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流行の格差本だが、富裕層批判で溜飲を下げるタイプではないのに好印象。
機械を制する者が所得を制すがコンセプト。
かといってネットの情報強者万歳、ではない。生き残れる労働者とは、人当たりのいい、真面目で、顧客の要望に正確適度に応じられるもの。いや、これは別に今にはじまったことではない。
ネットの発達によって、安価なオンライン教育が進み、教育格差がなくなるという未来図は嬉しいが。
不要な引用や脱線が多かったので飛ばし読み。
巻末に日本の経済学者の解説があるが、日本はほんとうに経済学者が後追い。実際の経済をつくる実業家の方が優秀という気がしてならない。
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この本の主張は最後のページの次の言葉に凝縮されている。
「これからやってくるのは、天才的なマシンと一緒に働ける人が豊かになり、社会は大きく二つにわかれることになるーテクノロジーに牽引された活力ある産業で働き、目を見張る成功を収める人たちと、それ以外のすべての人たちに。”平均は終わった”のである。
先進国では、これまで社会を安定させていた中間層が減って、富める者とそうでない者にわかれてきている。これは日本でも同じことがいえる。
そんな中でこれから重用される人間は「まじめ、かつ聡明で、勝ちたいという意欲をもった」者であると説く。
これまではまじめに働いていれば、そこそこの生活ができたが、これからは学び続けることができないと中間層に残ることはできないということである。
ITCの発達は新たな仕事を作り出しているが、そこで雇用される人間の数は減っている。それが先進国の停滞を招いている。そしてその状況が続いていくと著書は見ている。こうした見方は特段新しいものではないが、少なくとも機械が人間の仕事を奪うのではなく、補完関係によって仕事を進めていく社会になるという点には希望が持てる。
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日本でも小泉改革で「格差」が問題になり、また最近話題の「21世紀の資本」などでも「格差」に大きな焦点が当てられていますが、この本はそのものずばりのタイトルで、大いに興味を持って読みました。
この本は、格差問題について現状分析してその処方を示すというものというよりも、むしろ今後訪れる「未来」について書かれたものです。
現在格差が生じてしまっているのは、現在のコンピュータ・テクノロジーの発達と、それによって今後必要とされる雇用スキルの変化によって生じてしまう必然と達観し、それはこれからも避けられないことだという前提を受け入れて、個人として「勝ち組」になるにはどうすべきか、「負け組」になってしまった人がそれでも幸せに生きられる社会にするにはどうすべきか、について書かれたものと受け止めました。
コンピュータの今後の発展については、やや見解を異にするところがありましたが、格差をなくして経済的な平等社会を作ろうとするよりも、経済的弱者でも安全・快適に生きられる社会を、テクノロジーの力を借りて作りだすべきではないかという問題提起は、十分考慮の余地がありそうに思います。
「貧困」は解決しなければならない問題ですが、そのために「金持ちの足を引っ張る」必要が本当にあるのかどうかは、考えてみる必要があるのでしょう。
いろいろ考えさせられるきっかけになる本でした。
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人間とコンピューターのチームこそ、最強のチームである。 賢い機械を動かす人物は、その課題に関する専門家である必要はないが、技能が一定水準に達しない人物を機械と組ませると、機械単独の場合よりも有効性が落ちる。これからやって来る天才的なマシンの時代では、そういうマシンと働ける人が豊かになる。テクノロジーに牽引される活力のある産業で働き、目をみはるような成功を収める人たちと、それ以外の人たちに社会は大きく二つに分かれることになる。つまり機械によって中産階級の仕事が失われ、 機械を使いこなす人材に富が集中する未来が来る、という「大格差」の時代が訪れる。これを、コンピュータチェスの進化、オンライン教育、医療への活用、恋人探しなど、具体的な事例を交えて説明している
