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京都にはまだまだ隠された歴史的事実が数多く残っていることだろう。権力支配のさなか干された事実がこの国によみがえることがあればいったいどうなることだろう。もしこの国がひっくり返るほどの裏事実が見つかることがあれば面白いのだが
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面白かった。
魑魅魍魎的な話かと思ってたら、ちゃんとした歴史の話。
血塗られた歴史や逸話など、京都ならではの話が満載。
読みやすかったし、手軽に読めて良かった。
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京都は歴史があるだけに、けっこうコワイ話が残されているなあと思います。
といっても、紹介されているのは恐ろしい話だけではありません。
清水寺の舞台から飛び降りた人は、江戸時代かなりいたそうですが、必ず命を落としたわけではなかったそう。生存率は85%ということで、むしろ亡くなった人の方が少なかったようです。ちなみに舞台の高さは12mだそう。
昔の言い伝えだと思っていましたが、平成になってからも、実は2名の方が飛び降りており、いずれもお亡くなりになったのだそう。
「うるさい」を漢字にするとは「五月蠅」だと思っていましたが、本来は「右流左死」からきたもので、右大臣の菅原道真が太宰府に流され、左大臣の藤原時平が若くして死んだという意味で、現代の「やかましい」ではなく「耳をふさぎたい」「聞きたくない」という意味だといわれているそうです。
天皇が京都から東京行幸をした後、多くの貴族も一緒に東京に移ったと聞いていますが、「とらや」も「天皇の御用を務めることが使命である」と京を離れて東京に本拠地を移したという話に、皇室御用達としてのプライドを感じます。
また、「京都、奈良は文化財が多いから、米軍が爆弾を落とさなかった」という話を信じてきましたが、これは事実ではなく、京都市内も米軍B29の無差別爆撃を受けたそう。
京都市内での空襲で最も犠牲者が多かったのは西陣空襲でしたが、民心の動揺を警戒した軍が厳しく報道管制をしたため、市民にも知られていなかったそうです。
はじめは原爆投下予定地だった京都。梅小路蒸気機関車館のターンテーブルが米軍の投下目標になっていたと知って、背筋がぞっとしました。
最後まで読むと、想像していたわかりやすい怖さとは違う、様々な形での怖さが詰まっていました。
日本屈指の古都であり、さまざまな歴史の影響を受けてきた京都。華やかな中にもタフな変遷を遂げてきたのだと改めて思いました。