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コンサバなタイトルだけど、
話題の起業家と田原総一朗さんとの対談集。
話題の人達だからこれまたコンサバ感を警戒しながら読むけど、テンポ良くて面白い。
編集者の力量をちょっと感じる1冊。
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すごく先進的な何かをしているのではなくて、価値軸や評価軸が今までと大きく違うことをしている人たちなんだな、感じました。
対談の中の言葉を借りれば、「20世紀的価値観」はなかなか根強く、まだまだいろいろな面で足を引っ張っているんだろうな…
古い価値観が根強いから社会が崩壊せずにどうにか持っているとも言えるんだろうけど。
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田原総一郎氏と"ポスト・ホリエモン"とも言われる80年代の若手企業家との対談。
いずれも身近な社会問題の解決を目指した実際にソーシャルインパクトのある事業内容で、注目もされているし、社会が良くなっているという実績がある。
目指すところは、これまでの大量生産や単なる利益追求ではない部分、世の問題を自分達のアイデアと行動力でという部分、その志にとてもに惹かれる。
この勇姿に、日本の未来にもまだまだ光はあると思う!!
もっとみんなに知って欲しい。
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1980年前後の起業家との対談。
収益を必ずしもあげられていない人もいて、かせげないがやりたいことをやっているという側面が見えた。
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ビジョンってもののエネルギーの大きさが、いろんな人のいろんな口で語られて、最高にわくわくする。どの人も、あっっっつい。情熱っていいなあ。こんな大人たちに憧れる。いつかこうなりたいと思う。その階段をきちんと一歩ずつでも登れてるだろうか。
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「ポスト・ホリエモン」世代の起業家が何を思い何を為し、また為そうとしているのかを、田原総一郎が対談を通して切り込む。
元が雑誌?の連載だから仕方ないのか、一人あたりの尺が短い。
聞き手が田原総一郎だから仕方ないのか、聞き手のクセが強い。攻撃的にすぎる。
特に、ティーチ・フォー・ジャパン(元)代表の松田悠介氏へのインタビューはやや喧嘩腰というか、上から目線でやや辟易としてしまった。
あと、まあ「ポスト・ホリエモン」と銘打っている時点でそうなんだけど、堀江貴文氏を引き合いに出しすぎ。
ホリエモンはホリエモン、彼らは彼ら。中には一緒にやっていたとか、刺激を受けたとかいう起業家もいたけど、必要以上に「堀江」の名が出ているように感じた。
ただ、それぞれの起業家が歩んで来た道や進まんとする先に、日本の現状の課題とそれを打破する展望が見えた感があったのはよかった。
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サクサク読める。
世代で切るのは安直だが、今の20代はさらにガツガツ具合が弱いんじゃないかなーと。
もはや、対社会というより、自分たちの刹那的な楽しみがドライブになっているかな。猪子さんが近いか。
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田原総一朗は、ソフトバンクの雑誌のザ・コンピュータってので、世界中のITの人にインタビューしてて、それをとても楽しみにしてた。それをもとに建てられたのが秋葉原のザ・コンピュータ館で、そこに家族連れてなんどか行ったことを思い出した。肉の万世でなんか食ったり、松屋でそば食ったり、交通博物館に行ったりしたんだ。それから妻の職場の本郷の近くの小松パーラーに行ったり。ちょっと古い本で、まだアメーバはブログだ。でも、インタビューされる人の選び方が最高。
