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10/12読了。革命的だの医療が変わるだの言われていたので読んでみたが…実際はどうなのだろうというのが率直な感想。もしこれらの行為が効果的であるとしても継続できるかという点では現場からすれば疑問である。現場のさらなる努力がひつようである。
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ユマニチュード?なんのこっちゃ?という自分だったが、評判から手に取ってみて、びっくり。難しいことはなにも書いていないが、人間の尊厳を尊重した行為とは、何かということが、深い洞察と学術的な知見に基づいて書かれていました。
・ポジティブな見方(視線)とネガティブな見方。
・「見ない」はいない。
・散歩ですか?連行ですか?:手首をいきなり掴まない
・「今ケアすること」をあきらめ、次の機会を待つことは、本人の意志を尊重する事にほかなりません。
・いきなりケアの話しはしない:人との関わりを求めてきたことを伝える
・「この人は嫌なことはしない」という感情記憶を残す
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フランスで注目を集めている介護方法の一つが本書に記されているユマニチュードだ。介護現場は身体的負担が大きい割に低賃金のいわゆる3K仕事だ。声をかけても反応がないか、抵抗しかしない人たちを相手にしている介護職の人はいつしか無機質のモノを扱う感覚に陥ってしまう。接し方が悪いのではなく、それにはテクニックがいるということを提言した本だ。正常な認知機能を持たない人達へどうアプローチしたら良いかざっくりと書いてある。もう少し詳細なテクニックを書いてもと思ったが、入門書なのでさらに詳細が知りたければ、専門書を読み漁るしかない。仕事ではなく、介護する家族の一助になる本かもしれない。
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書いてあることは、ケアとはこうあるべしといったもので特に目新しさは感じなかった。日々の関わりの中で意識しているものである。ただ普通にやるべきことができていないという現状があるからこの実践が注目を浴びたのかもしれない。対象者のためにと考えれば自ずとユマニチュード的ケアはできるはずである。
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非常に役に立つ。
だけど・・・。
「その看護師さんが特別美しいからというわけではなく(笑)」p.15とか、p.77のコラムとか、イラストの看護師が9割方女であるとか、p.133のイラストとか・・・。
あと、自閉症も誤解のないよう書かないと。
う~ん、なんか。
p.15は完全にsexual harassmentだと思うのだが。
こんな非常に役に立つ本でもこんな感じ、というのに、絶望というか、虚無感というか、この世はつくづく地獄だな、と。
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借りたもの。
認知症のケアの中で忘れがちになってしまう、「心を通わせる」事に重点を置き、それを分かりやすく表現した本。
介護、ケアのプロの方々に向けた入門書ながら、専門外の私にも凄く分かりやすい。
何より、認知症を患っている人との接し方を見直すきっかけになるのではないだろうか。
身内が認知症になると、今まで出来た意思疎通がままならなくなり、対処法がわからない不安から目を逸らすような接し方をしてしまっていたのではないだろうか……
ここに書いてあることは、凄く寛大な精神の持ち主でないとできないのではないかと、読んでいて落ち込みそうになったが、これは認知症云々にかかわらず、人と接するコミュニケーションの、土台レベルの基礎(マナーとか礼節以前の)であることに、読み終わると思い至る。
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とっても薄くて直ぐに読みきれるけど、とっても深くて役に立つことが書かれていました。
「驚きの介護民俗学」(六車由美)と同時に図書館に予約したのだが、あちらは一ヶ月ほどで読めたのに対し、こちらは半年もかかってしまった。つまり、それだけ介護現場に高頻度に利用されてるということなのだろう。
書かれているのは、しかし極めて介護の基本である。基本の基本は、このようにまとめられていた。
●正面から近づく
●相手の視線をとらえる
●目が合ったら2秒位内に話しかける
●最初から「ケア(仕事)」の話はしない
●体の「プライベートな部分」にいきなり触れない
●ユマニチュードの「見る」「触れる」「話す」の技術を使う
●3分位内に合意がとれなければ、ケアはあとにする。
