紙の本
エッセイ
2017/02/12 12:26
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投稿者:hitakeyasuko - この投稿者のレビュー一覧を見る
過去に雑誌などに載せられたエッセイや旅行記を集めたものでした。読みやすく、石井さんの人生に触れることができ、よい買い物をしました。
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最初、くまのプーさん関連の本かと思ったら、そうではなかった。
著者の翻訳にまつわる話、アメリカの図書館(特に児童図書館)の話、児童文学に関わる話。
どれも深い内容で勉強になった。
特に印象深かったのは、アメリカの公共図書館が進んでいること。
そして、専門の職員が、すばらしい働きをしていること。
そして、優れた児童書が出版されている(らしい)こと。
日本もがんばってほしい。
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石井桃子さんは、恥ずかしながら存じ上げておらず、図書館の新書コーナーでちらりとみた「プーと私」という言葉に惹かれ、読みました。
大変面白く、実に勉強になった。
とくにドリトル先生に関する話はとても惹かれた。
子どもができたら、必ず図書館に連れていきたいと、かねがね思っていたので、勉強になった。
日本の図書館も、さあ、昔がどうだったのかはしらないが、もっと飛躍するべきである。子どもたちのために存在するべきである、と思った。
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うつくしい日本語で
うつくしい思い出が
つづられていく
石井さんが
生きてこられた時代は
戦争があった時代でもある
そんな時でも
志をしっかり持って
きちんと生きてこられた
人たちがいたことが
静かに 確かに
伝わってくる
「ドリトル先生」を訳された
井伏さんのエピソードが
とても興味深く
とてもほほえましく
おもいました
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石井桃子さんと言えば児童文学の世界で知らない人はいないと言っても決して過言ではない存在です。 そして KiKi のライフワークの1つ「岩波少年文庫」の生みの親のお1人でもいらっしゃいます。 そんな彼女のエッセイ集をたまたま図書館で見かけた(これ、ホントに見かけたんです。 決して探し当てたわけじゃありません)ので「これを借りないわけにはいかないでしょ♪」とばかりに一も二もなく借り出してきました。
実は KiKi は物語の作者とか翻訳家に興味を持つようになったのはかなり大人になってからで、子供時代から大学生になるまでは物語そのもの以外にはさほど興味を持ったことがありませんでした。 そんな中、最初に興味を持った翻訳家数人(必ずしもそれが本業の方とは限らないのですが ^^;)の中のお1人が石井桃子さん、もうお1人が瀬田貞二さんでした。 もちろんその背景にはこのお二人が翻訳された物語への強い思い入れがあったからこそ・・・・ではあるのですが。
その後岩波少年文庫から発刊されている「なつかしい本の記憶」で石井さんが岩波少年文庫の発刊当初ご尽力されたお1人であったこと、さらには荻窪のご自宅の一室に児童図書室「かつら文庫」を開かれた等々の逸話を知るようになり、彼女への敬愛の念が深まっていったものでした。 その後も石井さんが日本で児童文学の普及やら子供の図書館を広めるためにご活躍された話を知れば知るほど、石井さんへの憧れが強くなっていきました。
もっとも現実社会を生きていくために KiKi 自身は彼女の後を追うような生き方は選択せず、単なる「児童文学ファン」としての道を選び、自身の生活の糧は別の方法で得てここまで生きてきたわけですが、心の中のどこかに未だ燻り続けるちょっとした夢のような形で「児童文学に何らかの貢献ができる人になりたい」という想いは抱き続けています。 まあ、恐らくこれは単なる「夢」で終わってしまうことになるのだろうと諦めている部分もあるので、実現するのはそれこそ「夢のまた夢」なのでしょうけれどね(苦笑)
ま、そんな KiKi なので、このエッセイ集の中でもっとも興味深く読むことができたのは、石井さんが欧米の特にアメリカの図書館を見て歩かれた留学体験記の部分でした。 アメリカの図書館司書たちの活動ぶり、勉強の仕方等々は現代の日本でも見習うべきところが多いように感じました。 アメリカ(に限らず西欧社会)って、日本のように質の良い廉価な文庫本はなくて、ハードカバーのやたらと高い本か、質の悪い紙 & 装丁のペーパーバックばかりという印象が強かったんだけど、その分、図書館文化の方は進んでいる(いた・・・・なのかな?)のかもしれません。
