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日本国憲法は占領軍の押しつけ憲法だと言われるが、まさにそのことを裏付ける本である。日本国憲法は、連合軍総司令部(GHQ)の民政局の中の朝鮮部を除いた行政部のメンバー25人がマッカーサーノートを元に九日間で書きあげた。そういうと、だからこの憲法は改正しなければならないという声が聞こえてきそうだが、占領後の日本をどうするかという案は連合国の間で早くから検討されていたし、マッカーサーがこのような性急な作業を命じたのにはわけがあった。その一つは、日本側の憲法草案が明治憲法観からいくらも抜け出ていなかったことである。日本側に任せてはおけなくなったのである。もう一つは、ぐずぐずしていると、天皇を戦犯にしようという連合国の極東委員会の成立が目の前に迫っていたからである。マッカーサーは最初天皇を戦犯にという考えをもっていたようだが、天皇と会見しそのことばと人柄に感銘したし、日本の統治には天皇が必要であることを認識し、憲法での天皇象徴化を目指していたのである。したがって、そういう条項を織り込んだ憲法を早急に書き上げる必要があった。一方、日本側の草案を見ると、当時の人々は天皇をまだ元首のように崇め奉っている。もちろん、中には先進的な草案を準備していたグループもあったが、その多くは明治憲法からいくらも出ていなかった。実際、豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』を読むと、戦後長い間、天皇は吉田などの報告を受けるだけでなく、自ら元首に近い存在でマッカーサーと会見していたことがわかる。二重統治である。もし、日本政府の憲法案の方が通っていたらどうなったか。考えるだけで空恐ろしい。自民党の改正案はある意味、この改正案を継承しようとしているように思える。憲法の戦争放棄条項も急に出てきたものではなく、それまでのパリ不戦条約を踏まえたものであったし、多くの民主主義的な条項も民主主義とは何かを知らない日本人を教え導こうとするものであった。実際、日本人はこの憲法によって戦後の繁栄を勝ち得たし、人権意識も育ったのである。本書は、この民政局の人々の奮闘を、生き残った人々への取材を含め活写しようとしたものである。