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パリで国際同性婚した著者が語る、「女の子同士」のリアル
私は、女性として生まれ、最愛の妻と結婚をしました。同性愛者は“少数派”で
す。しかし、決して“少数”ではありません。自身が同性愛者であることを公表
する人も増え、セクシュアルマイノリティの知識は、現代人の基礎教養となり
つつあります。女の子同士はどこで出会うの? どうやってセックスをする
の? 家族へのカミングアウトはいつ? 同性同士の結婚って可能なの? 私
の経験からお話できることのすべてを、この一冊に凝縮しました。私と一緒
に、「性」と「知」の冒険に出ませんか? あなたの“百合観”変わりますよ♡
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とても大切なことが書いてある。是非、多くの人に読んで欲しい。同性愛を通して異性愛の本来のあり方も見えてくるというのが私が感じていたことだが、見事にそれを実証してくれた。マイノリティとして社会で生きる知恵。国籍や性別の壁。セックスのこと。生きた教科書だ。
・アルゼンチンのジェンダーアイデンティティ法
・日本の男性の4.9%,女性の7.1%が同性愛者
・自分で選び取った名前はアイデンティティ、他人に付けられた名前はカテゴリ
・各国で同性カップル法制定後、出世率に大きな変化無し
・男と女や女と女ではなく、いつもあなたとわたし
・人付き合いの基本は、自分にも他人にも誠実に聴くこと、決めつけないこと、否定しないこと、言いふらさないこと
・「おばあちゃんは、孫の結婚相手が男か女かなんてことよりいい人かどうかずっと大事」
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分類して名前をつけることで便利に使える。でも、誰かが決めたカテゴリに自分を当てはめる必要はない。当たり前だけど、うっかりすると忘れてしまいそうな大事なこと。セクシュアリティに関係なく、いちどきちんと向き合ってみるといいと思いました。また、男性同性愛に関する情報よりも女性同性愛に関する情報は少ないと感じていたので、その点でもためになる本だと思った。
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タイトル通り、レズビアンである著者自身の経験や考えが対話形式で語られている本。著者の経験談を通じて、性の多様性を学べる。また、大小の差はあれど、人は悩んで生きているのだなと感じさせられ、同性愛者でなくとも(というか、そうでない人こそ本書は)興味深く読めるのではないか。
自分が知らなかった事実としては、①同性愛者は日本でのアンケート結果によれば男性で4.7%、女性で7.1%いる、②自然界でも同性愛の動物(例としてペンギンが載っている)がいる等が挙げられる。
こういったタブー視されがちなことは、読書を通じてしか知りにくいので、新書で手軽に読めるという点で貴重な本と言えると思う。
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いわゆる、レズビアンの方々が読む本ではなく、LGBT当事者/非当事者関係なく読めます。登場するキャラクター同士の会話もテンポ良く、共感して読める部分もあります◎
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性別っていうものの定義はそもそも最近より曖昧になってきている。
確かに生物学的には大きく二分されても、
社会的、ジェンダー的に見ると二分なんて簡単に分けられるはずもなく。
マジョリティとマイノリティの関係は表裏一体だからこそ、両者がどう快適に共存できるか、難しいところです。
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著者の牧村さんの自伝的部分は最小限。ナビゲーターとなる男女5人の対話形式で性についての用語解説なども含めながら、性に対する在り方や生き方について丁寧に書いている本だった。思ったより教科書的だったので期待と異なったが、性的指向が自分とは異なる人に出会ったことがない人に、とても読んでほしい内容だった。
