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聖書の内容を理解していない日本人にはあまり馴染みのない問題を論じている。
つまり、聖書に書かれた内容を科学的に検証することにより、科学と聖書の内容の整合をとるということを目的としている。
たとえば、聖書では天地創造について以下の記載となっている。
1日目 暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。
2日目 神は空(天)をつくった。
3日目 神は大地を作り、海が生まれ、地に植物をはえさせた。
4日目 神は太陽と月と星をつくった。
5日目 神は魚と鳥をつくった。
6日目 神は獣と家畜をつくり、神に似せた人をつくった。
7日目 神は休んだ。
さてさて、そもそも天地創造を神がおこなったのは西暦の何年だったのだろうか。
(ちなみに、この問題に関わらず聖書に記載のある事件が起こった日を推論するのは神学では常に議論の的である)
まぁ、いろいろ屁理屈をこねて聖書の記載に科学が辻褄をあわせるのだが、読んでいてあまりおもしろいとは思わない。
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高校時代世界史の授業でデカルトの「神の存在証明」の話を聞いた時、解析幾何の創始者でもある第一級の科学者でありながら、なんでそんな「ありもしない」ことにこだわり続けたのか、不思議でしょうがなかった。この本は、そんなデカルトどころではなく、大昔から、いかにキリスト教の教義と、発展してゆく科学の知見とを、不整合なく説明するか、膨大な「つじつま合わせの歴史」としか思えない。しかしこれが現在まで続く科学の源流だったんだなあ、と。
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世俗化という概念を知ったのは伊藤雅之を読んでからのこと。白いハンカチが少しずつ薄汚れて、しまいには雑巾となるようなイメージで捉えていた。聖俗に清濁を重ねてしまっていたのだ。実は違った。世俗化とは現実への適応なのだ。それは宗教側からすれば妥協を伴う苦い変化なのだが、一人ひとりの価値観を尊重する姿勢でもある。組織論でいえば軍隊こそ理想形であるが社会としては平等性(民主)に軍配が上がる。
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