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この新訳は、一瞬違和感があったが、いままでちょっとわからないなあ、と思ったところが腑に落ちたりもした。岩波文庫版を意欲的な訳とリスペクトしながら一線を画したのはちょっと尊敬した。
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最後のことばは「語ることができないことについては、沈黙するしかない」と訳されている。従前これは「語りえぬものについては、沈黙せねばならない」などと訳されてきた。
「せねばならない」は禁欲的でありそれゆえ戒律的で「自己」が見えるが、「するしかない」は事実を端的に述べている。ウィトゲンシュタインの本来はこっちではないのだろうか。淡々と事実を述べ、そうであるしかない結論に至る。もう否定しようがない事実が「示されている」のに、「せねばならない」などとご託宣を述べて屋上屋を架す理由はないわけだ。
「世界は、私の意思に依存していない」「倫理の命題も存在することができない」「倫理を言葉にすることはできない」「意思を倫理的なものの担い手として語ることはできない」などという人が「せねばならない」とは語らないと思う。
確かに英訳で読むウィトゲンシュタインにはご託宣めいたところがある。が、彼のネイティブはドイツ語だし、ドイツ語でところどころ読んでみる限りはこの丘沢訳のニュアンスに近い。
単なる印象だが、日本では芥川のイメージが重ねられているんじゃなかろうか。ウィトゲンシュタインの叙述スタイルはアフォリズムとはまったく異なるものなのではないだろうか。少なくとも「論考」ではまったく異なるものだとしか考えられない。
いろいろ考えさせられる貴重な翻訳だと思う。冒頭の野家啓一による解説も簡にして要を得たもので、ラッセルの序文なんか載せるよりよっぽどこの本の用途に適っている。
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学生時代以来、久々にウィトゲンシュタインをと思って手に取ってみた。平易な新訳がいい感じではあるが、やっぱり論理記号が出てくるとお手上げ。そこから勉強しなおさないと。
結論:語ることのできないことについては、沈黙するしかない。
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[関連リンク]
宿題を終わらせる『論理哲学論考』: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2014/02/post-6ac9.html
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古田徹也氏が書いた解説書を読んだおかげで、ようやく本書を読み終えられた。しかし、解説書には省かれている項目もあったため、その項目部分は理解できなかった。また、岩波文庫版の方が語句の定義も載っているし、訳も自然だと言うことに光文社版を買ってから気づいた。失敗。ところで、本書の冒頭部に記載されている、『高校生のための『論考』手前講義』を読んだだけで、論考の内容を理解できる人はいるのだろうか。。「どう考えても高校生向けじゃないだろ!」とツッコミたくなるのは私だけじゃないはず(笑)
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論理は事実の総体であって事物の総体ではない。
世界はすべて論理によって存在する。
私の言語の限界は私の世界の限界を意味する。
論理は世界の内、倫理は世界の外。内の認識は内外の境界のこと。
「アポリオリ」
アプリオリな知識とは、 経験を通じて知られてもかまわないが、 いかなる経験によっても反証されない (=間違いであることが示されない)ような知識のことである。 これに対して、アポステリオリな知識とは、 経験によって反証されうる知識のことである。
「形而上学」
ちょうどわれわれが地球の表面しか知らず、 内部の巨大で密度の高い塊を知らないように、 われわれは事物や世界について、 その現象--すなわち表面--以外は経験的に何も知らない。 この現象についての正確な知識によって成り立っているのが、 もっとも広い意味での物理学(physics; 自然学)である。 しかし、 この表面には単に面積だけでなく体積をも伴った内部があるはずだということ、 そしてこの内部の特徴についての推測、 これらは形而上学(metaphysics)のテーマである。
「感想」
言語は世界の単射になってないことが彼の言語批判の根拠。たしかに事実に対応していない言語でされた哲学は哲学ではないのかもしれない。
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最初にあった野家啓一先生の『論考』出前講義をとりあえず読んだ。大学で受けた記号論理学の授業と重なる点もありなんとなくわかる部分もあるが、わからない部分の方が多く、大変難しい。
論理哲学論考については、ちくま学芸文庫の野矢茂樹『『論理哲学論考』を読む』を読みつつ、岩波文庫の野矢茂樹訳『論理哲学論考』を読もうかなという気持ち
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ヴィトゲンシュタインの「論考」の処理系があると面白いと思った。図書館でたまたま手に取ったのがきっかけで読んだ本。ちょうど視覚言語について調べている時だったのだが偶然出会えたことも奇跡的だったと思う。
「論考」自体は目は通したが理解しているとはいいがたい。この書籍には「高校生のための出前講義」なる解説がついておりこれがとても良い。少なくても何が書いてあるかについてはわかる。
自分自身はプログラミングの知識はあるので「論考」自体の書き方には抵抗がない。とはいえこれを処理できる処理系である論考を書いた当時のヴィトゲンシュタインを再現したうえで一つ一つがどういう意味なのか問い詰めたい。時間をかければできるのはわかるのだがその時間が膨大になるのもわかる。
論考の後でそれを否定する「探求」を出すことになるが、「言葉」の絶対性にとらわれていたように思われる。「情動はこうしてつくられる」にもあるが、言語に関しては人々の間でコミュニケーションが成立しているような気がするので絶対視しがちであるが、実際にはそうではないのだと思っている。ゆえにその言葉を絶対視して「探求」を否定することには意味はないのだと考えている。
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高校生向けの解説つきでしたが、それすら私は難しかったです。本文も辛うじて読み通しましたが、よく解らずじまいでした。ですが、所々、気になる文章が出てくるので、他の解説書などを読んでから再チャレンジしたいです。
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衝撃的だった。特に否定によって世界の内にあるものは全て真理関数で表せることに気がついたことがすごいと思ったし、納得してしまった。その上で世界の外にあるものは真理関数では表せないと気づいたときに著者が「6,44 世界がどうであるかということが、神秘なのではない。世界があることが神秘なのだ。」と述べてて、なんとなく毎日を生きている自分にとってささった。
記号論理学を勉強した上でもう一度よんだら今回理解できなかったところも理解できてまた新しい視点から本を読めそうで面白そう。読み直したい。
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読了したものの、当然の如く理解出来たわけではないが、世界を言語と定義によって分解し、既知と未知との境界線を明確にし、世界を再構築したヴィトゲンシュタイン氏の知性が光る。言い回しはかなりシンプル。かつ厳格。なので丁寧に読み進めると理解できないものではない。「語ることができないことについては、沈黙するしかない」 という有名なフレーズは、超自然的なロジックに逃げない、人知の限界への挑戦が感じられる。