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独特な雰囲気の短編集。
ホラーっぽいもの、しんみりするもの、いろいろ。
好きな女の子と慰問品を届けに行った先で産気づいた女性の為に吹雪の中を医者を呼びに行く。心理描写が印象深い(吹雪の夜)
ライダー達のヒーローの死を悲しむ仲間たち(最後の遠乗り)
ウェストールのファンならずともおすすめです!
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浜辺にて
吹雪の夜
ビルが「見た」もの
墓守の夜
屋根裏の音
最後の遠乗り
真夜中の電話
羊飼いの部屋
女たちの時間
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宮崎監督の表紙なので手にとる。
あ、でも内容と表紙のイメージはあんまあってないかも。
内容は重め、暗めなのが多いかなあー。
ビルが見たもの、はそうでもなかったけど。
表題作はマジこわい。どきどき不安高まるーって感じ。
でもメグさん無事でよかった。
羊飼いの部屋、は後味わるー。ちょっと哀しい感じもあるかな。
途中から結構怖くなったけど墓守の話が一番好きだな。
おもしろかった。
なかなか味のある短編集でした。
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ウェストール、好きなんだが、1冊まるまる読むと疲れてしまうことがある。
この短編集はいい、選者のセンスなのかしらん。
ゾクッとするけれど最後にほろっとくるもの、キュンとくるもの、すごいバランスがとれている。
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かの土地の空気を吸っているような気になる。自然の美しさ厳しさが身に迫るよう。かばんに詰め込む荷物の描写はいつだって楽しい。
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描写が多くて読むのは大変だったけど、全体としては素晴らしかった。レイ・ブラッドベリを思い出した。怪奇もぞくぞくしたし、10代後半の男の子のみずみずしいというか、性の萌の頃の感情もよく伝わってきた。
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(15-14) 「遠い日の呼び声」が良かったのでこっちも読んだ。うーん、って感じ。それぞれの短編で、主要登場人物のほとんどが私が好感が持てない人だったから。私は中途半端にオバカな男の子が出る話が好きじゃないんだわ。女の子ならいいかというと「屋根裏の音」ではぞっとしちゃった。だからこの本の中で良かったな!と思った話は「墓守の夜」と表題作「真夜中の電話」。どっちも大人が主人公。特に真夜中の方は、他の人の回想の中でしか出てこないハリーに会いたいと思った。
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若者、特に男の子の思春期特有の状態が、いつもとても上手く描かれていて感心する。たぶん、時代や国が違っても共通のものなんだろうなあ。思春期男子を息子に持つ母として、忘れないでおきたいと思うことがいろいろ書いてあります。
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『“機関銃要塞”の少年たち』(評論社)や『かかし』(徳間書店)でカーネギー賞を受賞した英国を代表する児童文学作家の短編集で、『ウェストール短編集 遠い日の呼び声』と2冊、徳間書店子どもの本創刊20周年記念として宮崎駿さんの装丁で出版されました。おふたりの翻訳者が編集者とともに80編を超える全短編をすべて読んで選び抜いた18編が、それぞれ9編ずつ収められています。訳者の原田氏が「通りいっぺんの描き方ではなく、わたしたちが気づいていなかった、あるいは気づいていても言葉にできなかった感情や心理のあやまでが、あざやかに描かれているからではないでしょうか。さらに、それを支えるリアリズムというか、うわべをとりつくろわず、現実から目をそむけない強い意志を感じさせるところが魅力だと思います。」と、あとがきに書いているとおり、人間存在の暗部も描き出す文体に思わず引き込まれます。
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珠玉の短編集。
ホラーあり、違う意味で怖い人間の残酷さを描き出すものあり、若者の美しい時間を切り取ったものあり、で一気に引き込まれてしまう。
表題作も良かったけれど、”屋根裏の音”がすごく心に残った。戦争が子供を歪めて、その一番残酷なところが、父母、そして子供自身を切りつけた。イギリスは戦勝国だけれど、それでも。
死者と交感する話が幾つかある。作者は息子さんを18歳でバイク事故で亡くしているそうで、あとがきでそれを知ってから読み返すと切ない。
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イギリスの児童文学作家ロバート・ウェストールの短編集。
どれも死や戦争の匂いに満ちていて、じっとりとした雰囲気のある短編ばかり。