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様々な会社の立ち上げ時期の大きな勝ち筋を知ることができる。ZOZOはアパレルECでクールだったから売れたという話や、アメーバは、先行サービスがある中で技術力が足りてなかったから芸能事務所に営業に行ったなど、それぞれの勝ち方が見えて面白い。
どうやったら構造的に人に使われるサービスを作れるのかを考え抜くことが重要だと感じた。
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森川当時、DeNAさんやグリーさんはソーシャルゲームをやっていなくて、世界的には僕たちが走りでした。田原だけど、結局は後発の彼らのほうが伸びた。森川さんのところは、どうしてうまくいかなかったの?森川PCでやるゲームをガラケー(従来型の携帯電話)に置き換えようとしたのが失敗でした。田原どういうこと?森川PCゲームをガラケーに置き換えようとすると、大画面で動いているものを小さな画面で動かさなくてはいけないため、いろいろな要素をそぎ落とすことになります。これはフレンチのシェフにファストフードのハンバーガーをつくれというようなもので、つくるほうは納得しがたい。それで開発のスピードが遅くなったり、コストがかかりました。また、ユーザーにも戸惑いがありました。PCゲームのユーザーさんがガラケーでも遊べるように、PCのIDをガラケーでそのまま使えるようにしました。ところがふたを開けてみると、ガラケーで初めてインターネットを使うユーザーがほとんどで、そもそもIDなんてどうでもよかった。そこに気づかず、こちらの思惑をサービス化しようとしたことが、うまくいかなかった原因だと思います。田原森川さんは一〇年の暮れに全役員を呼んで、今後は開発資源をすべてスマホ(スマートフォン)に注ぐとおっしゃったそうですね。スマホへの移行は、むしろ早かった。森川当時、スマホの時代がくるとわかっていたけど、もう少し市場が大きくなってからやればいいと考えている会社がほとんどでした。ただ僕たちはガラケーのときに乗り遅れているので、集中しないと二の舞いになるという危機感があった。だからやるなら最初からスマホ単体でやろうと、リソースをぜんぶ注ぎ込むことにしたのです。田原スマホといっても、いろいろなサービスが考えられます。どうしてLINEをつくったのですか。森川水のようなサービスをつくりたかったのです。水って要らない人がいないですよね。スマホにおける水は、コミュニケーションです。その分野でトップになろうと試行錯誤しているうちに生まれたのがLINEでした。
田原楽天でも洋服は買えますね。どうして前澤さんのところが人気なの?前澤僕たちのところでしか買えないブランドがあることが大きい。いま、二〇〇〇ブランド以上を取り扱っていますが、まだ半分以上が公式ショップとしては楽天さんで買えないと思います。田原そうなんですか。どうしてメーカーは楽天でも売らないのかな。販路は多いほうがいいじゃない。前澤ブランドの方々は、「自分たちはカッコいいものをつくっているのだから、できるだけカッコいい売り場で売りたい」という思いがあるようです。田原裏を返すと、ZOZOTOWNはメーカーから信頼されているわけだ。前澤それには二つの側面があると思います。一つは���サイトのデザインがいいとか写真が綺麗という見た目の問題。もう一つは、売っている人がどれくらい洋服のことを理解しているか、ブランドのことをどれくらい好きでいてくれるのか、という目に見えない部分です。どちらも大事ですが、アパレル業界で重視されているのは、目に見えない部分。ショップはメーカーさんの思いをお客様に伝える中継点なので、僕たちがメーカーさんと同じ思いを持っていないと、お客様に届かない。うちが信頼されているのは、おそらくそこの部分じゃないかと。
田原なるほど。それにしても、どうして生命保険だったのですか。日本の生保業界は大手の寡占状態でしょう。ベンチャーでもいけるという確信はあったんですか。岩瀬きっかけは、投資家の方からの提案です。僕のまわりはモバイルとか技術系のベンチャーばかりなので、保険業界と聞いて直感的に「意表をついておもしろい!」と思いました。冷静に考えても、僕が留学中に聞いた「大きく伸びるベンチャービジネスの三つの条件」に生保はあてはまっていました。それならチャンスがあるだろうと。田原三つの条件って何です?岩瀬まず一つは、「みんなが使っているものを対象とせよ」。これは大きい市場を狙えという意味です。次に「みんながわずらわしさを感じているものを対象にせよ」。これは大きな非効率がある市場がいいということ。そして三番目が、「技術革新や規制緩和で、そのわずらわしさを取り除く可能性のあるものを対象とせよ」。生保は、どれもあてはまるのです。