また、科学は『理解困難』という点で宗教や魔術に近いものになる。現在の科学研究のほとんどは、「人間がコンピューターに指示して、人間を支援させる」という形だが、将来は、「人間がコンピューターにデータを与えて、コンピューターに独自の研究を行わせる」と「人間がコンピューターの研究結果を解釈する」に近づく。賢い機械が、宇宙理論の新しい理論を編み出しても、人間は誰もその理論を理解できず、説明もできない、という状況が現実になるかもしれない。
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遠い未来の事はさて置き、比較的直近の未来ではマシンに世界を乗っ取られるのではなく、協業できるものが繁栄すると言う。
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原題は「Average is over」であり、日本語題や副題よりも内容を現わしていると思う。
コンピューターやITの発達に伴い単純労働は低賃金化し、それらを使いこなすスキルの高い仕事は高賃金化し、その間がなくなっていくという論旨である。
原著は2013年に、日本語版は2014年に出版されていて古くはなく、十分に現在の状況を正しく解析しており、アメリカだけでなく日本でも成り立つ論旨だと思う。
高賃金の仕事はどのようなものか、人生を変えられる若い人こそ本書を読んでほしい。2極化のレベル差や進行の度合いは違うかもしれないが、技術の進歩と高年齢化に基づくこの流れの方向性は間違いないからだ。
ピケティの言う2極化とは異なり、個人の努力で切り開ける将来がこの書には示されているのだ。
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読む前は想像もしていなかったけれど、チェスの話がとても多かった。
では期待はずれかというとそんなことはなく、ケン・リーガンのチェスプログラムを用いた、指し手の質の評価に関する研究が紹介されていて非常に興味深かった。
チェスプログラム(既に人間よりずっと強い)を信頼性のある基準として、チェスの対局における人間の指し手の質(=人間の意思決定の質)を評価したところ、
・プレーヤーの犯すミスの数はレーティング(技術レベル)どおり
・チャンピオンクラスはチェスプログラムが好ましいと判断した手と同じ手を選択する確率が高い(といっても絶好調時でも55%程度だそうです…)
といった知見が得られたとのこと。
チェスプログラムから見たら(どんなに強いプレーヤーでも)人間なんてミスばかり犯すということですね…。
記録上の過去の指し手も同様に評価したところ1850年代の世界最高のプレーヤー ポール・モーフィーの実力はレーティングにして2300相当(現代では全米100位にも入れない程度)と推定されたそうです。人類のチェスのスキルは向上していっているんですね。
また、チェスプログラムが登場し人間がこれを利用して学ぶことによりチェスプレーヤーの実力はさらに向上しているそうだ。コンピュータ様々。
コンピュータとはうまく付き合って、機械にできることは機械にまかせ、人間は人間にしかできない分野についてのスキルを高めてうまくやっていこう。
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なんだかずっとチェスの話だ。社会問題としての格差の話じゃなくて『機会との競争』(あの日経BPのやたら装丁が凝った黒と銀色の本)の内容に近いだろう、最後の章の都市の生活についてというのが一番おもしろかったが、いかんせんチェスの話が多すぎる。(やらないのでよく分かっていない、チェスができるひとならもっと大きな理解が得られるのか?)