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「祖母はわたしの同性婚を知り、こんなふうに言ってくれました。『おばあちゃんは、朝子の結婚相手が男か女かなんてことより、いい人かどうかの方がずっと大事だよ』」。人が人を好きになること、それってやっぱりすごく素敵だ。そう思える本。
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で、百合つながりでこんな本。
それぞれの章は、
1.漫画
2.レズビアン、両刀使い、身体的には男だけど女、ヘテロ…といったキャラクタの対話での問題提起
3.著者のうんちく
…という流れで進行。
最終的には、「私たちをカテゴライズしないで!」などと、「世界に一つだけの花」みたいなことをおっしゃっていますが…。
そうであるなら、タレントなり物書きとして、まずは揺るぎないパーソナリティを発揮してから書きゃいいじゃん。レズビアンなのを売りにした本出しといて、何を抜かすねん…という感じです。
まったく、『魍魎の匣』かと思いましたら、『鉄鼠の檻』。
苦しむ人に向けて、あえて「百合」という言葉を使っているというのかもしれませんが、「もっと私を見て」的、駄目なアスカみたいな底の浅さが目に余ります。
まぁ、そのあざとさ、表現力のなさを含めての「百合のリアル」か。
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百合のリアル
異性愛規範(ヘテロノーマティヴィティ)=一夫一婦
性自認…自分が思う自分の性別
性他認…他人が思う性別
性役割(ジェンダーロール)
MtF(Male to Female)
FtM(Female to Male)
アルゼンチン「ジェンダーアイデンティティー法」
生物学的性別(セックス)
社会的性別(ジェンダー)
シスジェンダー…他人に判断された自分の性別を自分も選んでいる
トランスジェンダー…他人に判断された性別ではない性別を選んでいる
Xジェンダー…男でも女でもないあり方を選んでいる
ヘテロセクシャル…自分と異なる性別が恋愛対象
汎性愛、全性愛(パンセクシャル、オムニセクシャル)…バイ+どちらとも言えない人
無性愛(アセクシャル)…他者を恋愛性的対象にしない
非性愛(ノンセクシャル)…恋愛対象にはするが性的対象ではない
モノアモリー…一対一合意の恋愛関係
ポリアモリー…3人以上全員合意の恋愛関係
ヘテロフレキシブル…将来的に同性を好きになっても抵抗ないと言う人
ヒジュラ…インドなどの南アジアで、肉体は男性だが身形や立ち振舞いは女を選択している人。
はにわり…半月は男性、半月は女性として過ごす人。20世紀前半まで日本にあった。
カトゥーイ…タイ版ヒジュラ。性産業以外には就職できないという差別的扱いを受けていたが、近年改善に向かっている。
三人婚…2012年ブラジル
一妻多夫…ヒマラヤ
バイキュリアス…自分をバイかもしれないと思っている人
複性愛(ポリセクシャル)…性別が男女のみではないと考えたうえで複数の性別を恋愛対象にする
半性愛(デミセクシャル)…基本的に他者を性的対象にしないが、強い絆で繋がった相手は性的対象とする
対物性愛(オブジェクトゥムセクシャル)
問性愛(クェスチョニング)…性のありかた未定
ポストモダンセクシャル…分類は無意味だと言う人
結婚しないリスク…①医療現場で他人扱いされ、緊急治療室に入れなかったり、手術の決定権が無いこと②贈与税免除対象外③遺産相続できない。賃貸物件の名義人が死んだら残された方は退去を命じられる可能性が高い④親権が片方にしか認められない⑤外国籍のパートナーに在留資格が降りない
同性カップル法…デンマーク、オランダ、フランス、ベルギー、フィンランド、スウェーデン、アルゼンチン、ハンガリー、ドイツ、アイスランド、イスラエル
貝合わせ(トリバディズム)
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レズビアンの著者がいろんな人に読んでほしいと執筆。この本を読み、恋愛に性別なんて関係ないという気持ちがより一層強くなった。日本ではセクシャルマイノリティに対して差別や偏見が強いせいか、セクマイの方々が生きづらい世の中のような気がする。この本を読んでちょっとでも理解を深めたらいいと思う。
