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すべてがオープンでプライバシーの概念もなくなっていく環境の中で、個人の生存戦略として挙げているのが、寛容であること、他人に与えること。それから親鸞の悪人正機説。
確かにこういう生存戦略、もちろん同意するんだけど、ぼくら世代はどこかやっぱり親世代からの「ウェットな共同体の強いつながりに依存せよ」みたいなステレオタイプな同調圧力に呪縛されている。
で、それもなんとなく居心地よかったりするから抜け出すことが容易でない。
ところで、生物の種としての生存戦略なら、本能にしたがって環境に適応することだろう。
だけど人間は、生まれてからすぐに立ち上がって歩くことができるような動物たちとは違う。
生まれたときからまわりに迷惑をかけながらでしか生きることができない。つまり本能的なものが欠損している。
だからそれを補う生存戦略が必要。
本書にある実にシンプルな生存戦略に則って、環境に適応するというよりも、むしろ自らに相応しい環境を作り上げていく。
それが呪縛を解くロードマップになるのだ。
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佐キュレさんの本の中ではテーマも語り口調もガラッと変わってポップな印象。
善い人、というより、ゆるくボーダーを越える、それを維持する、みたいなことが重要かと解釈。
とりあえず、ついなりがちな上から目線は絶対に避けようと思えた。
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・セーフティネット
最初から自分のことを書くんですけど、これはここ数年自分の中でのテーマでした。
「これがダメだったらああしよう」みたいなことを考えとくことは日々の生活の中で重要ですよね。だからこそ目の前のことに集中できる。タスク管理とかもそう思いつつやってます。
・SNSの意義について
フェイスブックをはじめとしたSNSの活用法にも言及されてます!
「つながりやすさ」と「信頼を得ること」(記憶が曖昧ですが)がSNSの意義なんだそうです。
mixiの紹介文制度をなんとなく思い出しました。あれは友達とつながれるし、その紹介文によって周りの信頼を得ることができる、好きな仕組みでした。今はほとんど使わなくなっちゃったけどね。。
・SNSのコツ
あと、「有用なことを書くのが大事」。ごもっともです。
僕は主に遊んだこととか走ったことしかタイムラインに流してないから、どうにか読んだ本の情報は誰かの役に立たないかなーと思って書いてます。あまりいいこと書けてないけど。。
そこにいいねをつけてもらえると、自分も少しは人の役に立ってるかなー、なんて勝手に嬉しくなります。
・総透明社会のいいところについて
ネットのつぶやきがそのまま丸聞こえになることはデメリットもあれば、いい評判がすぐ広まる面もある、と。
確かに、例えばホームページにお客さんからのお褒めの言葉が掲載されると、自分も非常に嬉しくなることがあります。
・自分の立ち位置を知ること
いい人とか悪い人とかじゃなくて、1人の人間がいい方向にふれたり悪い方向にふれたりする。これ腑に落ちました。
その上でどの考えも大切。大学のときに受けた講義に似てる!!
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見てくれてる人は見てる 終身雇用の家族的な会社の殺し文句
情報技術の発達で 私達の人生に隠し事ができにくくなった なんでも見られてしまう総透明社会になってきた
戦術 個々 戦略 大局
Facebook この人は役に立つことを書いているなと思わせること
人間関係を手軽に維持するための道具
自分という人間の信頼を保証してくれる道具
藤田晋 ネットはごまかしのきかない丸裸メディア
過去の蓄積が その人のほんとうの人間性を物語る雄弁な証拠になってくれる
個人情報がたくさん集められると ビッグブラザーに監視される社会になるのではなくて 企業から無視され黙殺される社会になるんです
悪意に満ちた発言は自分の評価を下げる
相互監視がないところに行くと日本人はルールから外れた行動を平気でとる
わたしたちは過去の悪事は隠せなくなるけれど、同時にお互いの良い所もすぐわかるようになる
善い人でることが、最強の生存戦略
会社のために黙々と仕事をするよりも、広い社会のために善いことをするというほうが正しい生存戦略
生存戦略として正しいのは、見知らぬ他人に対しても寛容になること
消極的な善い人というのは、他人のやることを認めて上げる人
積極的な善い人というのは、与える人。さまざまなものや自分の知識を、広くシェア出来る人
清廉潔白にすぎると、人のあら捜しをしてはとがめるようになり、しまいには友人を失ってしまう
ビュアなひとほど、人のあら探しをする
自分がピュアであることを主張し、どこかにいる強い悪を非難していれば、だれかから非難され返すことは絶対にありませんよ。そりゃ。最強の立場です。でも同時に、それはとてもずるいんじゃないかと思うんですよね
被害者意識という最強の武器