田原非効率があるというのはわかるなあ。日本の大手の保険会社は、いまでも株式会社ではなく相互会社。つまり株式を公開していないですよね。そういう業界は、ほかに聞きません。岩瀬昔のことを調べていたら、一〇〇年前も生保の営業職員が家を訪問して奥さんに不安をあおって保険をすすめていたという資料を見つけました。ひょっとするといまもあまり変わっていないかもしれません。生保のビジネスモデルは、戦後五〇年の縮図です。専業主婦で子だくさんだから旦那さんはたくさん保険に入りましょう、手数料は高いけど高度成長で金利も高いから気にしなくていいですよ、という理屈で成り立っています。ところがバブル崩壊を機に、低成長低金利、女性も働き始めて少子化になってしまった。時代はがらっと変わったのに、生保業界は延々と同じことを続けています。田原どうしてそうなっちゃったんだろうか?岩瀬護送船団のせいでしょう。日本の生命保険会社は戦後、一九四六年に二一社で再出発をしました。七二年にアリコを筆頭にアフラックなどが参入。九六年に子会社を通した生命保険と損害保険の相互参入が自由化されたため、新たに一〇社が参入、四三社になりました。ということは戦後、外資と損保以外の新規参入はずっとなかったということになります。不思議に思って、最後に親会社として保険会社の資本が入っていない新しい保険会社ができたのはいつかと調べたら、三四年でした。起業しようという人がいなかったわけではありません。当局が免許を出さないから、新規参入がなかったんです。田原ちょっと待って。三四年というと僕の生まれた年だ。そりゃ生保が古くなるわけだ(笑)。岩瀬逆にいうと、古くて変化のない業界だからこそ規制緩和でベンチャ��にもチャンスが生まれます。生保業界の規制緩和は少しずつだったのですが、二〇〇六年の保険料自由化で大きく前進しました。保険料は死亡率によって当局が決める部分と、各社の手数料の部分にわかれていますが、以前は手数料にも規制があり、護送船団で一番弱いところに合わせた値段にする必要がありました。ただ、〇六年から手数料は各社の経営判断で決めていいことに。僕が保険業界に飛び込んだのも、そのタイミングでした。
田原バイトする必要があったの?村上してましたよ。でも、町中にはバイト募集の貼り紙がたくさん貼ってあるのに、ネットで検索すると見当たらない。結局、隣町まで自転車で探しにいったりして、これは不便だなと。田原村上さんが高校生のときは、もうインターネットが普及していた?村上はい。にもかかわらずネット上で求人が見つかりにくいのは、募集広告の費用のせいでした。相場は一枠一〇万円。これを解決する方法はないかと考えたとき、掲載費用無料というビジネスモデルを思いつきました。田原無料でどうやって利益を出すのですか。村上最初は、アルバイトの逆求人を考えました。まずアルバイトを探している人が自分の希望を掲載して、それに対して企業が「うちで働きませんか」とオファーを出し、そのオファーに対してお金を取る仕組みです。
田原アメーバが有名なのは、芸能人がいっぱい使っているからだと聞きました。だから芸能人のファンである若い女性も利用すると。藤田本当は技術力でいいものをつくらなきゃいけないんですけど、スタート当時は技術がまだ弱くて、ほかの部分でカバーせざるをえませんでした。それで芸能事務所へ営業して回ることに。そこを一生懸命やっている会社がほかになかったから、まずはここだと。田原ほかがやってなかったなら、それほど苦労もなかったのでは?藤田芸能界はもともといろいろな人が寄ってくる世界なので、とても敷居が高いんです。最初は相手にされないか、もしくは非常に高い金額を要求されるかのどちらかでした。そのうちにいま、ケイダッシュ(芸能事務所)にいる方と親しくなって、その方経由でいろいろ人を紹介してもらっているうちに、状況が変わっていきました。
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面白かった。
特にサイバーエージェントの藤田さんとは価値観が似ていると思った。藤田さんについて研究してみたい