以下、各話ごと。
「浜辺にて」
ひねくれ者の少年が家族へ連れていかれた休暇旅行の海岸で
見知らぬ美少女と出会うも、何故か彼女は自分の名前を知っており、という話。
まあ、予想通りの展開だけど、少女と少年のやり取りがなんともからっとしてて面白い。
「吹雪の夜」
無神論者の少年と牧師の娘が山中で突然の吹雪に巻き込まれる、という話。
甘酸っぱい恋の物語から突如一転して、地獄のようなサバイバル物に。
『男は臆病だからこそ命を危険にさらすことができるのだ』はけだし名言。
壮絶なサバイバルの結末は思わずニヤニヤするようなハッピーエンドなのがいい。
「ビルが見たもの」
盲目のビルが犯罪の”目撃者”になる話。オチはどうということはないけど、盲目であるがゆえの無力感や苛立ちの描写が丁寧。
「墓守の夜」
墓守のセムは夜な夜なやってくる幽霊たちの話し相手になってやっている。しかし、その夜は、どうやら普通の幽霊とは違うものが来たらしく、という話。
幽霊たちの愚痴や悩みに根気強く付き合うセムの様子はなんとなく可笑しみがある。
「屋根裏の音」
戦時中、天井から不気味な音がすることに気づいたマギーは屋根裏部屋で軍隊に行ったはずの父を見つけてしまう、という話。
マギーが父親にぶつけた言葉が何とも言えず、後味が苦い。
「最後の遠乗り」
あるバイク乗りが仲間の死をきっかけに、バイクに乗ることを諦める話。
死んだ仲間の存在を身近に感じながらも、
やがてバイクを降りた自分が仲間から遠ざかって、
平凡な人生へと向かっていくであろうことに葛藤する様子が何ともやりきれない。
「真夜中の電話」
クリスマスイブの夜、自殺相談ダイヤルの当番をしていた夫婦の元に
錯乱した女性から「夫に殺される」との電話がかかってくる、という話。
「羊飼いの部屋」
極寒の吹雪の夜に役立たずで嫌味な友人と二人きりで山小屋で過ごすはめになる話。
『吹雪の夜』と真逆のシチュエーションで、互いに憎悪を募らせていく様子がリアル。
キャンプに来た理由を問われた際の一言が、友人を単なる嫌なやつで終わらせず
何とも苦い後味にしていて上手い。
「女たちの時間」
戦時中、村に残った数少ない男性だった主人公が、
未亡人となった幼馴染との交流や祝勝会の一夜について回想する話。
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『遠い日の呼び声』を読んでからずいぶん経ってしまった。2冊同時に出版されたので、それぞれテーマが違うのかと思っていたが『遠い日の呼び声』の翻訳者野沢佳織さんとこの本の訳者原田勝さんとでで訳したい作品を9編ずつ選んだとあとがきにあった。だから野沢セレクションと原田セレクションってことですね。
野沢セレクションには動物の話が多かったが、こちらは動物が重要な役割を果たす物語はなく、幽霊は共通、戦争も共通。こちらは若者の友情や恋愛を描いた作品が多く、雰囲気はちょっと違う。
中編に近い「吹雪の夜」は『クリスマスの猫』に似ていた。『クリスマスの猫』は上流階級の少女と労働者階級の少年の恋愛だったが、こちらは敬虔なカトリックの少女と、科学や理論に重きを置く無神論者の少年という組み合わせ。生まれ育った文化の違う二人が反発しながらもひかれあう様子がどちらもよく描かれている。こちらのほうが猛吹雪に閉じ込められるという劇的なシチュエーションなので、恋愛度は上。クリスマスの時期というのは同じなので、ウェストールファンなら比較しても楽しい。
「浜辺にて」「真夜中の電話」「墓守の夜」はホラーテイスト。「ビルが「見た」もの」はミステリー。
「羊飼いの部屋」も猛吹雪に閉じ込められてしまった二人の少年の心理を描く。(二人はそもそも友人同士ではなく、閉じ込められて憎しみ合う)
場所は湖水地方北部とあり、以前読んだ『羊飼いの暮らし』に湖水地方の冬は長く過酷で、寒さで死ぬ羊も多いし、それを世話するのもすさまじく大変であることが書かれていたが、まさにそれが物語の中で描かれていて感慨深かった。
どの作品も複雑な余韻を残す名作でさすがウェストール。
これがYA(児童文学)に入れられているのはもったいない気もする。大人の鑑賞にも十分堪える。主人公が少年・少女の作品ばかりでもないので、むしろ大人のほうが楽しめるかも。(大人はかつて少年少女だったわけだし。)
「ビルが「見た」もの」の主人公のビルは全盲で、仕事もリタイアしている。見えない分、風や温度・湿度に敏感になるし、あらゆる音に耳を澄ましているが、毎日特に変わったこともない退屈な毎日だ。だから猫や犬が来ても嬉しいし(その動物の息遣いや感触がよく伝わる)、年配の郵便配達員がお茶を一緒に飲んでちょっとおしゃべりしてくれるのも楽しみにしている。しかし若い郵便配達員はビルと話すのを嫌がり、さっさといなくなる。
「ああ、そうかい、せいぜい今のうちに面倒なことから身をかわしておくがいいさ。そのうちおまえさんの番がやってくる。関節が痛くなったり、女房がほかの男と駆け落ちしたり、耳が聞こえなくなったりするんだ。そうすりゃわかる。だれかがお茶の一杯でもつきあってくれたら、どんなにうれしいか…。」(P103)
こういう文章を流し読みしないで味わえるのはやっぱりある程度年をとらないと。