自分が汚れなのないピュアな者であるってことは、いつまで経っても気楽な身分であり続けられることでもあるんですよね。でもそれは同時に、自分の人生を実は引き受けていなんだという決定的な不安を、どこまでもどこまでも抱えていかなけりゃいけない。これはつらいですよ
わたしたちはは勝者にもなれるし、敗者になるかもしれない 良い人にも悪人にもなる
そういう入れ替わり可能な人生ってことなんです。入れ替わり可能であることを、引き受けなければならないんです。
他人を非難し、攻撃する人は、しょせん偽善者でしかありません。「わたしたちはこれだけ我慢している」「わたしたちはこれだけ一生懸命やっている」「わたしたちはこれだけ正しいことをしている」「だからわたしたちは善なのだ」という思い込みは偽善でしかありません。
自分はしょせん悪人なのだから、自分の悪をあげつらって、他人のやっていることを一方的に避難することはできないってことに、人が行きていることの救いがあるって親鸞は考えました。いまこそ親鸞の教えが、21世紀の社会を生きてるための現実的な意味を持って立ち上がってきてるとわたしはつくづく感じています
生存戦略として、見知らぬ他人を信頼すること
生存戦略として、多くの人との弱いつながり
生存戦略として、善い人
生存戦略としての、自分の中の中途半端な立ち位置を知るということ
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大手新聞社からフリージャーナリストに転じた著者が、会社や親族などの旧来のセーフティネットは崩壊したとの認識の元に、これからのセーフティネットすなわちSNSのゆるーいつながりを語ったもの。
また現代は「総透明化社会」であり、もはや個人情報を隠すことは不可能、との認識により、「では、どう活用するか」という観点からもSNSの活用を説く。
○フェイスブックのようなSNSは行ったレストランや旅行の自慢なんかをする場所なんかじゃなくて、「人間関係を気軽に維持していくための道具」であると同時に、「自分という人間の信頼を保証してくれる道具」でもあるんです。
○つまり、フェイスブックで大切なのは、食べてるご飯のことでと週末の旅行先でも、ネットの記事でも何でもそうなんですが、「この人は価値のあることを書いてるなあ」と思ってもらうことなんですよ。旅行の写真だって、単に写真を載せるだけじゃなくて、「この観光地の見どころはこことここで、ここでご飯を食べるのがお勧め」とか、「東京からのアクセスは新幹線より、飛行機とレンタカーのほうが便利」とか、そういう有用な話を書いたほうがいい。
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そうだよなあ、という同意で溢れる。戦略と言うと狡猾かもしれないけど、無理せず素直に善い人であろうよ、みたいな
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「箱」という概念がとてもわかりやすい。箱の中の「絆」に重きを置きすぎるのではなく、箱の外の弱い繋がりも大切にしよう。ネットを通じて与える人でいられることがこれからの時代の生存戦略。非常に明快で素晴らしいメッセージだと思った。
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【読書その257】ジャーナリスト佐々木俊尚氏の新しい著書。現在をフェイスブックをはじめとした、ソーシャルメディアを活用しながら、ゆるーく生きる方法について記載。
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SNSがその人を裸にするというのは、そうで丸裸にされても平気、それがありのままの自分として評価されていい、という面持ちになれば、「ソーシャルこわい」といった短絡的な思考にはならない。
プライバシーの捉え方が変化してきているというのはそのとおりで、プライバシーと利益とのトレードオフというのは、すでに多くの人がやっていますよね。
これから今までに持っていた価値観がゆるやかに確実に変化していくというのを再認識し、テクノロジーを使ったコミュニケーションもリアルのも断絶無いシームレスなものになっていくなと感じました。
電車の例えはなかなかおもしろいなと思いました。
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雑多なエピソードを無理やりごちゃっとまとめて一本の本にするいつもの佐々木俊尚のスタイルだなと
このストーリーを作り上げる腕力は凄いものがあると思う
閉じた世界にこもらず、他人に対して自分をもっとオープンにしよう、そうやって色々な人とのつながりを作っていくことがこれから必要なんだっていうお話
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ひっさびさに佐々木俊尚の本を読んだ。昔は新刊が出るたびに読んでいたような記憶があるが、出涸らしのような本が3冊で当たりが1冊のような感じだったので読むのを辞めていたのだが、これは当たりの一冊の方だった。今でも出涸らしのような本を書いているのかは不明だが、とにかく面白かった。