気がつくのは、昔の近親者の介護と態度としては同じ。それに科学的な根拠を付けたしただけのように思える。それならば、これは介護労働者に必要な知識だけではなく、すべての介護に必要な知識になるだろう。また、効率という「主義」を優先させて、結果的に(さらに病状を悪化させる)不効率な介護をしている「現場」があるから、ここまで注目されたのだろう。
「ユマニチュードは精神論ではありません。ユマニチュードは、自分も他者も「人間という種に属する存在である」という特性を互いに認識しあうための、一連のケアの哲学と技法です」(34p)
それはつまり、「介護に人間を取り戻す運動」にするということなのではないか。ユマニチュードが時に「革命」とも言われる所以だろう。
「全国の介護施設や療養型病院のうち少なくとも1510施設で、2012年以降の3年間に高齢者への虐待があったり、虐待の疑いがあったりしたことが、厚生労働省の補助を受けたNPO法人の調査でわかった。」(2015.4.11朝日新聞)こういうことも、介護の技術と哲学が浸透していないことと無関係ではない。また、経営的にそれしか手段がないと思わせる政策があるからだろう。
一部の介護はプロの手からボランティアという素人に移ろうとしている。そうやって「切り捨てる」ものが「人間の尊厳」であれば、後世に悔いを残す政策になるだろう。
2015年4月9日読了
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あたりまえのことなんだが
現場に出るとあたりまえことが出来ずにいる
先ずは協力してくれる職場仲間を創るところから始めよう
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父はまだ認知症ではありませんが、接し方の違いで行動に変化が起きるだけではなく、互いの幸福感が増すという実感がもてました。あらゆる介護の場での実践を望むのは、楽観的すぎるのでしょうか。
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ユマニチュードの理論が丁寧に書かれている。なぜこの技法を使うのかが書されているため、気持ちよく技法が入ってくる。TVの影響で、どこか技法だけが独り歩きしているような気がする。時折原点に戻るためにも、この本は何度も読みたい。
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介護の世界では、ユマニチュードというケア方法がちょっとしたブームになっています。
ユマニチュードとは、簡単に言えば介護を受ける方を人間らしくケアするということです。
あまりにも当たり前のこと、介護の基本だと思います。
でもこれが話題になるということは、これまで基本ができてなかったということです。
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認知症ケアの新しい技法 Humanitude の紹介。相手を人として尊重するために、見つめ、話しかけ、触れ、立つことから始める。拍子抜けするほど単純なことだけれど、今の方法を変えて、実践に向かうことの難しさは想像に難くない。
転倒してはいけないので、過剰に保護し、結果寝たきりにしてしまう。
ケアの現場に限らない、どこにでも見られる景色だろう。
先回りして目先のリスクを徹底して排除してしまうために、本質的な目的が失われてしまう。「より良い健康状態を保つためには、転倒もそのなかで起こりうることのひとつである」(p.138)と、当事者も周囲の人々もマインドセットを切り替えることが必要だ。「転倒」を見守る覚悟がいるのだ。
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見る、話す、触れる、立つという、人の日常的な行為を大事にしながら、最後までその人が尊重されるケアを提供する。
本でも紹介されているが、確かに友達宅を訪問する場面を考えても、ノック、挨拶から始まるなど、省略できないマナーとプロセスがあるというもの。
介護でも、そのプロセスが大事なのに、介護者の一方的な都合で、その人の気持ちを無視してズカズカとプライベートゾーンに入っていませんか?と。
その通りだと思いつつ、実践するのは難しい。
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読み助2016年9月9日(金)を参照のこと。http://yomisuke.tea-nifty.com/yomisuke/2016/09/post-8ed0.html
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そうだよね、と思うものが書かれていた。
が、普段はついつい忘れがちだったり思考の端に寄せられているものを改めて矯正するという意味では良い本であったと思う。人はいくつであっても自分というものを他人にどんな形であれ承認されるということが人格を形作るうえで重要なものであると感じた。