価の高さ・コミュニティの一からの構築など)を冒してまで「都会」に出ていく理由が見つからない。もちろん、叶えたい夢などがある場合は別だけど。
今どきの高校生も「親元から通えるところ」に就職または進学希望するもんねー。ワタシは「進学を機会に東京に行きたい」と思った人間(でそれを叶えた)なので、本書を読んで今日日の若者の志向をなるほど~と理解した。
後半の「J-POP(というかロック)」から見る若者の変容は、歌詞を元にそれに共感熱狂する若者の姿を分析しているが、地方で音楽を糧にしていたものからもう一言足すとすれば、モータライゼーションに加えインターネットの普及は音楽を発信する者にとって、「わざわざ東京に行かなくてもヒーローになれるかも」と思わせてくれちゃった。実際に地方在住のミュージシャンは80年代などに比べると格段と増えたし。
インターネット通販の充実も確実に若者を地方の「ほどほどパラダイス」に引きこもらせる理由となっているよね。
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岡山県倉敷市を都会過ぎず田舎過ぎない「ほどほどパラダイス」と称してフィールドワークして書かれた前半は、岡山県民は読んどいた方が良い内容。中盤以降は地方都市を若者がどのように見ているかをJポップの変遷から見ていく。これもなかなか面白い。確かにイオン倉敷があればとりあえず困らないんだよな…。昨日も行ったし。
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現代の若者の地元志向についてはすでにいろいろな論者が指摘しているが、なぜ若者はそれほどまで地方に残りたがるのか?を、(1)若者にとっての地方の魅力の向上(とその背景)、(2)若者の社会に対する態度や価値感の変遷というふたつの視点から説明しようとしている。
(1)について、イオンモール等の巨大ショッピングセンターによって刺激的な都会/なにもない地方(田舎)の間に、「ほどほどに楽しい地方都市」という項目が挿入されたという視点は示唆に富む。ただし、根拠となっている調査データの信頼性が弱いのが気にかかる。
(2)については、もともと授業のために用意したJ-POPの分析(?)だからなのか、議論の粗さが目立つ。なぜその歌手(アーティスト)を分析するのかについてはまったく明らかにされていないし、ネタとしては面白いけれど、議論としてはどうだろう、と疑問を感じざるをえない。
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2013.09 とても参考になった。地方の実態、人気ミュージシャンからみた時代の価値観の変化はとても納得。
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「私生活主義」として、 「他者」を「ノイズ」として排することを目的として、同質的な人びとが集まってかたちづくられてきた郊外。両親はその典型。「うるさい他者」から逃げて自分の「家族」だけの世界をつくってきた。でも子供も他者なわけだから子供が大きくなると他者として出て行くことになる。そこまでも呑み込んでいこうとしても無理で結局そこで他者とのルールが必要になる。そういう家族たちの集まりが新興住宅地だ。そこにないのは、文化ではないか。自分勝手は居心地はいいが、自分だけの薄っぺらい我が儘なルールは文化にはなり得ない。所詮自分勝手でしかない。文化はどこへ行ってしまうのか。
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著者は「2000年代はヒットソング不在の時代」であることから逃れている。その点のみが、いや、その重要な点を無視している点において、もったいなく感じる。
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現在篇はなかなか面白かったです、
自分がいかに典型的な郊外の若者なのかよくわかった。笑
未来篇については、なんだか主張がふわふわしている気がする。
ギャルっていう存在を自分の主張に都合のいいように歪めて書いているようにおもう。
ギャルがクラスをうまくまとめて導いていく、という構図はわたしは見たことないな。
