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以前、NHKのニュース番組で「江戸しぐさ」という物が紹介されているのを見たことがあります。
それによれば、江戸時代、江戸では雨の日、狭い路地ですれ違う時に互いに傘を相手とは反対側に傾け、傘の縁から落ちる雫を相手にかからない様に配慮していたのだとか。
ニュース番組では、小学生高学年の男児が低学年の子供たちにそれを教えるシーンが映っていたのですが、その時には「江戸にはそんな風習があったのか」と自然に思ったものです。
この傘を傾ける風習は「傘かしげ」と呼ばれ、NPO法人「江戸しぐさ」がその普及に努めています。
しかし本書によれば、この「傘かしげ」、現実には
・江戸時代、傘はステータスシンボルになる程の高級品であり、庶民には高嶺の花であり、
・またその普及も大坂・京とは違い、江戸では進んでおらず、
・江戸っ子の雨具は主に頭にかぶる笠や蓑(みの)であり、
・加えて、当時の家屋の構造上、すれ違う時に傘を外側(つまり家屋側)に傾けると、家屋内部が雨で濡れてしまう
との事です。
つまり、「傘しぐさ」とは江戸の実態にそぐわない、後世の創作と言う訳です。
江戸しぐさには、他にも煙草を勧めぬ事こそ礼儀知らずだった過去の風習を完全に無視した、「喫煙しぐさ」や、江戸にはショコラ入のパンがあった等々・・・があり、
正直、口がアングリな・・・と言った感じです。
本書では、この様に江戸しぐさの内容を検証した後、「江戸しぐさ」の創始者、芝三光とその弟子を名乗る、現NPO法人「江戸しぐさ」理事長、越川禮子の人となりや経歴を通し、
「江戸しぐさ」の本当のルーツに迫っています。
また、この江戸しぐさが2014年春、文部科学省が配布した道徳の教材に取り上げられている等、教育現場において普及が進んでいる現状に触れ、虚構に基づくマナー教育が国民に特定の価値観を植え付ける手段として、政治エリートたちに利用され始めている実態に警鐘を鳴らしています。
単に江戸しぐさの問題点を指摘するだけでなく、虚構に基づく教育と権力との”結婚”の危険性を主張する本書。
様々な問題が相次いで表面化している昨今にお勧めな一冊ではないでしょうか。
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そもそも僕は江戸しぐさが流行っていたことを知らなかったけど、こんなオカルトまがいなものが流行っていたんだとびっくりした。冷静に考えればあり得ないことは分かる、自分が触れて来た映画やテレビ、本、歴史の江戸の姿とは違うと分かるけど、こんなに江戸しぐさに権威がついていたら、信じかねない。
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伝統的なマナーとされた「江戸しぐさ」が実は人為的な創作であることを検証し、それを教育現場まで流布させた団体を断罪する。各章末には大きな文字で要点が箇条書きされ、「江戸しぐさ」をオカルトであると断じ、そして関与した人々を攻撃的に批判する。著者の執拗な追及は個人的な恨みでもあるのではないかと勘繰りたくなるほどだが、人口に膾炙された事象を安易に盲信することの愚を再認識させられる。
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「きわめて」が付く、良書。自分の考えと合致すれば全く検証せず丸呑みする姿勢。人は、都合の良い事には、かくも思考停止が働くということを自省も兼ねて強く心に留めておかなければならない。
存在すら知らなかった「江戸しぐさ」であるが、普通に読めば、ニヤニヤするのを禁じ得ないほどのファンタジーである。「非実在江戸っ子」という表現は痛快。ジャンプ連載漫画の原作であれば5巻くらいは単行本を出せたのではないか。科学的、まで求めなくても、理性的に考えれば、通常の大人の教養の範囲で矛盾だらけであることに気付くはずだ。
特異なカリスマが営業力に長けた弟子を得て、ついにはマスメディア・行政に食い込んでいくプロセスは京極夏彦の小説のよう。著者の論述の流れは京極堂がごとく、一つ一つ矛盾を解きほぐし、アリバイ・トリックを崩していく、ミステリの読感。「あなたの『江戸』は、あなたの空想の中だけにあったユートピアなのです!」で、見事に謎解き・憑き物落としが終わる。
「江戸しぐさ」が期待通りに退けられたとしても、それが最後の歴史捏造とならないだろうことを筆者は喝破しており、同感である。TOSSの危険性は、PTAが政治権力を持ったと考えるとぞっとする話であり、ネギしょった鴨が地獄への道を善意でせっせと敷き詰めているかと思うと、気が重くなる話である。
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まぁつまり明治政府による江戸っ子虐殺から生き延び、関東大震災を予見し関東を離れ身を隠していた、江戸しぐさ唯一の伝承者の末裔が芝三光さんだったわけですね。
「江戸しぐさ」について、多くの資料と芝三光の人生からその正体を読み解く。実に納得できる内容。
教育の場にまで用いられているという現実にそら恐ろしさを感じますが、それよりも専門分野の学者達が場合によってはこういう偽史をスルーしてしまっている、というのが恐ろしい。
