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三木清『読書と人生』講談社文芸文庫、読了。治安維持法違反で獄死した哲学者三木清。本書は、三木自身の読書体験を元に、読書の方法、哲学の学び方を縦横に語るアンソロジー。「読書というのは、じぶん以外の人の書き物にふれるなかで、じぶんがうち砕かれる経験」(解説・鷲田清一)だがまさに。
本書の収録エッセイは次の通り。「我が青春」「読書遍歴」「哲学はどう学んでゆくか」「哲学はやさしくできないか」「如何に読書すべきか」「書物の倫理」「軽蔑された翻訳」「辞書の客観性」「ハイデッゲル教授の想い出」「西田先生のことども」「消息一通」。
やはり印象的難のは「哲学はどう学んでゆくか」。哲学とは詰め込みではなく「哲学的精神に触れること」。「そのためには第一流の哲学者の書いたものを読まなければならぬ」。情報に左右されることなく「自分に立脚」しながら書物と対話しながら深化させること。
「つねに源泉から汲むことが大切である。源泉から汲もうとするのが哲学的精神であるといい得るであろう」。古典と向き合うなかで、直観を言語化していくこと……そこに「明晰に考える」ことが立ち上がる。常に青春であることも必要不可欠だ。
政治と文化(クルトゥーア)は対照に位置する。しかし、隔絶した教養主義も、政治主義も人間の現実ではない。三木は教養主義を慎重に退ける。有機的相即関係があってこそ、文化も政治も彩り立つのだ。原著刊行は昭和17年。ここの三木の抵抗が見える。
解説・年譜・図版も多いのですが、三木清『読書と人生』講談社文芸文庫の価格1200円はちょいと高価な感。新潮文庫絶版後、ハードカバー化されたものに比べると安いのだけど……。
三木清『読書と人生』所収のエッセイのいくつかは、青空文庫にも収録されていますので、ご参考。http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person218.html#sakuhin_list_1
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哲学は原典によるべし。
原語で読みたいからと言って翻訳本を読まないでいるのは愚かである。
古典を読むのが一番いいけどたまには新刊本も読んだほうがいい。
いつの時代も古びない読書論でした。
読書遍歴は、素晴らしい出会いとともに本が紹介されている。まさに読書と人生。
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如何に読書すべきか?
ひとはただ善いものを読むことによってものと悪いものを見分ける眼を養うことができるのであって、その逆ではない。一般に何が善い本かといえば、もちろん古典といわれるような書物である。古典はすでに価値の定まった本であり、古典を読むことによってひとは書物の良否に対する鑑識眼を養うことができるのである。
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古い本ではあるが、色褪せない名著。
西田幾多郎先生の下で学び、様々な薫陶を受けた作者による読書指南。
時代が移り変わっても、読書とはこうあるべきだと教えてくれた本。たまに読み返して自分の読書への姿勢を考え直すきっかけをくれる。
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初めて三木清の本を読んだが、学生向けに書かれているところもあって面白かった。読者は多読と精読がどっちも大事で、読書をする時間を作ることが大切だというところが印象的だった。継続的に本を読んで、良い本からいろんな視点や考えを学んで行きたいと思った。
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この本の現版は昭和17年に刊行されたもの。「読書」と題名にはあるが、哲学や教養についても三木清の考えが示されており、今尚朽ちない内容だと感じた。
冒頭の章から、一高、京都大学での同級生、友人、師の話しと本が出てくる。この時点で脳がかなり刺激される。次いで中間で少し落ち着きメモを取りながら読み耽ることができる。最後の章で三木清による海外の研究者への辛口批評があり、これはこれで知的な刺激となった。
以下備忘録を兼ねたメモ
読書
多読も精読も必要
一般には古典が善い本だが新刊本もよい
善いものを読むには正しく読む
正しく読むには緩やかに読む
哲学
哲学の知識を詰め込む前に哲学的精神触れよ、つねに源泉から汲もうとすることこそが哲学的精神
ドイツ系が故に難解と感じるのであれば英米系から
直観を育てることが必要、同時に明晰に考えることも学ぶ必要
P98の言葉が特に胸に沁みたのでこちらにも。
⭐︎真の読書においては、著者と自分との間に対話が行われるのである。しかも自分が勝手な問いを発するのでなく、自分が問いを発する事は、実は著者が自分に問いをかけてくることであり、しかも自分に問題がなければ、著者も自分に問いをかけてこない隠して問いから答え、答えはさらに問いを見、問答は限りなく進展していく。この対話の精神が哲学の精神に他ならない。