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惜しくもジェンダー論に終始しているように感じた。幅広い層にわかりやすく説明したかったのだと思いますけども。
20代~30代前半くらいには納得できる説明(自分の感情が第一!多様性を認めよう!的な)ですね。ある意味で若者論でもあります。
重要な,「自分の考えを理解してくれない,むしろ押し付けてくる厄介な人対策」に効果的な対処法がないのは,作者も苦労しているんだろうなと感じた。
そういう人とはできる限り努力して避けるようにするのが鉄則だろうけども。。
なお,本編中に良く出てくる「レズ」という用語はエロ用語として使われていないので,変に意識して読むと内容が入ってこないので注意です。
そういえば,本編中では百合という用語はほぼ出てこないし,百合=同性愛として用いられています。
百合男子が想像しているものは書かれていませんよ(笑)
最後にぶっちゃけですが,「レズをカミングアウトして親と勘当した話」をさらりと流すのを見て作者に幻滅してしまいました。
頑張って説得したけど駄目だったというわけでもなさそうですし,知りたくなかったですね。。
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"本当の「モテ」を考えるMAYAの恋愛セミナー"にやってきたヒロミ、アキラ、はるか、サユキと、マヤ先生のやりとりのもよう(マンガ含む)に、著者の「まきむぅからの手紙」を挟んだつくりの本。
「はじめに」で著者が、これが何のための本なのかを書いている。
▼この本は、レズビアンのためだけの本ではありません。同性愛者の自伝でもありません。「レズビアンという概念と、牧村朝子という事例」を通して、男とか女とか、同性愛者とか異性愛者とか、オタクとか優等生とか、B型とかA型とか、色々ザクザク切り分けられてるこの状況との、向き合い方を見つけるための本です。(p.4)
別のページにはこうも書いてある。
▼この本は、「『レズビアン』というあり方を通して、個としての生き方を考える」本です。…(略)…社会の中で人を区別したり、まとめたりするための言葉はたくさんあります。そういうカテゴリの箱に入ったり入れられたりする前の、ひとりひとりに、あなた自身に、その人自身に目を向けてみてほしい─そういう気持ちでこの本を書きました。(pp.32-33)
そもそも「モテる」とはどういう状態のことか、「モテる人」とはどんな人のことか、マヤ先生はみんなの考えを聞いていく。
・たくさんの人に好きになってもらえること
・好きな人の心が確実につかめること
という意見に、「自分は何をモテだと思っているのか」「それを自分は本当に望んでいるのか」まずそこからだとマヤ先生は言う。
大体の男の人は色気に弱い→だからセクシーな服がモテ服だ、というヒロミに、アキラは「別に男全員がそうじゃない…俺セクシーな服って苦手」と意見し、サユキは「「大体の男」にモテりゃ満足なのか?」とツッコむ。
「モテる」にもいろいろあるし、男だから/女だからこんなんが好きやろうと断言もできない。自分にとっての「モテ」を考えることは、「ありのままの自分はどういう人間か」を知ることでもあるのだ。
女性にモテたいというアキラに、どうして「女性」がいいのか、何が「女性かどうか」の判断基準になるのかとマヤ先生は訊いていく。アキラもヒロミも「体格や服装で、性別ってなんとなくはわかる」と言う。
▼マヤ 「『男』か『女』かというのは、見た目で大体わかるのよね。言い換えれば、大体しかわからないということでもあります …(略)… 『男/女』に人を振り分けること、あるいは自分でどちらの意識を持つかということは、人間の数知れない個体差の上に成り立っている選択といえるわね」(pp.22-23)
そこで二分法にとらわれて個体差を見失うと、「男だからこうだ」とか「女はこうあるべき」といった考えで自分や他人を縛ることになる。人間が便宜上つくった「男/女」のカテゴリーにくっついてるのはイメージや集団の傾向、せいぜい集団内の平均値くらいのもので、そこに個別の人間がどれくらいあてはまっているかは「見た目」だけでは絶対にわからない。
