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誰に向けた本だろうか?
数学が苦手で、それでもそのエッセンスを噛み砕いて説明してもらえることを期待して手に取ったが、ところどころに分かりやすい説明はあるものの、全体として結局数学を既にかなり理解している読者しか理解できないのではないか。
特に方程式の章では、それが顕著。
筆者は初心者が何を理解していて、何が理解出来ずに数学から遠ざかるのかが分かっていないようだ。
数学に関わる人達は概してそうなのだろうが。
もっと、虚数の実際的意味合いなどを分かりやすく解説してほしかった。
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高校レベルまでは教科書的記述と類書で見るような解説に終始しており、面白味は無い。大学レベルから、所々に面白い視点があり、その部分は興味深い。
しかし、概して、他レビューにもある通り、わかっている人がわかっていることを書いているに留まり、わからない人にわかりやすく、という視点には欠ける。そのように考えてはいるのだろうが経験、テクニックが足りないということか。
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タイトル通りスイスイ読み進めていける。
基本的な内容の再確認にとても良い感じ。
2次方程式の解の公式を対称式を利用して連立方程式で求めるのが面白い。
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数と計算、文字と方程式、関数、微分と積分、形と幾何学・・・これらについて、わかりやすく面白く書かれていて、久しぶりに夢中になって読書した。
特に、マイナス×マイナスがどうしてプラスになるのか、数学好きだったと言われるスタンダールの言葉「どうして借金×借金が財産になるのか」の間違いを指摘しているところや、「虚数なんて世の中にない数でしょ。そんなもの勉強して何になるんですか。」といった高校生の言葉に対する著者の考えを述べている所は面白かった。
さらに、テーラー展開、ロルの定理、マクローリン展開が微分のところでどういうふうに役立っているのかもわかりやすく書かれていた。
一番面白かったのは、オイラーの公式のところだった。
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[9版]平成29年11月20日
途中、ペンと紙、関数電卓など投入しようとおもいましたが、タイトルに従って「読むだけ」にしました。読み物以上、専門書以下という感じです。
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瀬山さんの数学本、わかりやすくて好きです。
この概念があると何が嬉しいのかを抑えてくれるので、つながりを意識しながら学ぶことができるのがわかりやすいのだと思います。とは言え結構難しい部分もあったのでもう一度じっくり読み直したいです。
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虚数は存在しないという論調あるけど、そもそも虚数以前に実数ましてや正の整数ですら存在しないものらしい。これ聞いてやっと腑に落ちた。”数「3」が存在しているのではなく、存在してるのは数「3」で表現される何か”らしい。
算数→数学が本質的に変わったわけでないなら、高校数学→大学数学も本質的には変わるわけではないよね。やたら大学数学と高校数学は違うからとか脅す人いるけど。
瀬山士郎
1946年、群馬県生まれ。東京教育大学理学部数学科卒業。群馬大学教育学部教授を経て、放送大学群馬学習センター客員教授。数学教育協議会副委員長。専攻は位相幾何学(トポロジー)
「数」、いま 21 世紀の現在、私たちの生活は数抜きでは考えられません。 朝、目覚めてから夜、床につくまで、生活のほとんどすべての場面で数が出てきます。「起床時間6時」はすでに数ですし、「2006年4月1日」という日付もそうです。うれしい数字もあるでしょうし、いやな数字もあります。すぐに実感がわく数もあります(1000円の買い物!)が、とても実感がわかない数(700兆円の借金! ちゃんと書くと700000000000000円)もあります。 このように、いま、人の生活は数で成り立っているといってもいいでしょう。
位取り記数法とは、数を表す記号を、どの場所に書かれたかによって区別する方法です。同じ1という数字が表す数が、場所によって変わるということです。そのためには二つの大きな飛躍が必要でした。一つは、数えるものをいくつかに束ねることにより新しい単位をつくるということ、もう一つは空位を表す「0」の発見です。 まず、束ねるということから考えましょう。複数のものを束ねて新しい単位をつくるとき、最初に問題になるのはいくつを束ねるかということです。人には指が 10 本あります。ここから、 10 個をひとまとめにする 10 進法 が発生しました。 10 進記数法では、 10 集まったらひとまとめにし、それがさらに 10 集まったらまたひとまとめにするという方法で数を数えていきます。
ここにリンゴが一つもないということと、ここにリンゴが0個あるということが同じであることを理解するために、人はどれくらいの時間を費やしたことでしょう。しかし、位取り記数法ではその場所が空っぽであるなら、つまり 10 や100の束がないなら、それを明記する必要があります。こうして0はなくてはならない数になりました。
こうしてモノの個数を表す数として自然数が発見されました。自然数は一つずつ、いくらでも大きくなっていきます。これで、この世の中にあるいろいろなものの多さを「数える」ことができるようになりました。このように自然数で「数える」ことができる量を 分離量 といいます。
このように分数にはいくつかの意味があります。それが分数の理解を難しくしていますが、一方で、数学的な内容が豊富でおもしろい数でもあるのです。
数学を専門に扱う人の中にも、虚数は存在しない数だという考えを助長するような発言をする人もいるのは困ったものです。曰く「こんなけったいな数など金輪際お目にかからない」、曰く「虚数なんて世の中にない数でしょ。そんなもの勉強して何になるんですか?」。