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「イオンモール」が地方都市の若者の欲求をジャストに満たす遠足的デスティネーションである、という入り方は面白いのに、その先がほとんど提示されなかったために期待外れ。総中流、但し右肩下がり、が今後20年のテーマだと思うのに、惜しいなあ。後半はJ-POPの歌詞から若者の感じ方の世代別の変遷を追う、という全くのトピックズレ展開で幻滅。牽強付会もいいところで、地方都市出身の人達が何を歌ってるかには触れておらず、これで統計的にもテーマ的にも何が言えるのかさっぱり分からなかった。
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多様性を前提とし「分離」状態にある男性「統合」状態にある女性の若者。単一な共同性を前提とした上世代より、新時代への可能性を秘める。
読み解かれていたたくさんのJポップ。ほとんど名前も知りません。これも、家族を含む身の回りの社会が小さくなった影響か。
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メルクマール イオン的なところ 倉敷市 鳥取県米子市 宮崎あおいアース 倉敷チボリ公園の跡地にアリオ倉敷
モータリゼーション (motorization) とは英語で「動力化」「自動車化」を意味する言葉で、すなわち自動車が社会と大衆に広く普及し、生活必需品化する現象である。狭義では、自家用乗用車の普及という意味で言われることが多い。国立国語研究所では、その「外来語」言い換え提案の中で「車社会化」という代替表現を提示している。
つまらない地方と刺激的な大都市という二項対立 程々に楽しい地方都市という選択肢 カナダ人アヴリルラヴィーン ファスト風土 ショッピングモール グリーンデイ 1988ソーホワット 群馬県高崎市 ボウイ 社会への反発+母性による承認 稲葉は反発ではなく努力をキーワードに、自分らしさを再定義した 様々なレトリックを駆使してリスナーをキミとボクの世界に引きずり込んでいく巧みな歌詞は関係性の魔術師たる桜井の面目躍如である。 キックザカンクルー レペゼン 江戸川のロックオン マクドナルドよりドムドム チャリで舞浜駆け巡りますか? サンチェーン アンサイズニア 完全感覚ドリーマー 夜にしか咲かない満月 野田洋次郎 おしゃかさま
第1象現は右上、第2象現は左上、
第3象現は左下、第4象現は右下。
90°180°270°360°は、
どこの象現にも含まれません。
変化するバイト先の風景 KY 蔑称
蔑称(べっしょう)とは、ある特定の性質を持つ者に対し、軽蔑や卑下を込めて使用する 呼称である。 イルボン チョッパリ ヤンキー的マネジメントとギャル的マネジメント スクールカースト 謙虚な俺様 統合 ワンオク 開かれている ジャイアントキリングに見る新時代のマネジメント
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2013.6刊行で読了が2014.1。「最近の若者は内にこもりがちで外に出ようとしないらしい・・若者よ、地元を出よ、日本を出よ」と思う人たちにこの本を読んでほしい、と説く。
著者は1976年岐阜県生まれ東大卒で、現甲南大学准教授(出版時点)なので地方から東京へ出た人だ。岡山県倉敷市近郊の社会調査や80年代からのJポップの歌詞の考察などを通し若者の行動、流動を考察。
そこから導きだされたのは、「地方にこもる若者たち」はすでに、これまでとは違うかたちで外に開かれはじめている。若者は現在の地元で、これまでとは違う形で外に開かれはじめている。そして「昔は~」と思う昔の人こそ、実は今の若者より開かれていないのかもしれない、と説く。
2011年に岡山県倉敷市を中心に、地方に生きる若者の実態を、余暇、人間関係、雇用の三つを中心に調査しているが、そこはまさに「ファストフード化」した地方都市だ。倉敷市には大規模ショッピングモールが90年代後半にできそこで映画、ファッション、食べ物などひととおりそろう。鳥取県境の町に住んでても車で1,2時間かけ休日に倉敷に集う。ここらへんの実態は自分の今の休
日の過ごし方と同じだ。
「今の若者は」と言う前に、70年代、何が何でも東京に行きたい、と強く思った自分たち年寄りは今の地方の変化に気づかなかった、ということか。インターネットもあり、ショッピングモールもあり、ほどほどに地方で事足りるのだ。東京も高度化された一つの地方、という見方もできる。
地方を「ファストフード化」以前、以後、と分けて考えた方がいいのでは?と思った。