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機械の発達によって機械と共同作業をする能力に欠ける人間は雇用を奪われ、より低賃金の職にしかありつけなくなる。未来は今以上の格差社会となり、しかし人々はそれを受け入れざるを得ないだろう。
経済学の想定する個人は能力の格差が所得の大格差として現れることを受け入れるし、低所得でもそれなりにうまく生活できるようテクノロジーの発展がサポートしてくれる。住む場所さえあれば福祉なんて無くてもどうってことない。だって医療が健康に与える影響は10%しかないんだもの。。。
本書が描くのはそのような光景なのだが、その根拠は時折現れる「私ならそれを選ぶ」という決まり文句以外あまりはっきりとは示されない。多分この本に描かれる未来は科学というよりもむしろ著者のような保守的な経済学者にとってこうあってほしいという希望なのかもしれないと感じた。
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先日、タイラー・コーエン 氏 による「大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか」を読み終えました。
コーエン氏の著作は、以前「大停滞」を読んでいるので、これで2冊目になります。前作に続いて、ちょっと話題になっている本ですね。
内容としては、テクノロジーの高度化・進化が近未来の雇用環境・労働現場へ及ぼす影響を論じているのですが、結果として、将来に向かっては社会の富の分布に変化をもたらし、社会は、「中流層の縮小・富裕層と貧困層の差の拡大」という方向に進んでいくと著者は指摘しています。
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この本の半分も理解できていないかもしれないが、コンピューターに雇用を奪われてもマネージメント力は必要とされるとか、コンピューターとの会話が成立しない、神様に祈るコンピューターは現れない、チェスは得意だが、ナビは下手だなどなるほどと思うところが多かった。得意な分野ではないが、こういう本をまた読みたい。最も得意な人ならもっと掘り下げて機会学習とかの本を読むのだろう。比較的文系向けの本だと思う。
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アメリカの話だけど日本にも通じるセオリー。オンライン教育と最終章の富裕層と低所得者層の話しが参考になった。
1割りの富裕層に入るためには、富裕層に対するサービス提供者(ロボットではできない)になるか、itと協力できるビジネスを生み出す者になるか。
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自動運転について勉強する過程で、AIが進んだ後の労働市場について興味を持ち手に取った。
「まとめ」
・広義のサービス業を除く、すべての産業に人口知能の介入が避けられない中、主に生き残るのは「機械と協働でき」、「機械の能力を補完できる」人材である。本著では特にマーケティングと金融工学が示されている。
・結果、超富裕層とそれ以外の層に分けられる。それ以外の層の人は主に富裕層を対象とした広義のサービス業でフリーエージェント的に働くしかない。ここでのフリーエージェントは近年流行しているようなポジティブなイメージというよりむしろ、最低限の賃金しか得られないものである(効用はあげるものの、なくてもいいものであるため)ためベーシックインカムのような制度を導入しないと国として国民の最低限の生活維持が難しくなるのではないか。
「感想」
・チェスの話は印象的だった。機械対人で人が勝てないという事実を読んだ段階で、機械+人対機械をやる必要性を感じなかったが現状、勝つのは機械+人とのこと。AIと聞くとすぐに仕事が取って変わられる印象があるが実際はこのチェスから推測されるように、人+機械の協働の機会があり人間が何をできるか考える余地は感じた。
・一方で、機械だけでそれらに勝る知能を身につけた時に、多様性という観点から見た時に世の中はどのようになっていくのかという想像はまだまだ膨らむなとも感じた。
・遠い将来的にこうなるとして、そうなる過程で既得権益を誰がどう壊していくのががある意味一番興味を持ったポイントである。
「学び」
・既得権益に守られている今以上に、自らがやりたいことを時代も潮流も踏まえて考える必要性を感じた。
・最近ブームのデザイン思考はまさに機械と協働する1つの方法で、さらに勉強したい。MECEではなく人起点で物事を考える思考回路であるが、人の感情は必ずしも1つに言語化、特定できるような簡単なものではない。「言葉にならない」という言葉があるくらいだ。笑
ここの部分を極めるということで、上述したマーケティングの部分は推されているというのはまさに今、アメリカ大統領選挙を見て感じた。
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最近上司とよく話すことが多い機械の知能と仕事の関係について書かれた本だったので手に取ってみた。非常に面白かった。星新一が小説の中で描いた世界がすぐそこまで迫ってきているような気がしてしまった。