アメリカの図書館司書たちの活躍ぶりを読んでいる時にふと思い出したことがありました。 何年か前に一世を風靡した映画「ユー・ガット・メール」でメグ・ライアンが演じた「街角の小さな本屋さん」の店主のことです。 彼女はニューヨークの片隅で、母親の代から続く老舗の小さな絵本専門店の店主という設定で、児童書の造詣の深さたるや出版業界でも名が知られていて云々というエピソードが含まれていました。��� 映画のメイン・ストーリーはそんな彼女の不器用な恋愛だったのですが、KiKi にとってはそんな恋愛話はある意味どうでもよくて、彼女の地味ながらも素敵な仕事とその評価の高さにある種の羨望を覚えたことをありありと思い出しました。 そんな彼女とこの本の中で石井さんが出会ったアメリカの図書館司書の方々とはどこか通じるものがあるように感じました。
さて、最近では子供の本離れがますます激しくなっていると聞いたことがあります。 もちろん今の子供達には本以外にもゲームとか漫画とかアニメとか楽しいものがいっぱいあって、本を読むな~んていうある種地味でそのうえあるタイプの子供には慣れるまでは苦痛さえ伴うかもしれない活動よりも手っ取り早くて刺激も大きいものに流れていってしまうのも致し方なしと感じることも否定できません。
でも、今、KiKi が切実に感じるのはゲームとか漫画とかアニメはどこか「遊ばされている感」が否めないのに対し、本にはどこか「自発的に遊んでいる感」が漂っているような気がする・・・・ということです。 もちろん本だって作家が描いたある世界観の中で、作家が描いたある筋立てで進行するのでそういう点ではゲーム、漫画、アニメと何ら変わるところがないんです。 でもそうであるにも関わらず、何故か読書をしている間に「本当の自分」がチョロチョロと顔を出してくる・・・・そんな印象があるんですよね~。
例えば今、KiKi は大人になって「岩波少年文庫」を読み直しているわけだけど、子供時代とは異なる場面で感動したり、考えさせられたりします。 でも、ゲーム、漫画、アニメの世界では何故か感動するのは常に同じ場所、しかもそこにはBGMだったり絵柄の派手さだったり音の大きさという別の要素が大きく影響している気がして、「煽られちゃった感」を感じずにはいられません。
これは本に比べてそれらのメディアが新しいから、KiKi 自身が成長するに十分なほど時を経ていないからなのか?と考えてみたこともあったんですけど、例えば KiKi が子供時代に読んだ「ベルサイユのばら」とか「エースをねらえ!」といった漫画であってさえも、今読み返してみても「大人になってこその感慨」みたいなものはあまりなくて、子供時代に泣いたり笑ったりしたところで鼻の奥がツンとしてきたり大笑いしているところをみるとそればかりじゃないような気がしないでもありません。
いずれにしろ石井桃子さんが日本の子供達のために・・・・・と尽力されたその成果を享受した初期の世代に KiKi たちがいることを思うと、この「日本の子供たちの本離れ」という傾向に対し憂いを感じ何らかのアクションを起こすのはある種の責務みたいなものなのではないか? そんなことを感じた読書になりました。 もっとも・・・・・・
だからと言って具体的に何をしたらいいのか?は、全くイメージできていない情けない状況なんですけどね(苦笑) とりあえず手っ取りばやいところで、もうすぐ3歳になる孫のクリスマス・プレゼントに「うさこちゃんシリーズ」の絵本でも送ってみましょうか??
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石井桃子さんの、児童文学と児童図書館の話をあつめたエッセイ集。
プー、ピーターラビット、ドリトル先生、ピーターパン、マーティン・ピピン。
英米やドイツの図書館や出版界の話。
はぁもう幸せだわー。
当時の事情が興味深いとか文章が好きとか視点が素敵とかいろいろ魅力はあるけれど、とにかくこの本を読むことが幸せ。
プーの作者、ミルンについて「私はミルンをもっとよく知り、彼の生きているうちに、「ありがとう」と言うべきではなかったか。」と書かれていた。
私は桃子さんにそう思ってる。
戦後まだ10年くらいのころの外遊の話がたくさんでてくるので期待していたら、ついに!
ドイツの国際児童図書館の話がでてきたものだから嬉しくてたまらない。
イェラ・レップマンの『子どもの本は世界の架け橋』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4772190376の時のだ!
