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イレーヌ・ネミロフスキーという名を知ったきっかけは何だったか、つらつら考えているがよく思い出せない。出版社のツイッターだったか、あるいはこの作家の作品が長い年月を経て映画化されるという話題だったか、あるいは何らかの書評だったか。
いずれにしろ、おそらくはアウシュヴィッツ解放70年の節目と無縁ではなかった、と思う。
本書の著者はキエフ生まれのユダヤ系であり、1942年、39歳の若さで、アウシュヴィッツで命を落としているからである。2014年に映画化された「フランス組曲」は、未完の遺作である。娘が保管していた形見のトランクから著者の死後、60年後に見つかったものだ。
本書は、「フランス組曲」の1年余り前に執筆され、著者の死後(1947年)、刊行されたものである。
主題は、田舎の村を軸に、2つの家族の、主に2世代に渡る愛憎の物語である。そう書くと何だかメロドラマ調で、あるいは少しばかり「嵐が丘」を思い出させたりもするのだが、本書の持ち味は、扇情的なドロドロ劇や、破滅を引き寄せる激情にはない。等身大の人物たちが、それぞれの思惑で生き、行き違いや衝突を経て、各々、人生の辛さも喜びも味わい、第一次大戦・第二次大戦をどのように生き延びていくかが、冷静な筆致で描き出されていく。
舞台はフランスの地方にあるサンテルムの製紙工場である。旧家である工場の経営者一族の御曹司、ピエールは、資産家のシモーヌと婚約している。が、彼には別に好きな娘、アグネスがいた。いくぶん低い身分に属する上、父母が地元の出身ではない彼女と結婚するなど、この地の常識ではあり得ないことだった。だが、紆余曲折を経て、結局、ピエールとアグネスは純愛を貫くことになる。このことはもちろん、シモーヌの一族との間に決定的な亀裂を生じさせる。
2人は土地を離れざるを得なくなるが、さらには、彼らの人生に第一次大戦が影を落とす。
ピエールとアグネス、そしてシモーヌは、サンテルムの工場を中心に、つかず離れず、互いの人生に関わり合っていくことになる。
美人だがやせ型のアグネスと、しっかり者だが容貌は劣るシモーヌが互いに密かに値踏みしあう描写。
思春期となった息子ギーの心が掴めずに苦悩するピエールとアグネス。
田舎の人々の誰も口にはしないが厳としてある社交上の不文律。
人物の描写が手堅く、「こんな人いる」、「こういうことはある」と読者の共感を誘う。
だからこそ、家族が召集された不安感、戦闘下で逃げ惑う絶望感・閉塞感が際だつ。
世の中が激動の波に呑まれる中、普通の市民はどのようにそれに耐え、生き延びようとしたのか。
著者の筆致は冷静だが冷酷ではない。悲惨な出来事もあるが、物語にはどこか、救いと希望が忍び込まされている。
タイトルの意味するところは何か。
楽なことばかりではない人生だったが、本書の結末で、アグネスは1つの「悟り」を得る。
「この世の富」とは何なのか。傍目にはささやかかもしれないが、彼女は大切なものを得たのだ。
最後の数行は、ここまで読み進んだ読者への、著者からの贈り物のような、美しい文章である。
著���はユダヤ系で、もちろん、本書の主人公であるピエールのような土地の基盤は持たない。
本書を読む限りでは、著者は自らの出自とは関わりなく、ただただ、自分が読んでもおもしろい物語、読み継がれる物語を編み出したかったのだろうと思う。
逆にそのことが、著者の死の理不尽さを物語るようでもある。普遍を求めた人の、彼女を作った一部でしかない「出自」を、彼らは糾弾したのか。
物語が残す希望と裏腹に、著者の辿った運命が苦い。