紙の本
たまには、こういう本を
2015/12/03 07:54
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投稿者:いち映画ファン - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は科学ジャーナリストであり、科学全般を俯瞰出来るような立場にいる人物です。
その著者が『科学の世界は英語が中心である』と指摘しつつ、
『英語的表現が科学的探求に重要だとは言えない』と主張する。
むしろ『日本人が日本語で科学的に探究できる事が、科学的な探求を深める事が出来る』と、
提起しているのが、この本の特徴です。
そして『それを証明する事は不可能に近い事である』とも正直に認めてもいる。
証明できない事を、証明しようとしている姿勢を見せる点に、
著者の誠実さと真剣さが見て取れるところでもある。
列挙されている事象は、外因的要因に過ぎない。
その例として
英語レベルが高い韓国からノーベル賞学者が出ていない。
それに対し日本は毎年のようにノーベル賞を受賞している、という事実。
母国語で科学的な探求をしている国は世界的にごく少数。その中に日本があるという事実。
歴史的にみて
明治の時代に科学的な探求が進んでいた外国文献を理解する為に
日本がしたのは日本語に写しかえて、全く未知なる分野を
日本人が日本語で考えるようにした事ではないか、と主張している。
その一例として
スペクトロスコピーと言う学問があるそうだ。
日本では、これを「分光学」と呼ぶ。
「では、スペクトロスコピーとは、英語でどういうニュアンスのだろうか。これはスペクトルの測定研究という意味であり、正面に出ているスペクトルの方の意味が強く、それを導く道具のプリズムや回折格子の意味は、言葉という点では奥に隠されている。これに対し、日本語の「分光学」では逆で、分光=光を分けるという行為ないし方法論だけに特化して、この学問の本質を述語として明示しているわけだ」(P 207)
そのような記述に満ちている本である。
自分の問題意識に置き換えるなら、
日本語の、その表現の豊かは
気付いているところでもありました。
YOUに対してさえ
「貴女(貴方)」「きみ」「おたく様」「おまえ」「きさま」「てめえ」「おい」…
日本語の豊かさが
事象に対する見方の多面性を見せ、
多角的に探究できる条件になっているような
気がする。
この点についても本著作は触れています。
「面白い」とは知らない事を知り、
新しい知識を得る事に近い、
と思っている。
この本は、実に面白い本でした。
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「読売新聞」(2014年9月28日付朝刊)で、
前田英樹先生が紹介しています。
(2014年9月28日)
アマゾンで注文しました。
(2014年12月04日)
「まんだ、生きとるか。しぶといやつだな」
(あとがきにかえて/284ページ)
ここを読むだけで、腹の底から笑いと涙が
こみ上げてくる。
(2015年01月15日)
目次を読むだけで、この本の価値が分かる。
(2015年01月21日)
会う人ごとに、薦めています。
(2015年01月27日)
これは、思想の本ですね。
「健康」には関心のない人も、
読んだほうがいい。
(2015年02月06日)
胃の【要領】←【容量】ですね。
(230ページ)
(2015年02月06日)
238ページあたりは、
自動車の時速と同じ論法ですね。
喝采。
(2015年02月06日)
この本を書いた人、編集した人、
出版に携わったすべての人に、敬意を表します。
(2015年02月08日)
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とても参考になりました。まさに目からウロコポロポロでした。
名郷先生は、偏った考え方にならないようにするために四分割表を使って考えています。
この考え方は、意外と使えそうです。
一方向に偏り過ぎないように時々使用してみると良いと思いました。
http://ameblo.jp/nancli/entry-11939686216.html
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EBM with philosophy。
Evidenceに基づいていると言われている医療が意外と頼りないことをデータに基づいて解説し、次のステップをどのように考えていくかの選択肢を提示している。
ねちっこいとも言える論考を積み重ねながら、行き過ぎた医療や自身の健康欲に抑制をかけ、医療には書ける程度の付き合いで、自分より若い者達に資源を譲っていくことの意義を結論として導き出している。
EBMと哲学を同じ本の中でここまで濃厚に並列させている本は珍しいと思う。
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定説のように言われている高血圧は悪い,喫煙は悪い,といったことにはあまり根拠がないということが分かる。非喫煙者で長生きしたほうが人生全体での医療費が高くなるといったことが隠されている。