もう一度言いましょう。実数だけが実在し、虚数は実在しないというのは迷信です。もし、数があるのかという問いかけに答えるのなら、いままで見てきたように数「3」だって存在はしません。存在しているのは数「3」で表現される何かです。 -3 という数も実在の量としては存在しません。存在しているのはその量の状態です。実在しているとだれもが考える正の実数でも、無理数ともなるとその存在感は大変に不安定です。
ですから、実数が実在するというのもその意味では幻想です。私たちは小数点以下1兆桁などという数を扱うことができないし、計算することもできません。唯一、想像することだけができるのですが、もしかすると、想像さえもできないのかもしれませんね。
では、虚数はどうして実在しないと思われてしまうのでしょう。迷信のよってたつ基盤は、次の点にあるのではないかと思われます。 「数は具体的な量を表さなければならない」。たしかに小学校以来、数はものの個数、長さ、体積など、具体的な量を表すのに使われました。しかし、前に述べたように、中学校で導入されたマイナスの数は、具体的なものの個数を表すことはないのです。-3 個のリンゴは実在しませんし、-5 人の人もいません。
日本では、小学校の算数が、中学校では数学と名前を変えます。出世魚みたいですが、そのために急に難しくなったと感じる生徒も多いようです。 しかし、算数と数学が本質的に違うわけではありません。 算数とは、小学校で学ぶ数学のことです。どんな学問でもだんだんと難しくなるのは当たり前で、算数が数学と名前を変えた途端に学問としての性格を変えてしまったわけではないのです。
① 一般定数 としての文字……交換法則の記述のように、数一般などを表す ② 変数 としての文字……変化する数値を表す ③ 未知数 としての文字……特定の数ではあるが、いくつであるかわからないものを表す
「代数とはずるい数学だ」という言葉があるそうです。 つまり、わかっていないのにわかっているふりをして、 とおいてしまう、ということ
この問題を最初に解決したのは、ノルウェーの若き数学者アーベル(1802─1829)です。 さらにその結果を深化させ、「方程式が解けるとはどういうことか」に決定的な寄与をしたのが、フランスの天才ガロア(1811─1832)でした。この、決闘で 21 年の生涯を終えた数学者については、「神々の 愛 でにし人は 夭折 す」という言葉とともに、数学史に刻まれています。
このように、群の概念は、方程式の解全体のある種の対称性を分析する概念として、初めて数学に導入されました。しかし、群という構造それ自体が、数学の研究対象としてとても興味深いものです。
文字の使用は、小学校の数学と中学校の数学を分ける分水嶺の一つです。
このように、変化の法則を考えるとき、逆にこの変化の中で不変に保たれているものは何だろうか、と考えるのはとても大切なことです。名探偵シャーロック・ホームズは推理の過程で、この事件の中で変わらなかったことは何だろう��と考えて、事件の真相に迫ったことが何度もあります。 この考えをさらに発展させて、数学では 不変量 というアイデアを考え出しました。
1次関数のグラフはすべて合同、2次関数のグラフはすべて相似でしたが、残念ながら3次以上の関数のグラフについてはそのような性質はありません。 この関数の変化の様子を代数的な方法だけで分析するのは難しく、微分積分学という数学はそれを分析するために開発されてきたという側面を持っています。ここでは次のことに注意しましょう。
三角関数は、円運動に伴って現れるとても大切な関数です。この関数は、従来三角比の発展として考えられることが多く、それは幾何学的な理解としてとても大切なことですし、三角比は具体的な測量などとも関連して重要な考え方です。 しかし、関数としての側面は、三角形より円運動に関連して考えたほうが考えやすいと思います。 すなわち、三角関数を単位円周上の点の位置を表す関数と考えます。そのために、半径1の円(これを 単位円 という)の上の点について、その位置を数値として表す方法を考えなければなりません。 その一つの方法が ラジアン という単位です。
数学の理解には、特殊な例を積み重ねて一般の概念に到達する場合と、一般の場合を先に考えて、その特殊な場合として個別の例を考える場合とがあり、それは題材によって違ってきます。 「問題が難しければ一般化せよ」とは、数学者ジョージ・ポリアの逆説的な名言です。
さて、いままでに見てきた関数を振り返ってみると、扱ったのは多項式関数、指数関数、対数関数、三角関数、逆三角関数でした。 多項式関数をわり算することで、分数関数が出てきます。また、 乗根を用いると無理関数が出てきます。 多項式関数、分数関数、無理関数の逆関数は同じ仲間の関数、多項式関数、分数関数、無理関数になります。 指数関数と対数関数は互いに逆関数でしたし、三角関数と逆三角関数も互いに逆関数です。つまり、これらの関数たちはまとまって一つの世界を形作っています。 これらの関数をまとめて 初等関数 といいます。 とくに多項式関数、分数関数、無理関数をまとめて 代数関数 といい、指数、対数、三角、逆三角の各関数を 初等超越関数 といいます。
関数の値を具体的に計算する一つの手がかりを与えてくれるのが 微分 です。 ところで、微分という数学の最も特徴的なことは、微分が加減乗除という四則演算だけでなく、極限という五則めの演算を扱うということです。
高等学校で極限を学ぶと、この等式が理解できるはずですが、それでも多くの高校生が0.9999……と1の間に、わずかな隙間(違い)があると感じるようです。 これを、「じゃんけんはあと出しが勝ち!」方式の極限で考えてみましょう。わずかな隙間があると考える高校生が先手で、こちらが後手です。
微分積分学では、指数関数や対数関数は、普通はこの底 を使います。 対数関数は、指数関数の逆関数です。微分積分学では、 の指数関数の逆関数を 自然対数 といい、 と書きます。つまり、「」(第3章参照)です。 この右辺の関数の微分をつくれば( とが入れ替わっていても、微分は同じように考えればよい)、 の についての導関数がであることに注意すると、 です。
関数をブラックボックスと考えるのはとても有効な考え方ですが、多項式関数の場合はブラックではなく、その仕組みがよくわかっている関数なのです。ですから、多項式関数のわり算の形で表される分数関数も、関数の値を計算することができます。