投稿元:
レビューを見る
理系の大学に行ったのですが、高校時代から今に至るまで地理も歴史も大好きです。最近では、歴史について学ぶときに、その当時の地形がどうなっているかが分かると新たな気付きがあることを知りました。
欧州では何度も国境線が変更されていますが、それを地図を確認しながらみると、なぜその地域に拘ったのかもわかるような気もします。世界の歴史を、地図で確認しながら楽しむ読書も良いなと思いました。
以下は気になったポイントです。
・アレクサンドロスは、貨幣単位を統一し、共通語を制定したことで広大な交易圏が誕生すると、ギリシア文化とオリエント文化が行き来して、ヘレニズム文化が誕生した(p20)
・シルクロードは、唐が9世紀になって衰退を始めると、中央アジアで民族間の抗争が激しくなり、東西交易ルートは海上へと移り、衰退していく(p26)
・フランク王国が建国されたのは、481年。476年に滅亡した西ローマ帝国の領域にゲルマン人の一部族であるフランク族が入り、ガリア地方に基盤を固めたことに始まる(p28)
・カール大帝の死後、3人の子供に相続、843年のヴェルダン条約、870年のメルセン条約で、西フランク王国、東フランク王国、中フランク王国に3分割された(p29)
・元は1世紀にわたって中国を支配したものの、朱元璋率いる明によって、モンゴル高原へ追いやられる(p35)
・オスマン帝国は、第7代スルタンのメフメト2世によって再興され、約1500年続いた東ローマ帝国を滅ぼした。コンスタンティノープルは、イスタンブールと改められ、オスマン帝国の首都となった(p38)
・ポルトガルは、黄金や奴隷を求めて早々とアフリカ大陸に乗り出していた、1488年には、バルトロメウ・ディアスが最南端の喜望峰、1498年にはヴァスコダガマがインド航路を発見していた(p42)
・ハプスブルク家は、カール5世と、その弟のフェルナンドによって、スペイン系とオーストリア系ハプスグルク家に分割して継承されていく(p46)
・30年戦争終結のためのウェストファリア条約(1648)では、フランスやスウェーデンにハプスグルク家が支配していた領地が分けられ、スイス・オランダの独立が承認された(p50)
・第二次世界大戦の敗戦後のドイツは、4分割されて連合国の管理下に置かれる。1949年に独立するものの、それは東西ドイツに分裂した国家であった(p62)
・交易上の要地だったマラッカは1511年、ポルトガルに侵略され、マラッカ王国は終焉を迎えた。この占領は、1641年に、オランダとジョホール王国連合軍によって終わる、ジョホール王国はマラッカ王国の末裔が健国したもの(p114、115)
・イギリスは、ウェールズ地方にはゲルマン人の支配から逃れ、ローマ人から取り残されたケルト系民族がそのまま住み続けた。スコットランド、アイルランドとともに、新たな社会を創り始めた。イングランドは、デンマーク王クヌートに征服される(p135)
・17世紀以降、デンマークは海外に植民地を増やし、デンマーク海上帝国が始まった。その端緒となったのが、1616年にインド進出の足がかりとして設立された、デンマーク東インド会社である(p146)
・1494年にポルトガルとスペインで、トルデシリャス条約が結ばれた。1529年のサラゴサ条約では、不確定だった東半球での境界線も明確化された。スペインが過酷な植民地支配を進めたのとは対照的に、ポルトガルは貿易による利潤のみを追求(p161)
・連邦とは、地方政府がひとつにまとまった単一国家のことをいう。アラブ首長国連邦は7つの地方政府(首長国)が集まったもの(p176)
・イギリスはブーア戦争をおこして、トランスバール共和国とオレンジ自由国を植民地にしたが、鉱山採掘にオランダ系の協力は必要だった。そして考え出したのが人種差別であった。イギリスは1910年にオレンジ自由国のほか、3州を南アフリカ連邦としてまとめると、オランダ系住民を厚遇するため、白人が黒人を支配する国家を成立させる、これは1991年まで続いた(p20
1)
・1861年、サウスカロライナ、ミシシッピー、フロリダ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナの南部6州はが連邦脱退宣言を表明し、新たにCSA(南部同盟政府)という国家を樹立した(p218)
・南北戦争の死者(61万人)は、第二次世界大戦の死者の倍である(p219)
2015年5月10日作成