・機械から与えられる情報を迅速に理解できる人は,私生活でも職業生活でも非常に有利になるだろう。ただし,そのためにしばしば必要とされる資質は,誰もが持ち合わせているものではない。その資質とは,極度のストレスにさらされたとき,それに押しつぶされないこと。
・現実世界では,データや分析結果を迅速に活用できることが大きな強みになることがしばしばある。…人はあらかじめ処理しておいた情報を瞬時に引き出そうとする。これらのケースではことごとく,人がコンピュータから何を学び,コンピュータから得る情報とアドバイスをどれくらい覚えておけるかがますます重要になりつつある。
・専門職がレーティングの対象となり,患者や顧客から見下されるケースが増えればますます助言や指導が無視されるだろう。
・機械の判断責任をどう問うか
・科学の未来はどうなるか。研究者が科学研究で担う役割の専門分化が進む。遠くない将来,賢い機会が自立した優秀な研究者になる(ほんとかなあ)
・新しい社会的契約
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巷で話題のピケティ本は読んでない(というか、ここまでブームになってしまうと逆に読む気もなくなる…)のだが、ベストセラー『大停滞』のタイラー・コーエンが「格差」について論じたこちらの著作を読んでみた。
ここで語られるのは、技術革新が労働、雇用、所得に影響を与えることで生じる格差社会。
コーエンがイメージする格差社会は以下のようなものである。
これまでの産業の歴史においても、技術の革新により、以前は人間がやっていた仕事がだんだんと機械に代替されてきた。
が、「機械の知能(人工知能)」が飛躍的に発展することにより、これまで人間にしかできないと思われていたインテリジェントな判断やノウハウを必要とする領域まで機械が進出するようになるという新しい潮流が現実化しつつある。
そのことによって、中程度のスキルを要する仕事が機械にシフトすることになり、これまでそれらの仕事を担ってきた「中流」の労働者たちが職と所得を失うことになる。
その一方で、機械と協働することで価値を生み出すことができる上位層の労働者は機械の能力を借りることでさらに自らの価値を高めることになる。
現在の米国では、上位1%の超富裕層が富を独占していることに批判が集まっているが、将来的には上位15%が超富裕層となりその他大勢の下位層と断絶した社会になることが予想される。
実質所得を減らした下位層の人々は、生活レベルや住む地域の質を落とすことで、多くを望まない身の丈にあった生活を送ることで新しい現実に適応していくことになる。
格差は固定したものではなく、機械と協働するスキルを磨くことができれば誰でも上位層に入るチャンスはある。
そのためのカギは、どのような教育を受けることを選択するか、労働や生活に勤勉に取り組む基本的な所作を身につけることができるか、といった要素にある。
コーエンが描く格差社会はけっしてディストピア的なものではなく、現在の流れの延長線上の姿を冷静に想像したもの。
それだけに現実味を感じてしまう。
また、米国の社会を題材に書かれているが、日本においてもそのまま当てはまりそうな話ばかりである(グローバル化ってそういうことなのだろうが)。
結局、格差ってまさに相対的な概念なので、こうした格差社会を受容できるかどうかの感覚は何を基準として拠って立つのかに依存するような気もする。
すなわち「総中流」が当たり前だった世代(およびその感覚を受け継いでいる世代)から見れば許し難い社会である一方、「総中流」が崩れた時代しか知らない世代にとってみれば案外すんなりと受け容れられるものなのかもしれない。
以上が本筋であるが、本書には「機械の知能」についての興味深い考察や見識が多く盛り込まれているので、以下メモとして残しておきたい。
・機械の知能に関わる産業にはほとんど規制がないので進歩のペースが極めて速い。たとえば、規制だらけの医薬製薬産業とは対照的である。ただし、将来的に機械の知能に関わる産業においても規制が強化されていくことは想定される。
・2009年の景気後退期、米国では失業率が上がるとともに労働生産性の数値が上昇した。生産性の低い人たちが選択的に解雇され、それきり呼び戻されなかったと想定される。
・現代の人々は、体調がすぐれない時、医者にかかる前にGoogleで情報を検索する。そういう意味では、すでにGoogleは「機械のドクター」と化している。
・人間と機械がチームとなって協働してくだした判断の是非を、人間が判定することは難しい。
・教育の世界で人工知能が進歩すると、人間の教授の役割は、モチベーションを刺激し、コーチすることに限られていくであろう。
・科学の世界ではその研究成果があまりに進展していくと、普通の人間が直感的に理解することが困難になる傾向にますます拍車がかかる。また、専門分化が進むことで、一人の人間が全体を把握しイノベーションを起こすことが難しくなり、平凡で官僚的な世界になる。今は開拓の余地が大きいSNSの世界も、やがてはそうなるだろう。だが、機械の知能を使いこなせば個人がイノベーションを生むことも可能になるかもしれない。