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日本でもっとも幸福なのは、郊外に住む若者なのかもしれない。刺激は強いがストレスも多い大都市、自然は豊かだけどしがらみもキツい田舎、そんな二項対立の構図のちょうど間にスポット的に登場したのが郊外なのである。
仕事は低賃金だけれどもそこそこに、夜や週末は気の合う仲間とモールやファミレスで過ごし、家族とも仲良く同居しているのだけど車で移動するので地域コミュニティとの関係性は薄い。そんな郊外の若者像を切り取り、ほどほどにパラダイスな状況を解説している。
新書なので軽く読める感じであり、またアンケート自体を個人的に馴染みのある岡山県内で行なっているせいか、いろいろ具体的な人たちの顔を思い浮かべながら頷ける部分も多々あった内容だった。一方で面白おかしくするためにJPOPなどの時代背景を引っ張り出してくるのは良いアイディアだと思う。
■80年代 BOØWY(反発の時代)
氷室京介、布袋寅泰たちは地元を中心に、管理したがる大人社会への反発がテーマとなっていた。若者たちはいつも何かから逃げて解放されていた。漫画で言えば『シティーハンター』『北斗の拳』のように絶対的な悪と戦うことでカタルシスを感じさせるものが多い。
■90年代 B'z(努力の時代)
稲葉浩志、松本孝弘たちはとにかく自分が高みに登っていくことで自由になることを説く。若者は何もない地元を捨て、マゾヒスティックに戦い続けることで自分らしさを獲得する。漫画で言えば『ドラゴンボール』『スラムダンク』のように、自分を高めることでより強い相手と戦うことになる。
■00年代 Mr.Children(関係性の時代)
桜井和寿の詩はギラギラした反発や努力とは決別し、周囲に感謝することを説く。男女同権となって母性は弱くなり、女性は癒すものでも守るものでもなくなり、不安定な時代に対してともに歩いていくパートナーとなっていく。漫画で言えば『るろうに剣心』『ワンピース』のように、仲間を守り協力していくことで強敵に立ち向かっていく。
■10年代 KICK THE CAN CREW(地元の時代)
KREVAは仲間へのリスペクト、地元への愛情を恥ずかしげもなく歌う。都会に出ていくことはほとんどなくなり、むしろ地元を守りながら仲間と夢を叶えていくことで、自らのアイデンティティを獲得していく。漫画で言えば『NARUTO』『進撃の巨人』のように、自分たちのテリトリーを脅かす相手を仲間と協働しながら守っていく。
80~90年代に地元から逃げ、故郷を捨てていった若者たちは、再び地元に戻り始めている。しかしそれは必ずしも旧来の地域コミュニティと密接に関わっているということではなく、むしろ自分と同年代の気の置けない仲間たちのみで集まり、ちょっと離れたショッピングモールに出かけるといったライフスタイルが主流となっている。
そんな郊外で外の世界と隔絶した暮らしを送る地元志向の若者たちが、ホントの意味での地元振興に目覚める日は来るのであろうか。そのタイミングとなるのが子育てであり、スクールカーストのようにギャルが最上位になっている時代において、女性から地域コミュニティと繋がりはじめるのではないかという予測は至言である。
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【内容】 都会と田舎の間に出現した、魅力的な地方都市。若者が地方での生活に感じる幸せと不安とは―?気鋭の社会学者が岡山での社会調査を元に描き出す、リアルな地方社会の現実と新しい日本の姿。 (「BOOK」データベースより)
【感想】 地方にこもる若者の傾向を、調査から読み解く「現在編」。①地方都市の「ちょうどよい感じ」はが理想的な生活の場である。②家族と同世代の仲間で構成され、地域社会における煩わしい人間関係を排除したノイズレスな関係がある。③仕事への満足度を、やりがい(精神面)と親の支援(金銭面)によってカバーしている。といった地方都市に生きるものとして共感できるものがある。
Jポップの歌詞から若者の変容読み解く「歴史編」。80年代のBOOWY(反発の時代)→90年代のB'z(努力の時代)→90年代 のMr. Children(関係性の時代)→キック・ザ・カン・クルー(地元の時代)→ワンオクロック(ポスト地元の時代)という整理(P170)は、うまくまとまりすぎているが、何だか納得してしまう。人気の歌は、その時代の若者の思想・様相をうまく語っているのであろう。特に、Mr. Childrenの「関係性」の中に自分らしさを見出してきたというのは、そのとおりなのかもしれない。
これらの若者の傾向・変容の流れのなかで、これから地方都市でこもりながら「新しい公共」が育っていく可能性を筆者は提示する。このあたりは、さらなる調査・研究により深まればと思う。かつての安定した社会・公共性が崩れていくなかで、これからどのように私たちは、社会を生きるべきかを考える必要がある。そのきっかけは地方にあるのだろう。
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朝日新書らしいかるーい新書。
地方都市の変容とそこにおける若者について。イオンモール的なものにより、地方都市の魅力は増し、商店街は壊滅して地域の人間関係は薄らぎ、、、
部分部分は納得できるのだが、全体像で見るとちょっとこれ200ページ程度の新書でやっていいの?という粗さ。ギャルについてちょっと分析して、今の若者は多様性に対して柔軟に対応しているなどといって良いものか?
