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最近あるテーマに沿って日本史の通史(古代から現代までの歴史)を解説した本を読むのが私の楽しみの一つになっています。この本は、著者である豊田氏が、日本人が関わった戦争に関する歴史(初めての海外進出から、終戦後に行われた日本最後の戦争までのおよそ1300年間)について解説してくれています。
歴史の授業をそれほど真剣に受けなかった私がいうのも可笑しいですが、「歴史の授業では教えてくれない真実の~」と書かれると、知りたくなってしまいました。
この本で書かれている内容は、いわゆる歴史書にでてくる「勇ましい」内容とは少し異なりますが、真実とは、得てしてそのようなものなのであろう、と私は納得しました。
以下は気になったポイントです。
・1019年4.7に大宰府は、正体不明の賊集団の来週を知った、これを「刀伊の入寇」とよばれる、その時の指揮官は、枕草子に登場する中納言・藤原隆家(p15)
・北条時宗は九州に所領を持つ東国の御家人に対して、九州赴任を命じたが、動員を避けるために、九州の所領を他人に譲り始めた、このため時宗は「和与禁止令」を出した(p26)
・モンゴル軍の最小単位は10人で「10人隊」と呼ばれる、これが10個集まり「100人隊」そして、最大の単位が「万人隊」、敵を侵略すると、技術者をも自分のものとしてテクノロジーを吸収して彼等を厚遇した(p30)
・南宋に対してモンゴル帝国が苦戦したのは、華南地方の地形は水田が中心で濠やクリークが入り組んでいて、モンゴル自慢の騎馬兵力が運用しずらかったから(p31)
・5代目のフビライは、南宋の包囲網に対して、金・銀・硫黄・木材・弓等を輸出している日本があることに着目、結びつきを断つために日本が攻撃対象となった(p32)
・肥後の御家人である「菊池武房」は、200騎あまりを率いて敵陣に突入、多数の首級をもって帰陣した(p36)
・徒党を組んで弓を射かける御家人たちもいて、決して一騎打ちに固執していない、また日本の総大将である、景資は敵軍の全面に出て弓を射かけた、そしてモンゴル軍の副将(劉腹亭)を負傷させた(p38)
・弘安の役は、モンゴル帝国にとって、いつ歯向かってくるかくるか分からない南宋兵を減らしたかった、勝った場合には日本に留まって支配してもらうために、軍船には農具等も積まれていて、武器よりも多かった(p44)
・全軍を指揮するはずの「アラハン」が病気にかかり、江南軍の出港が大幅に遅れた、東路軍は待機を余儀なくされ、船内は地獄そのもの、食料は腐敗し急造の軍船は腐っていき、伝染病による死者も3000人に上っていた(p47)
・文禄の役では明の制服が目的だったがが、慶長の役の目的は、秀吉が示した和議7箇条で示した、朝鮮半島南部4道を力づくで制圧して支配すること(p92)
・10世紀以前は、東北・北海道・沖縄も、我が国の領土ではなかった、大和政権は、7世紀には自分たちの支配に組み込まれていていない東北地方の人々を差別意識を込めて「蝦夷:えみし」と呼んでいた(p104)
・征夷使と改められて���友弟麻呂を任じて、副使に武勇の誉れの高い坂上田村麻呂をつけて10万という大軍で向かった、降伏してきた阿弖流為は処刑されたが、13年間の抵抗を続けられた政府は、蝦夷の族長を浮囚長に選んで部族内統制をさせる間接統治に戻した、これにより250年間の平和をもたらした(p113)
・1879年(明治4)4.4には、明治政府は琉球藩を廃して沖縄県を誕生させ、450年におよぶ琉球王国は滅亡した、沖縄の抱える問題はこのような歴史も踏まえる必要がある(p129)
・薩英戦争において、薩摩藩の大砲は旧式だったが、何発か命中させていて、艦船ユーリアラスに命中させて、艦長と副艦長を即死に追い込んだ(p148)
・薩摩藩は賠償金を満額払う代わりに、イギリスに対して軍艦購入と、イギリスへの藩留学生受け入れを願い出て了承された(p150)
・下関戦争において、4か国連合軍(イギリス、オランダ、フランス、米国)は圧倒的な陣容で長州藩に襲いかかった、主力部隊は「禁門の変」で派遣されているので、二線級の陣容で戦った(p158)
・結果は長州側の敗戦であったが、連合軍も死者や負傷者が同等あり、薩英戦争と同じように、欧米列強は長州藩の戦いぶりに少なからぬ敬意を持った(p159)
・太平洋戦争において日本軍の首脳は当初、緒戦を優位に進めてアメリカ国民の士気をそいで、中立国もしくはソ連の仲介で講和する構想を持っていたが、長期化してアメリカに押し返されてしまった(p180)
・沖縄本島の占領において、3か月、死者:4.9万人、艦船は33隻撃沈、100機以上が撃墜、その上に本土攻撃となると、どれくらいの犠牲者となるかわからず、そのためにソ連の力が必要だった(p182)
・日本の教科書で取り上げられる人は日本国内の争いに勝利した人のみ、日露戦争で活躍した乃木将軍、東郷提督、刀伊の入寇を退けた藤原隆家、慶長の役で活躍した島津家は取り上げられないのが残念(p188)
2013年9月1日作成