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江戸しぐさという言葉を昨今よく見かけるのだけど、ほとんどの人がインチキとかトンデモとか書き立てていて、どんな物か知りたくなって出会ったのがこちらです。
それまでは名前しか知らなかったのです。
史実とは明らかに異なる「江戸」は創始者の頭の中にしかないファンタジーであり、その中のルールを現実の我々に説かれるのはあまり気持ちの良い物ではないですよね。
ただこれらをもって「トンデモだ!」と頭ごなしに否定してしまうと、私が"傘がしげ"も”こぶし宙浮かせ"もやらないような、傍若無人な人間ととらえられそうなのが辛いです。現代と密接に結びつきすぎているんですよね。
江戸しぐさの本ってほとんどないようで(口伝だから?)、こういう本に出会えてよかったと思います。
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言い方がやや過激なところもあるが、江戸しぐさの問題点をわかりやすく述べている。自分も物事を教える時に本当に正しいのかどうか判断していく必要があると思った。
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これが原因で江戸しぐさが大きなバッシングをうけたんだけど、たしかに証拠がないのはわかるが、否定しきれてもいないとおもう。あたっていいじゃない、心の中に。
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個人的には、3章以降の章についてがおもしろい。
著者がたんねんによく調べていることが伝わってくる上に、
単なる個人攻撃ではなく比較的フラットに人物を評していることが良い。
さらに、6章ではデタラメ科学が広がる経緯や、
(真偽に対して無自覚に?)教育に取り入れられていることへの警鐘まで書かれており、
本のメッセージが明確に伝わってくる。
これを読んだ人が、江戸しぐさだけでなく、
いつのまにか「何かを信じこまされている」怖さを
自覚することが大切だと感じた。
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自分がはじめて「江戸しぐさ」という言葉、具体的には「傘かしげ」という動作のことを聞いたのは、大学の講義でであったと思う(もちろん余談でだが)。記憶は定かでないが、言葉に方言があるように、動作にもその土地特有の動きがあるといった話であったかと思う。
その後、本書でも取り上げられているテレビでの公共広告機構のCMや、東京メトロのポスターで、「肩引き」「こぶし腰浮かせ」などの動作があることを知り、この時からは江戸時代(から続く?)のマナーなのだなと認識していた。
しかし、これらの”江戸しぐさ”なるものが、江戸時代から続く動作ではなく、”近代以降、特に昭和~平成初期の風俗を反映している”創作であることは、本書が刊行された時に初めて知った。
●芝のいう「江戸」が芝の育ったところへのノスタルジーと密接に結びついていることは確かだろう。しかし、それは歴史上の江戸とは関係がない、芝の空想の中だけにあったユートピアなのである。
結局、それを道徳や教育と結びつけてしまった、彼の後継者が問題なのだろう。
本書の第二章では、さまざまな”江戸しぐさ”を検証し、上述の由縁を明らかにしている。
また、本書を読むと、”江戸しぐさ”迫害の歴史なる偽史まで想定されていることに驚く。
→「平成うろ覚え草子」のようなフェイクとしてなら問題ないのだろうが、
●歴史捏造や陰謀論には、しばしばオカルトとの親和性が高い傾向が見られるが「江戸しぐさ」もその例に含まれるというわけである。
個人的には、偽史は偽史として、現代のマナーとして考えればよいのではないかと思うのだが、それが「水からの伝言」と同じレベルで教育の場に持ち込まれているという事実を知るとそうも言っていられない。
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文部科学省が道徳の教材に採用するまでになった「江戸しぐさ」。これがいかにトンデモであるかを訴えている本。「こやし」=「人糞尿」と決めつけてしまうのは、いささか性急な感じもするが(江戸時代に「芸の肥やし」とは言わなかったのだろうか?)。
著者が指摘するように、確かに「江戸っ子虐殺」(そして江戸っ子を逃がした勝海舟)の話は荒唐無稽。そもそも、古典落語に「江戸しぐさ」なんてほとんど出てこなかったのではないか。家元・立川談志は「江戸しぐさ」について、何か書いていないかなとも思った。
そして、専門家(歴史学者)がその出鱈目さをきちんと否定しないと、いつの間にか珍説が定着してしまうという警告は重い。いや、既に伝統化は始まっているのである。
著者による続編も公開が始まっている。
http://ji-sedai.jp/series/edoshigusa/
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道徳の教科書にものったという江戸しぐさ、実は昭和しぐさでしかない真っ赤なウソ、と警鐘を鳴らす。一番ハッとしたのは、江戸しぐさは良好なマナーを呼びかける体裁をとりつつ、実のところ、大人が若者を叱る道具になっているという指摘。確かに。