あと、突っ込みどころは多いものの、JPOPからその時代時代の若者像を分析するのも面白かった。ここでも正しいものは面白く無いが成り立つような。
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ちゃんとしたアンケート、インタビュー、観察に基づく考察。。
現在、歴史、未来編の3部構成。歴史編が80年代から始まっているのは著者が76年生まれだから。もう少し前からの状況も知りたかった。親の世代の話になるのだろうが。
実際、地元に残った連中のほうが、収入は少なくて楽しそうに見える。親と一緒のケースが多いのは、この本で紹介されているのと同じ。
今さら地元には帰れない。
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地方礼賛の本ではない。「彼らが愛してやまないのは、昔ながらの田舎ではなく、ショッピングモールやコンビニ、ファミレスが立ち並び、マイホームとそれらの間を自由に車で行き来することのできる快適な消費空間である。つまり、彼らは地元は好きだが、田舎が好きなわけではない」。若者と余暇、人間関係、仕事の観点から若者が地方にこもる理由を探り、Jポップの変化から地方に対する思想の変化を探り、未来編では、草食化をなげく大人たちに警鐘を鳴らす、といった構成。うーん。若者に対する取材はアンケートのみで物足りなさを感じる。リアリティを感じられるのは、地元に残る若者たちのことを直接知っているからだ。
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青森の高校生である福原愛が「休日の楽しみはイオンに行くこと」というのを聞いて、とても驚いたのだが、その実態がここにある。が、その楽しみというのが、モノ消費なのか?仲間との時間消費なのか?がいまひとつハッキリしない所はある。「岡山の若者たち」で出版予定だったものをこの題名に変更したようだが、題名通りの内容は現在編だけになっている。この現在編はフィールドワークとしてよくできているのだが、もっとサンプルや調査拠点を増やして文字通り「地方にこもる若者たち」の地方毎の差異の有無等を知りたかった。それで1冊にまとめてしまえばよかったのに、その後のつながりも悪く、全体としてまとまりのない、ボヤけた本になってしまった。
歴史編は著者お得意?のJ-POP歌詞分析だが、一応各世代の代表グループを選定しているとは言え、主張に合うものを選んでいるのでは?という恣意的印象は受けるし、解釈次第でどうにでなるこの手法はサブカル系本なら面白いのだが、この題名での郊外論・若者論として適当なのか疑問は残る。主張自体は悪くないので、根拠を歌ではなく、別の調査にすればよかったのに。
未来編は「ポスト地元」への論説になっているが、歴史編を受けての若者論になっており地方の話がなく、現在編の内容があまり生かされてないし、「新しい公共」を震災という特別事情から論じているのも説得力に乏しい印象を受ける。個人的にはヤンキーもギャルも大差ないと思っており(権威への支持率性差は興味深いが)、その対立軸はオタクやひきこもりであり、あとはコミュ力有無・自己肯定有無等々での分類になるのではないか?それに地方と都市の比較が加われば面白いと思うのだが。
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地方の幹線道を走ってみれば、次々にすれ違う大型店と、地平のかなたから迫り来る巨大ショッピングセンターに、確実に面食らう。地方暮らしは意外と快適なんじゃないか。漠然と感じていたことが、地元の若者へのインタビューによって立証されてゆく。
「地方都市ぐらいでいいと思います。そんな大都市はいいかなと思います。かといって、山間部はちょっと。」と答える若者の感覚は、最近この国を覆っているなんだか生ぬるい雰囲気を的確に表現している。
と、初めの三分の一はとても興味深いのだが、、、
B'zとかミスチルとか、若い頃カラオケでよく歌ったけど、どんな歌詞だったか覚えてる人いるのかな?あんまりそこを分析しても、、、
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タイトルは「おっ」思って地方在住の1人として購入。
前半のインタビューに基づく分析はなかなかであった。
しかしながら、後半の歴史分析をJ-popの歌詞から分析するのはちょっと飛躍しすぎなのかなって気がした。
思うところ、この本で書かれているイオンモール的なもの(=ファスト文化)がそこそこの地方都市に点在して、その中で生活することはそこそこに楽しいということ。
東京などの大都市があこがれの存在ではなくなりつつあるということか。
ネットなどの発達による情報格差もなく、amazonで都会と同じものを買えるしね。
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歌詞に見る若者の世界観が面白かった。グローバリゼーションである意味、どこでも均質な消費が可能で、IT化も進んで都会に情報が集積して圧倒的差異も創りだせないわけなので、エリート層を除けば、そこそこな暮らしが出来ちゃうんで何が悪いのか、反発すること自体が無意味で、旧世代の感覚になっちゃうんだなぁと。尾崎豊とか、今の若い子が聴いても、支配からの卒業とか、意味わからんってことなんだろうなぁ。とはいえ、ジャパニーズヒップホップ風ミュージックには全く共感できない。