「男/女」にかぎらず、人を括ったり区別したりするカテゴリはたくさんあって、そういうカテゴリの「箱」に入ったり入れられたりする前���「私」や「あなた」に目を向けてほしいのだ、目の前の人の話を聞いてほしいのだと、著者のまきむぅさんは書く。
性のあり方についての言葉(カテゴリ)は分けていけばきりがない。それくらい人の性のあり方は多様だということでもある。分類が細かくなり新しい言葉がつくられていく、その原動力は「自分と近い人と集まりたい」「人々を分類して理解した気になりたい」「他人とも古い概念とも違う新しい自分になりたい」という願い(p.11)だ。
まきむぅさんは、あるカテゴリを自分のアイデンティティとして引き受けるかどうかは、それぞれが決めることだという。たとえば自分を「レズビアン」と名乗るかどうか。自分で選びとった名前は「アイデンティティ」になるが、他人につけられた名前は「カテゴリ」になる。
▼女が女を愛する時、他人は彼女を「レズビアン」というカテゴリに入れます。でもそこに入れられたとしても、彼女は「レズビアン」というアイデンティティを持たされる必要はありません。
あなたが「レズビアン」と言われて違和感がないのなら、レズビアンというアイデンティティを持てばいいんです。あなたが「レズビアン」と言われて違和感があるのなら、たとえレズビアンというカテゴリに入れられたままであっても、あなた自身のアイデンティティを持てばいいんです。もしくは、わからないままだっていいんです。自分や他人がどう呼んでも、どう呼んでいいかわからなくても、あなたはもうここにいます。(p.113)
まきむぅさん自身が、かつて自分は何者なのかと悩み、「レズビアン」「同性愛者」「バイセクシュアル」「クエスチョニング」等々の名前を取っ替えひっかえして、自分にあてがった経験がある。「色んな言葉で説明しようとしたなあ」(p.246)とまきむぅさんは振り返る。
そんな紆余曲折を経て、まきむぅさんは「どんな言葉で説明しても、結局自分は自分だった」(p.246)と気づく。レズビアンだと分類されることは受け入れるし、自己紹介の時も必要なら「レズビアンです」と言う、だけど、ことさら自分のアイデンティティとしてレズビアンという言葉は掲げない、その前に自分自身を生きることにした、それがまきむぅさんのたどりついた地点。
私は、前に『We』のリレー連載「一人ひとりのLGBT」で書いてもらったゆいさんの「私は女の人が好きです、でもレズビアンではありません」というのが、やっとわかった気がした。
サユキの話を引いた「トランスジェンダー=性同一性障害?」の箇所も印象深かった。「自分はレズビアン」だというサユキは、男子校出身だ。「豊胸手術はしたけど、性別適合手術はしてない」と聞いて、ヒロミは「えっ、じゃあ、おっぱいがあって、チンコもあって、だけどサユキさんは女の人で、女の人が好きで…???」(p.42)と戸惑い、アキラは「そういうレズビアンの人もいるんだ…」(p.42)とつぶやく。
「どうしてそういう風にしてるんですか?」と尋ねるはるかに、「それが自分にとっての"自然"だからね」とサユキは答えている。
「性同一性障害」は、医学的な"病気"の名前だ。サユキは「治るとか、治らないって話じゃないんだよね、自分の場合」(p.50)と、こう話す。
▼「治さなきゃいけない体だと思ってないんだ。自分は制度上、性同一性障害とされるだろうし、社会的にはMtFだとかオカマだとかオネエだとか思われてる。だけど自分自身は、自分のことを既に女だと思ってる。そして病気とか、障害を持って生きているとは思ってない」(p.50)
それでも、自分が女だと言ってるだけでは認められない場面もある。カラダと書類の性別を変えないと、社会的には認められず、「人はチンコとかパスポートとかを見て『でもお前男じゃん』って言うんだよ」(p.51)というサユキの現実。