著者は3ステップで江戸しぐさを叩きのめす。
まず、事実としてありえない、と指摘する。たとえば「こぶしうかせ」。江戸の渡し船は立って乗っていた。詰めたり譲ったりする座席などない。「傘かしげ」。庶民の雨具は蓑や笠で、傘は限られた人しか使えない高級品。など、江戸時代にはありえなかったこと、一方で、昭和の風俗をよく反映していることを数多くの証拠から示す。これはもう、完全に著者の勝ち。
次に、効果(気持ちよく譲りあうマナーでみんなが気持ちよくすごせる)さえ得られれば、多少間違った根拠に基づいていても問題ないのでは、こいう反論にも正面からダメ出し。江戸しぐさが現代に資料として残っていない理由は、明治政府に徹底的に弾圧されたためだというが、その論法がUFOなど各種のオカルトやカルトとまったく同じであり、江戸しぐさを認めることはオカルトやカルトを認めることと同じだという。ウソを学校で教えるとはそういうことだ、と。
そして最後に、善人の顔をしているが、実際には大人が若者を叱る口実になっていて、それが喜ばれているという。確かに、この江戸しぐさを持ち出されたら、捏造であると知らなければ反論することは難しい。決めたのは自分ではなく過去の人だし、庶民の生活の知恵だから上から目線と言われにくいし、言動の不一致に気をつければ、自分は安全地帯にいて若者をなじることができる。
と、だんだん舌鋒が鋭く口調がキツくなってくる。
著者はかつて偽史偽書に擁護側として関わり、調査を進めるなかで否定派に変わった経歴の持ち主。歴史をウソに巻き込むことにとても厳しい。
間違いを糾弾する人は、自分の正しさに自信があればあるほど攻める口調がキツくなり取っ付きにくくなる。本書にもそれを感じる。
本書の主張の正しさは十分伝わってきたが、このヒステリックな難詰調の語り口のせいで仲間になりたくないと思わせてしまう。江戸しぐさ信奉者だって、こういう責め方をされたら、意見を変えるのではなくしがみつくんじゃないか。
内容が面白かっただけに、語る姿勢が残念。
あと、自分も「江戸しぐさってウソなんだぜ」という時にドヤ顔しないよう気をつけなければ。
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いつぞTLで見かけたので読んでみました。
「傘かしげ」。聞いたことがあるから、知らず知らずのうちに刷り込まれていたような気がする。
1つ1つの「しぐさ」を歴史学的に考証すると、江戸時代にあてはまらないことは明らかですね。
「こぶし腰浮かせ」の前提が、途中から来る人がいる、腰掛けは座るためのもの、という点、確かに!
渡し船だと途中で人が増えることはないし、茶屋の腰掛けは机代わり(茶などを置く)でもある。
現代に通じるマナーとして必要であるという点はわかるのだが、それなら著者の言うように「江戸しぐさ」の源流とかんがえられる米英式マナーを教えればいいし、江戸時代に関して偽史を教えられるのはよろしくないです。
歴史学の細分化の弊害と自分の研究分野以外はノータッチという態度も考えなおされるべきですね。
紹介されているサイトを覗いてみると、道徳用の資料として「江戸しぐさ」が紹介されているので恐ろしいです…。
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現代人の感覚で作られた江戸しぐさ。偽史にもかかわらず、教育の現場に浸透し、それを真実のように教えられる子供たち。STAP細胞を笑っていられない。
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江戸しぐさとは、江戸っ子商人の間で共有されてきた行動哲学。「傘かしげ」「こぶし腰浮かせ」などの相手を慮る様々なマナーが口承で伝えられてきたが、明治政府による江戸っ子の弾圧により今では途絶えてしまった。口承と弾圧とにより当時の記録は全く残っていないが、その精神は現代においても見習うべきものである。
というのが「江戸しぐさ」のあらまし。一読して明らかように、「江戸しぐさ」は実在したものではなく、現代になって創作されたもの。しかし、これが江戸時代に本当に実践された史実として喧伝され、古くは公共広告機構のマナーCMに、新しくは小学校の道徳教材にと、取り入れられる例が存在する。
本書は、「江戸しぐさ」がいかに江戸時代の文化とかけ離れた偽史であるか、そしてそれがどのように成立し浸透していったのかを、詳細に解説する。「江戸しぐさ」の創作から浸透、現在の状況までが概括される。とくに、提唱者とその後継者・普及者たちといった「江戸しぐさ」をめぐる主要人物に関する記述が詳しい。提唱者から後継者へと受け継がれる間の「江戸しぐさ」言説の変容の過程は面白い。
一方で、学校教育や地方行政といった公的な場にいかにして広まっていったのかという点については分析が弱かった。一見して眉唾な言説が一部にとどまらず公的な場にまで浸透するならば、そこには何らかの病理があるはず。それこそが最も解き明かすべきで最も面白いとこだと思うのだけど。
科学や学問の外観を纏った偽科学や偽史というのは、生活の中に意外なほどに浸透している。それらにどう対処していくのかというのは、科学や教育にとって重要な課題だと思う。