医療の効果を高く見せているだけで,実は差は小さいということも。
2014/10/27に図書館に予約
2015/02/21にやっと届いた。
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これまで臨床で納得できず悶々としていた理由がわかったし、自分の考えに間違いはなかったとはっきり悟った。
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目を引くタイトルであるけども、中身を読むと納得。みんながそうしているから、そうなんだと思考停止に陥っている私達に警笛を鳴らしてくれています。
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読む前の期待と、読後の印象とで、ここ数年で一番、いい意味でギャップが大きかった本。
最近、がんは治療して苦しむよりも、放置しておいた方が結果的に幸せになれるという類の本を何冊か読んで、こんな考え方もあるんだ、と大いに共感している延長線でこの本を読んだ。
特に高齢者(70歳以上かな)の場合、医者の言う通りにいろいろと治療をしたり、節制したりすれば、何年、何か月かはひょっとすると長生きするかもしれないが、所詮わずかに長く生きるだけであって、好きなものを食べたいという食欲などを我慢して生きて本当に幸せな人生だと言えるのか。
健康欲、生存欲はどこまで行っても際限がない欲であって、それに最後まで囚われた生き方が、本当に良い人生と言えるのか。
両親も高齢化し、人生の終盤をどう生きるのがその人のためになるのか、ということを考えざるを得ない場面に遭遇するようになった今、とても深く考えさせられる1冊になりました。
健康をとことん追及すること、長生きすることは絶対的な是なのかという点について、新たな視点をつきつけられました。
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物凄い刺激を受けた.医師が医療が目指す目的を本気で考えた好著だ.常識を打ち破る斬新な考え方が共感できる.立派な論文も様々な見方ができることを丁寧に説明している点は秀逸だ.P239の”「降圧薬により死亡が20%減少した」という記述は、「5年後の時点で、対照治療群の10%の死亡が降圧薬群で8%になった」と注釈を付けなければ正確ではない.”という件は非常に説得力がある.また、ガンや心臓疾患は生活習慣にその原因があるのではないという記述も納得できるものだ.認知症の増加と医薬品メーカーの関連を指摘していることも事実だろう.非常に 有益な著作だ.
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健康欲がコントロールできないのは健康に価値を置きすぎるから、生存欲が捨てられないのは長生きするのに価値を置きすぎるから
常々健康は人生の目的ではなく、手段であると考えていたので共感できた。
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医療に対する違った目線は健在で、今回もあくまで医療に対する疑問が根底にある。トンデモ本と明確に違うのは、僅かな手がかりとか経験を誇張して個人的な主張に突っ走る訳じゃなく、あくまで根拠を元に議論が展開されている点。だからこそ、医療を受けないという選択肢にも、俄然説得力が出てくる(と自分的には思う)。生の引き際に関して考えるとき、有力な参考資料になり得ると思う。まさに自身や身内が生死を分ける場面にあるとき、是非手に取ってもらいたいと思える本。
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名郷節はありつつも表現はマイルドになり、いつもどおりエビデンスの多彩な見方・解釈を学べてよかった。ちょうど公衆衛生学会参加中に読んだので色々と思うことがありその後の診療や研究に影響を受けました。
家庭医目指す人には超お勧めですよ。
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生存曲線を見て驚いた。70代を過ぎると急激に曲線が下がるのだ。人は必ず死んでしまう。どんなに頑張っても必ず死ぬ。そう筆者がいうことが、グラフでよくわかった。
長生きは幸せかと筆者は問う。必ずしもそうではないと言う。検診を受けて一見長生きを実現した人が、がんの不安と戦い続けたかもしれないし、検診を受けなくて短命に終わった人が、がんの不安を避け案外幸せに暮らしていたかもしれないと言うのだ。
病気がわかり、手術を受けて、動けなくなってしまう場合もあれば、何もしないことを選択して、通常通りの生活が続けられる場合もある。これは、親類が高齢で手術を選択したが、術後を痛がっていることからもよくわかった。でも、手術したから良かったこともあるかもしれず、どちらが良かったのかは結局わからない。
