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海洋堂立ち上がり期のメンバーだった著者による創世記。海洋堂というか趣味系ビジネス立上げって、どこもかしこもハチャメチャで熱かったんだろうな。
著者が大阪芸術大学の出身で時期的にガイナックスメンバーともかぶるのでアオイホノオ好きとしては関連情報を読んでいるような楽しさもあり楽しかった。
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この映画監督のことは知らないけど~大阪芸術大学に入った僕は何となくギャラリーに惹かれて路地の奥に足を踏み入れた。館長やセンム,BOMEさんや原さん,数々の原型師と共に模型はアートの世界を拓いていく~楽しそうな青春時代ですね。ちょっと我が世代からは外れていて,妹の世界かぁ。記憶力のある人が羨ましいねぇ
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フィギュアの聖地(聖地?)海洋堂の85年頃の話
作者さんが出入りしてた頃の体験記
海洋堂はわたしでも知ってる(ガシャポンしか持ってないけど)
TVでも見たことある
ボーメさんしか知らないけど
そういうスゴイ原型師さんがいっぱい出てくる
好きなことをとことんやれるってすてきだなあ
まさに梁山泊ってかんじだなあ青春だなあ
と思った
フィギュアほしい
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フィギュアが好きだ。海洋堂のものも沢山持ってる。そんな海洋堂の創生期を描いたのが本作品。ほんと部活動みたいなノリで楽しそう。いろいろな人が海洋堂に集まり、去って行った。創生期の熱さが伝わる。
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積ん読チャレンジ(〜'17/06/11) 35/56
'17/02/16 了
今や世界的メーカーとなった海洋堂と、海洋堂が文化の黎明の一翼を担った「ガレージキット」文化の足跡を辿った本。
どこか狂っているけど、こんなリビドー溢れる青春(まったく爽やかでは無いけど)を送りたかったと思わずにはいられない。
造形物が何より好きで、何らかのクリエイターになりたかった自分としては本書に登場する人物たち全員が羨望の対象だし、原型師になれなかった筆者の悔しさと寂しさは凄く共感できる。
読めば何かを作りたくなる一冊。
1984年の『ゴジラ』は原詠人氏の原型による海洋堂のガレージキットを参考にしていると言う話は目から鱗の情報だった。
「僕がおばちゃんと世間話に講じていたら、どこかから帰ってきた館長が、僕を見つけるなり
大声でこう言った。
「お、ヒサトモドキ、来とるな!」
(略)きょとんとしている僕に、館長は言った。
「お前、ヒサトに似てるてウチで評判なっとるぞ」
まだ、わけがわからないでいる僕に、おばちゃんが補足してくれた。
宮脇家の親戚でヒサトという人がいる。兄ちゃんの従兄弟にあたる、そのヒサトさんと僕の顔が似ているらしい。
(略)
この瞬間から、海洋堂での僕の通り名はヒサトモドキになった。長いから略してモドキ。」(P69〜70)
この辺の滅茶苦茶な感じが素敵。
「あの頃のホビー館によく似た建築物を、十数年後になってテレビのニュースで見ることになる。一九九五年に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教の施設、サティアンである。大勢の人間が居住できる施設であり、工場であり倉庫でもあるオウムのサティアンと海洋堂ホビー館は凄く似ていた。どちらも一般社会から切り離された空間である。」(P97〜98)
「その月のメインは、『北斗の拳』シリーズを連作していた片山の新作「ラオウ・黒王号セット」だった。『北斗の拳』の敵役ラオウが愛馬にまたがっている作品で、当初は定価五〇〇〇円で発売する予定だったが、作っているうちに黒王号がどんどん大きくなり、最終的に一万五〇〇〇円で発表することになった。」(P143)
「世界に一か所しかないガレージキットの聖地で、原型師ではないけれど、自分にしかできない作業を任されているという気持ちは、一種の宗教体験みたいなものだったと思う。
倉庫を複雑に改造したホビー館がオウムのサティアンに似ていたと書いたが、中身も宗教団体みたいなもんだった。
ただ、僕らには神も仏もなくて、模型だけがあった。」(P158)
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フィギュアなどに疎い僕でも知っている海洋堂。リアルな造作物の世界的な職人集団というイメージで間違っていないと思います。
僕世代はガンプラの一大ブーム世代でありましたので、日夜結構な数のプラモデルを作っていました。実在しないロボットなのですが「リアルな」という言葉の相応しい、重厚感のあるロボットが雑誌に沢山載り、店頭には熟練者の作った力の入った作品が並んでいたのを思い出します。
ガレキと言っていましたが、メーカー品ではないリアルなモデルをガレージキットというものがありました。子供に手が出せるものではなく、まさに好事家の作る夢のような創造物でした。
そのガレージキットで名を馳せ、チョコエッグで大衆の隅々まで虜にした職人集団「海洋堂」の創世記です。
ちょうど小学生から中学生頃の話なので、読んでいてなんとなく想像つくのが楽しかったです。ファイブスターストーリー、オネアミスの翼、夢工場87なんて聞くと昔を思い出します。ムネ熱ですね。
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【模型界の梁山泊】
少年時代、ホビージャパンを愛読していた。そこに度々出てくる「海洋堂」という言葉。ガレージキットというのは大人の、というか廃マニアのものだと思っていて、値段も高いし怖くて手が出せなかった。海洋堂はその後、一般向けの造形でも名が知られるようになる。その海洋堂の黎明期の話、そう、僕が少年だったころの話だ。
模型の梁山泊に、という館長の檄文のとおりに、初期海洋堂には強者が集まる。本名を知らない物同士、自分がいくら給料をもらっているのかもしらないような、そんな人達。かつては著作物に対する権利意識が希薄であり、海洋堂もアバウトであって、よかったこともあれば痛い目にあったこともある。
造形師としての天才はいなかった、と著者たちは過去を振り返るが、そのなかに、進むべき何かを見ていた人もいた。
著者は、そんな海洋堂で青春期を過ごし、そして一廉の何か、にはなれずに海洋堂を離れ、そして、何者かになった今、再会する。
海洋堂はガレージ的なものから会社的なものになり、アートとして文化庁から表彰されるまでになった。だけど僕の知っている(というほど知らないが)海洋堂は、間違いなくここに書かれている時代の海洋堂であり、そこは確かに梁山泊だったのだ。
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大阪芸大在学中にまだ家業に近かった海洋堂でバイトとして働き、離れたあとに映画監督等に転じた筆者が久しぶりに海洋堂を訪れ、海洋堂での日々とそこにいた「変人」達を振り返る。
筆者が働いていた頃はちょうど海洋堂とフィギュアの業界が大きくなっていった時期と重なっている。当時は給料の支払いも滞りがちだったり、著作権絡みの悶着も多々あったようだ。しかしそこに集まる「変人」達がエネルギッシュに、いざこざを起こしながらも才能を開花させていったことが語られている。
労働環境はよくも悪くも昭和の芸術家達の様相だ。しかし、好きなことに寝食を忘れてとことんのめり込んでいく様は羨ましくも思える。筆者はそんな無茶苦茶な日々をいろんな思いを抱きながら懐かしく振り返っている。