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面白い。児童書ということですが、内面描写に軸を置いた、情緒と陰ある切ない話、苦味がある話は、大人こそ楽しめる部分もありますね。ちょっと怖いものから、ほっとするもの、ニヤリとするもの、ほろりとするもの、収録作品のバランスもよいです。
同じようなシチュエーションで、全く異なる物語を書いた『吹雪の夜』『羊飼いの部屋』の対比は面白い。『吹雪の夜』は、一番好きかな。
『屋根裏の音』も心に残る作品。戦争中、天井の音を調べたら屋根裏に従軍しているはずの父をみつけてしまうという話。ぐさりとくる。
これらは、未熟な若者の心の動きに緊張感があってひりひりする。
一方で、大人が主人公の作品は余裕があって落ち着いて楽しめる。
『墓守の夜』はユニークで、いつも幽霊の相手をしてやる墓守の話。その晩は、あの有名な怪物が現れてしまうが、対処も落ち着いていてよいね。
『真夜中の電話』は、自殺相談ボランティアの電話に、毎年、クリスマスイブに同じ電話がかかってきて、という話。その内容は実は恐ろしい内容で。昨年までずっとこの電話を担当し続けていた職員は全てわかって相談を受けていたのですね。優しい。
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短篇小説集。少しホラーめいたものが多い印象です。この作家さんは「かかし」がものすごかったので読んでみようと思ったのですが。なるほど、素敵な物語が他にもありました。
お気に入りは「ビルが「見た」もの」。これは完璧にミステリとして見事でした。目の見えないビルが耳を澄ませ、読み取った光景。しっかりした構成に感服です。
「墓守の夜」はユーモラスなホラー。墓守のもとを次々訪れる死者たち、そして……! 死者のキャラクターがそれぞれに魅力的で、しかもあんなのと対決するだなんてねえ。ぞっとするようなほっとするような物語でした。
「浜辺にて」も好きな作品。一見ありがちなお話に見えますが。ラストのさりげなさが良いなあ。さりげないだけにじわっと効いてきます。
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ウェストールについて何も知らずに借りてみた本。強いていえば、宮崎駿が表紙の絵を描いているという点だけが、全く馴染めないということはないだろうと思わせてくれた。
▼「浜辺にて」「吹雪の夜」
思春期の男の子の、心も体も持て余している感じが生々しく、私は女なのでそれを実感と共にありありと思い出したりはしないものの、でも似たような時代を過ごしたことがある、振り返る立場でしみじみする。
海や風など自然に触れる感覚も鮮やか。「吹雪の夜」は、これぞ人生という感じ。
▼「ビルが“見た”もの」「墓守の夜」
「ビル〜」は仕事を引退して視力も失ってしまった男性が主人公。無力感や絶望感もありつつ、それをも受け入れた誇りのようなものもある。「墓守」も妻を亡くした老墓守の話だが、どことなくナイスミドル風。
前二作の粗削りだった若者がこんな老い方をしていくのも素敵かもしれないと思わせる。
▼「屋根裏の音」
これはどういう感想を持てばいいのか。脱走兵として帰ってきた父へ、娘の放った言葉。その後の家族の話。きれい事ではない、戦争がもたらすもの。
▼「最後の遠乗り」
「中年ってのは、いったいなんの罰なんだ?つける薬はないのか?」
オートバイ乗りに明け暮れる少年たちの日常。無軌道に見えるが、両親との関係は(私のような者の偏見に反して)良好そうであることが印象的だったが、あとで解説を読むと胸が痛んだ。
▼「真夜中の電話」
思春期の少年だったり、老人だったり、父だったり、色々な姿で、ウェストールさんってこんな人を描きたかったのかなと思いながらここまで読んできて、ここで聖書に登場する、善きサマリア人。根幹の哲学はそういうことかもしれない。
▼「羊飼いの部屋」
聖人君子の物語の次は憎しみと殺意。すごい。「吹雪の夜」と共通する場面がいくつかあって、全く違う物語。でもこれも人生。きっかけは天候でしかないのに、決定的な別離。田舎の人対都会の人という構図のサブストーリーによっても、話に厚みが。
▼「女たちの時間」
これも戦争と少年というテーマととれるが、子どもとも大人とも言える微妙な年頃の男として、終戦の束の間の女の世界をこう捉えてこう記したという記録は、小説とはいえ、貴重な視点だなと感じた。
解説からの受け売りとなるが、ロバート・ウェストール(一九二九〜一九九三)はイギリスの児童文学作家で、戦争にまつわる物語や、ホラー、スリラーを得意とする。イングランド東北部、ノース・シールズ生まれ。第二次世界大戦中に九歳から十五歳という多感な少年時代を過ごした。二年間の軍隊生活を挟みながら大学では美術を専攻し、一九五七年に美術教師となる。翌年結婚し、一九六〇年に一人息子のクリストファーが生まれる。一九七五年『“機関銃要塞”の少年たち』が作家としてのデビュー作だが、これはもともと自分の十二歳頃の戦争体験を、やはり十二歳になる息子に語るために一九七一年に書かれたもの。一九七八年の夏、十八歳だった息子のクリストファーをオートバイ事故で失う。その後、妻のジーンは体調を崩し精神的にも病み、一九九〇年に自死。一九八五年から専業作家となっていたウェストール自身は、一九九三年、六十三歳で逝去。短編作品は、没後に発表されたものが多いとのこと。