このシリーズは装丁がおだやかで昔風でかわいい。
今回はプーっぽくおはなにハチがまざってる。
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河出からこのシリーズが出ているのを知らなかった。軽装版ではあるがきれいな本。本文に色があるのはノンちゃん雲にのるをふまえてなのかな。読めてよかった!!子どもの本に育ててもらった私としては宝物に出会った気持ち。また偉大な先人に感謝しよう。石井桃子氏のエッセイを読んだのも初めてだが知識としてしか知らなかった子どもの本の担い手たち、アン・キャロル。ムーアとかイェラ・リップマンとかリリアン・スミスとか、ビッグネームばかり!!この人たちと石井さんがどんなふうにかかわってどんなふうに会話をしたかの一端を知ることができてうれしい。生きた姿で想像できる。ピーターラビットの翻訳にとても苦心されたとは、奥が深い。
私にとってくまのプーさんとドリトル先生は子どもの頃から今にいたるまで「2大読めない子どもの本」なのだが、なぜだろう。70歳くらいまでにもういちどトライしてみようと思う。
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子どもの頃、図書館っ子だった私は、本を借りるとき、いつも真剣に、時間をかけて選んだ。何せ借りられる冊数は決まっているし、早く次の本も読みたい。まずタイトルは大切。おもしろそうな本は、どこかそういう匂いがする。そして、おもしろい本は同じ人が書いていることが多いことに気づいた。そのうちの一人が石井桃子さんだった。こんなに沢山の本に関わっておられたのかと改めて驚く。昔の自分から感謝を込めて星5つ。
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序文から驚かされた。
著者は、かの犬養毅首相の孫娘である道子さんとその弟さんに原書を日本語で読み聞かせしていたのだ!(昨年犬養道子さんの著書を数冊拝読したが本当にインディペンデントウーマンで芯の強い方だった…!密かに憧れていたからこれにはなおビックリ)
しかもそれが著者と『プーさん』との初対面だったとは…!著者やまだ幼かった道子さんにとって、それは夢のような原体験だったんだ。
前回読んだ『プーさん』の翻訳秘話を知りたくて、日本に初めて『プーさん』を紹介した石井桃子氏のエッセイ集を入手。石井氏はあの『ピーター・ラビット』や『ミッフィー』シリーズも手がけられており、まさに児童文学翻訳の立役者と言える。
原体験が読み聞かせだっただけに、彼女のエッセイは聞き(読み)心地が良かった!
わが国で『プーさん』が刊行されたのは1940年のこと。
開戦へとまっしぐらになる中であの心温まる原体験、「『プーさん』との思い出を必死に守ろうとする気持ちがまとわりついていた」という一文が、並々ならぬ覚悟を思わせた。
『ピーター・ラビット』の原作者ビアトリクス・ポターの足跡を辿る旅も石井氏なりの視点が垣間見れて面白い。
自身ピーターの大ファンで企画展にも足を運んでいたが、原作者についてはあまり気に留めずにいた。でもあれだけ愛らしくて自然に寄り添ったイラストや話を生み出せたのは、当時の閉鎖的な社会・家庭環境の中で自己表現の場を求めていたからだという。石井氏の見解は、現代を生きる自分にも見事に突き刺さった。
何ならその伸び伸びとした感性は石井氏自身も持ち合わせていて、そのまま翻訳された文面に顕れている気がしてならない。
彼女は翻訳業の他にも、自宅の一室を子供の図書室として開放する。
その一環か、児童本の出版状況・児童文学の現状・児童図書館の活動を視察すべく欧米を巡っていた。
時期的には恐らく1950年代と、まだ日本が色々と持ち直していない時期。「図書館のない国々へはいることは、暗い部屋へはいっていくようだ」という言葉を受けて石井氏も、「この暗くて寒い部屋をあかるくしなければ」と意欲を燃やされている。
「あなた自身、語りかけるものをもっている時、子どもは耳をかたむけるものです」
児童本は子供達を養い伸ばすものでなくてはならないが、むやみに学習や成績に結びつけたがる選書は大人のエゴであるという(視察を経た)著者の持論がまたもや突き刺さる。
想像力を掻き立て、生命力を漲らせ、人生に根を下ろす本。それこそが暗い部屋を照らす灯明になる。
「子どもは、けっきょく、いいものは、わかるんです」