ライフハッカーで http://www.lifehacker.jp/2014/08/140831facebook.html の記事を読み、FBは二年間くらい見るだけの人になっていたが、積極的に使ってみようかな?と思いたち、そうえば佐々木俊尚が同じ様なこと言ってたな、と思いこの本を手にとった。やはり自分が積極的に投稿したり、FB上で積極的に関わっていた時には、そんなに妬み嫉みのような感情は産まれなかったし、人との繋がりによって産まれる幸福度も今より高かったように思う。しかし、それは現実の世界でも割と強いつながりを持っている人同士、ネット上でも強いつながりをもって交流していたから楽しかったのであって、学生時代も終わり、その名残でFB上で緩く繋がっている人と交流してもしょうがなくね?と思っていて、使うのを遠ざかっていたし、ただ眺めているだけだと幸福度はむしろ下がり、妬みの感情が生まれてくるため、閲覧することさえ控えていた。しかし、この本でも言われているとおり、仕事の話とかが緩いつながりから情報が伝わってきたりとか、積極的に自分が関わっていくことでむしろ幸福度が高まるというようなことはむしろ納得の行く側面もある。今後FBをもっと積極的に使っていこうかなあーと思い始めているときにこの本を読むことで、動機がより一層補強された感じ。FBの事はさておき、日本の村社会についてや、親鸞の善人より悪人の方が良いとい下りなど、普通に読んでいて面白いし、考えさせられる。こういうノンフィクション系はさらーっと読んで自分の中で内容を練り込むのが楽しい。またコレ系の本を読みたいな。
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強固な「箱」(共同体)が存在した昭和の時代は遠くになりにけり。
小さな箱の中だけで一生を終えていた、善い人でいればよかった時代は終わり、「ゆるいつながり」の時代へ。
どんなに過酷でも、後戻りはできない底抜けの時代を生き抜くためには、見知らぬ人を信頼し、弱いつながりを編み目のように作り出すことが処方箋になりうると著者は言う。
そのためには何かを与えられる人(≠テイカー)、つまり「積極的な善い人」になることが、宗教や道徳といった今までの枠組みを越えて、生存戦略そのものになっていく。
Facebookの履歴・蓄積こそがその人を表すものになっていると。
そして、自分の立ち位置の問題にも言及。
親鸞の例を用いながら、すべての人は偽善者でも偽悪者もなく、宙ぶらりんである(すべての人は悪人である)。 「自分は善い人である、その(被害者とか)人の気持ちがわかる!!」という偽善者になってしまうのではなく、その宙ぶらりんで中途半端な存在であるという自覚こそが、自分と相手が入れ替え可能だということを知り、他人を受け入れる(=信頼する)ことができる。
それによってできる弱い無数の編目のようなつながりこそがが最強でオンリーワンの生存戦略で、セーフティネットになっていくのであるという内容。
「絆」や従来の共同体が同調圧力を作って来た側面があるというのはよく語られてきたことでもあるし、実感する部分でもある。
「絆」ではなく、その時々のひょんなことから生じる「縁」を大切にしていくことがやっぱり大切なことやなと思った。
それぞれの縁が編目のように広がり、絆のように外と内を分けてしまわずに内も外もなく何重にも重なりながら広がっていくこと、そんな生き方がこれからの人には求められるってこと。
「生き方そのものが戦略になる時代」の入門書として、気軽によめます。
お試しあれ!
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強い絆から弱いつながりへ…
東浩紀氏の「弱いつながり」とも通底する内容だけど、本著はFacebookなどのSNSを軸に語られている分、我がこととして捉えながら読み進めた。そして納得することしきり。
実際、今の自分の推進力になっているのは、弱くつながる人たちの助言や応援だなぁと思っているところだったので、すんなりと入ってきた。
これからの人間関係を考えるためにオススメ。
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改めて自分が子供の頃や、働き始めた頃から比べても、世間や会社の状況や認識はガラリと変わってるので、新たなゆるいつながりを模索するのって必要かも。しかしSNSなどでどのレベルまでオープンにするかは、いつまで経ってもなかなか難しい問題。
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・facebookでは価値があると思ってもらえるようにするということ。
・おもしろいと思った記事を掲載し、素直な分析、感想を述べること
・個人情報が集まると黙殺される人が増えるように。黙殺社会になっていく。
・ネットはプライバシーを奪うが、情報をもたらしてくれる。
・多くの人との弱いつながり。善き人であること。