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サバービアの若者、その心象風景をJ-POPの歌詞から読み解く!という着想にびっくりしました。ファスト風土が原風景である若者は、いったいどんな世界を夢見ているのか?なーんて。著者はさらにこの方向で調査考察を進めていって欲しいと思います。
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若者による"地方観"の変遷を、若者にウケているJ-POPの変遷から見ていくという着想自体はたいへん面白い。
だが、BOØWY('80s)→B'z('90s前半)→Mr.Children('90s後半)といった、それぞれの時代を彩ったロックバンドの歌詞を分析していったのちに、00年代を紐解く題材にヒップホップグループであるKICK THE CAN CREWが登場する唐突なチョイス(この時代にヒップホップが一世を風靡していれば話は別だが)には、やや疑問を呈さざるをえない。
また、10年代の分析として『おしゃかしゃま』が挙げられているRADWIMPSについても、「試行錯誤する自分らしさ」というよりは、90年代後半のミスチル的な「関係性によって作られる自分らしさ」を標榜した曲が多いイメージがあるのだが…。
このように、J-POPの歌詞分析にあたっては、多少の作為的な意図が透いて見える点は否めない。
とはいえ、岡山県でのフィールドワーク調査からの丁寧な分析は見事であり、地方都市の"ほどほど"さに魅力を感じている若者像を的確に捉えている。岡山市出身である私にとっても頷ける内容の多い、圧巻の鮮やかさであった。
過剰にも見えるイオンモールの位置づけだが、岡山県のイオンモール依存は本当に根深く、大型ショッピングモールという"ほどほどパラダイス"は、モーターライゼーションの進んだ地方にこもる人々にとっては、絶好の「樹液のなる幹」なのである。
各章で新鮮な知見の提供が為されている一方で、その繋がりをやや薄く感じてしまわざるを得ない点が、やや残念に思う部分。
しかしながら、各章の内容を繋ぐ明瞭な共通項を見出すことができれば、より興味深さを増した、ポップで新鮮な若者論となるであろうことは間違いない。
筆者には、引き続きの細やかな分析を期待したい。
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岡山に住む若者がどのような消費行動をしているか、何に楽しみを見出しているのかがわかる。郊外型ショッピング施設へ、1〜2時間かけてドライブをして、買い物をすることが週末の楽しみ。
中盤では、J-POPの世代別に若者の精神を分析。
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「地方都市はほどほどパラダイス」と
書かれた帯に目を惹かれ、手にした一冊。
かつての地方都市には商店街があり、若者の生活の一部として存在したが、現在の若者が地元のことを語る時には、「商店街」という言葉は無いという。
「つまり、商店街とは、若者にとって、地域社会における人間関係を学ぶ場所であるとともに、『よく分からない人』に出会わないと生活必需品を手に入れることができない『ノイズ』だらけの場所でもあった。(中略)モータライゼーションとは、そうしたノイズに満ち溢れた人間関係からの解放でもあったのである。」(p.52)
モータライゼーションとは、簡単に言うと、自動車の移動を前提とした街の作り方である。
地域社会との関係が無くても、今は良いのかもしれないが、今後はわからない。
自動車と街作り、そして地域社会との関係について、今後考えて行く必要があると思う。
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BOOWYのアホらしさ、B'zの暑苦しさ、Mr.Childrenの気持ち悪さを見事に解き明かしてくれて痛快。
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ファスト風土化する社会
イオンモールが既にノスタルジーになっている
イオンモールから離れたところに住んでいる若者にとって、イオンモールに行くことは「遠足」のようなものである。(中略)彼らにとって、それは、楽しむ場所のない家のまわりを離れ、1日かけてドライブを楽しみ、ショッピングを楽しみ、映画を楽しみ、食事を楽しむことのできる、極めてよくできたパッケージであり、まさしく「遠足」と呼ぶにふさわしい余暇の過ごし方なのである。
新しい公共
同質性がなくなって、島宇宙的になった社会で、
多様な他者たちの中でうまくやっていくやり方を
今の若者たちは身につけているのかもしれない!
新しい公共って必要なの?
商店街とかオヤジのノスタルジーじゃないの?
仲間内だけで楽しく助けあってやっていけばいいんじゃないの?
子供できるまでの若者が自分のことしか考えてないとか昔からそうでは?
昔は結婚規範が強かったから同質化させられていった
今は結婚が弱まってるからバラバラになってる?
地縁、ムラ社会から、
NPOとかボランティアの社会になってる、というのはそうかもね