▼「性同一性障害っていうのは結局さ、自分みたいな人間を病気として手術して、制度上の性別を変えるためにある病名でしかないと思うんだ。もちろん『自分は病気なんだ』って考えの人もいるよ。『治療』が必要だと感じている人が、病院に通って処置を受けて少しでも楽になるならいいと思う。だけど自分はそうじゃないってこと。まあ、胸だけは、ドレスとかをきれいに着こなしたくて豊胸したけどさ。その必要を感じないところに、これ以上メスを入れたくはないんだ」(pp.51-52)
サユキの語る「必要を感じないところに、これ以上メスを入れたくはない」のくだりを読んで、こないだ読んだ『運命の子』のなかで、朝陽君のお父さんが、朝陽にとって呼吸が楽になるとかそういう良い点があるなら手術もいいと思うが、それ以外のところは別に必要を感じないと語っていたのと似てる気がした。自分の生きやすさにつながるかどうか、その線引きの仕方はひとつの工夫やなと思った。
「モテ」を切り口に、こうした話を展開できるまきむぅさんのセンスにしびれる。「『同性結婚制度が存在しない日本で、同性と生きていきたい人に何ができるか』を考えることは、広い目で見れば『人生設計の前に法制度が立ちはだかった時、個人に何ができるか?』を考えることでもある」(p.133)という指摘を読んでも、たしかにこれは「この状況との、向き合い方を見つけるための本」だと思う。
古今東西の"「男/女」以外の分類"を紹介したなかで、タイの「男/女/カトゥーイ」の「カトゥーイ(男性として生まれ、女性の振るまいや服装で生きる人々)は、「存在は認知されてきたものの、性産業意外に職業の選択肢が与えられないといった差別的な扱いを受けてきた」(p.89)とあって、職業選択の自由がないところは部落差別と似たものがあるのかも…と思った。
(4/8一読、5/5二読)
*まきむぅさんのオフィシャルサイト
http://yurikure.girlfriend.jp/yrkr/
*まきむぅさんのお仕事情報ブログ
http://ameblo.jp/mmmasammm/
*まきむぅさんのツイッター
https://twitter.com/makimuuuuuu
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ちょこっとだけ読んだ。
これいいなあ。そのうちちゃんと読みたい。
セクマイの本。だけど、みんなのセクシュアリティの本。
レズビアンというのはこういう人ででもこういうケースもあってゲイはこういう人だけどこんなパターンもありでトランスの人とこう重なる部分もあるけど違う部分もあってヘテロといえどもここは他人事とは言えず……要するに人それぞれです。という話。
だよねー。
性別なんて自認はもとより生物学的な部分さえグラデーションだから、すべての在り方を説明しようとすれば、分類分類で細切れにして、結局「この人の場合はこうです」としか言えなくなる。
マイノリティの多様性を語ったら、マジョリティの多様性にも気づかないわけにはいかない。
だから、誰もこぼさずに人を考えるには、みんなを違ったものとして受け入れるのが確実かつ簡単だ。
分類して細かい定義をいちいち覚えるのは大変だけど、
人づきあいに必要なのは相手の好みを把握することじゃなくて、
わからなければ聞く、無理強いしない、それだけなんだよなあと思った。
真摯かつ軽快に、自分の頭で考えさせる。
マジョリティじゃない集団がまったく目に見えない存在にされている間は、ざっくり定義して「マジョリティとは違う、こんな特徴を持った人がいる」と主張しなければ存在を気付かせることができない。
名前の付いたマイノリティグループの存在を認識されたら、やっと個々の在り方を語れるようになる。
セクシャルマイノリティもマジョリティも合わせて、セクシュアリティの多様性を分断せずに楽しく語れる本がでてくる時代なんだなあとホクホクしちゃう。
レズビアンをみて「美人なのにもったいない」とか、ゲイを評して「女性の気持ちをわかってくれる」とか言っちゃうような、きっちり分類された枠の中で生きている人にぜひ読んでもらいたい。
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非常にポリティカル繊細な分野ですが、自己を相対化させる意味でもなかなか面白いし、未知の分野としても。気になるのは小説的表現のくささくらい。むしろ自伝を読んでみたいかなあ。