また、健康に時間をかけ、得られた寿命の延長が2年だったとしたら、好きなことをやって、健康欲は無視して2年早く死んだって良いのではないかと提案している。
それは確かに一理あるが、やはり私は検診を受けなかったと後悔してしまうと思うので、検診を受けた方が良いと思う立場だ。また、病気なく健康でいられるならばその2年のために健康的な生活を送りたいと思う。それは健康的な食事や生活が全く苦ではないからなのではないかと思った。
死なないための医療と死ぬからこその医療があると言う。小さい子供がいるうちは、死なないための医療が重要だが、70代を過ぎ高齢になれば、死ぬからこその医療があるという事がよくわかった。
人生は賭けである。出産がどうなるかは挑んでみないとわからないし、病気になってどんな治療を受け、どういう結果になるかと言うことも賭けである。確かに、医療も賭けだと理解できた。
上手に生きるためには、全てを受け入れることが重要だ。生きているうちは予期せぬ事の連続で、多分それは死ぬまで続くだろう。予期せぬことの1部として、病気があり、死がある。上手に生きるためには、予期せぬことをひとまずは受け入れなくてはいけない。本当にその通りだと思った。
筆者は、譲ることも提案している。高齢者検診の無料化を止めて、子供の予防接種を無料にするのはどうかと言う。こうした譲ることも大切なことだと感じた。
筆者が伝えたかったメッセージは、健康や長生きはもはや成功ではない。健康力を上手にコントロールできることが成功であり、上手に賭けることができるのが成功であり、上手に譲ることができるのが人生の成功なのではないかということだ。
筆者が伝えたかった事はよくわかる。それを踏まえて、やはり健康で長生きできた方が、痛みがなく、自由に動けて、幸せなのではないかなと思う。ただ、人は必ず死ぬものなので、ある程度年齢が高齢になったら、死ぬための医療を考え、医療を受けない選択もあると認識していきたいと思った。
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70歳を超えたあたりから急速に死んでいく。
年齢調整死亡率では、ガンが多い=長生きが原因。漏水も多い。
長生きしたい、と酒を飲みたい、は同じ欲望。
周囲に迷惑をかけないようにと健康に気を付けると長生きして、結果的に迷惑をかける。健康に気を付けるのは、脳卒中の発症を70歳から75歳に延ばすだけ。
若いうちに医療費を使わないほうが最終的には医療費が多い。、長生きして高齢になるから。禁煙も同じ。短期的には医療費を減らすが、長生きすることで医療費は増える。
健康になりたいという欲望は、酒を飲みたいという欲望と等価ではないか。どちらが高尚ということはない。
「私はまだ死ねない。まだやり遂げなければいけない仕事がある」牧野富太郎が95歳で死んだときの言葉。
高血圧は、症状の結果として現れるもの。脳卒中の確率が高くなるが、160以上の血圧の場合しか研究はない。130から160の場合は、わずかに絶対確率が増えるだけではないか。下の血圧は、60歳をピークに減り始める。差が多いほど脳梗塞が多い。血圧を薬で下げても、脳卒中を先送りするだけ。
統計のマジック、拡大グラフに騙されない。
検定のほうが有意と出やすい。推定は治療効果があいまいになる。
割合で示すと効果があるようにみえるが、実質の差(引き算)は小さい。
病気になった率は大きく見えるが、起こさない率はもともと小さい。
10%を5%に減らすことを検討するには数千人単位でいいが、2%を1%に減らす研究は数万人規模が必要になる。コストがかかる。その結果、160以上の血圧に対する効果が、130~160の人にも適用される。効果は小さい。
80歳以上の人が降圧薬を飲むか、は微妙な問題。飲んでもせいぜい脳卒中を1年先送りするだけ。
乳がん死亡に対して乳がん検診ははっきりしない。過剰診断の問題。検診が進んでも、早期乳がんが増加するだけで、進行乳がんはほとんど減らない。
認知症の治療薬は効果が小さく副作用の危険が高い。認知症の早期発見はメリットがない。認知症を先延ばししても患者本人にはストレスが多くなるだけ。軽度認知障害は、年に5~10%が進行するだけ。過剰な早期診断はだれにとっていいことか。
病院は死なないための医療、在宅は、死ぬからこその医療。
薬は口から飲める間は飲む、が現実的。
健康欲も生存欲も酒を飲みたい欲もどれも同じ。
食欲をコントロールして、健康欲を刺激するのが現代の医療。検診も同じ。それを効果が曖昧な乳がん検診にまで適用するのは間違い。健康欲は、刺激されっぱなし。健康欲は実感が少なく底がない。
健康に悪い刺激は、少しの刺激でも満足する可能性がある。健康欲をコントロールすると楽しい人生になる可能性がある。
糖尿病の場合。週に一回はおいしいものを食べる。
健康欲もコントロールする時期が訪れる。
出生前診断は健康欲が行き過ぎた結果ではないか。出生前診断を受けずに健康第一の価値観を捨てること。
孫に席を譲る=姥捨て山は自分の健康欲、生存欲をコントロールした。山に行かずに山に行く=譲る。
予防��種を若い世代に譲る。検診を譲る。食べられなくなったら譲る。
健康欲をコントロールして生存欲にキリをつける。運命にゆだねる。