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読み始めは慣れない"手紙形式"に戸惑って、何度も読んでは戻り読んでは戻り...整理が大変だったものの、加速度が生まれると、その形式が苦しいくらい生きてくる。
優子が都築に対して抱いていた「好き」が序盤からも感じられて切なかった。
あとがきにあったように、主人公が悦子であったということも、この作品の幅に繋がっていたんだろうな。
ううう、姫野カオルコ、
違う作品を読むごとに、噛みしめるごとに、味が全く違って、いいなあ。
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手紙やFAXのやり取りだけで話が進むという面白い構成の本。
「Love is not saying sorry」
私はこの文言の書いてある手紙が一番好きだ。
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70年代の古臭さや、文字にあらわされているが故の、青臭さ、カッコつけ具合、ぶりっこっぷりが鼻につくのだが、後ろにある「計算」が、ほんのり透けて見えてページを繰る手がとまらなかった。「あー、このあとこうなるんだろうなぁ」と思ったとおりに事は運び、またそれを予想できる自分も、ありがちな展開を経て今に至っているんだ…と恥ずかしく思いながら。
好きだの嫌いだの言っているヤツらというのは、傍から見れば、これほどまでに格好悪くていじましい生き物なんだな。
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手紙のみで文章が構成される不思議な世界。
はじめのうちは何が起こってるかわからず、投げ出しそうになったが、
だんだんと登場人物がわかってくると、「手紙」という形式が独特の間を作ってくれる。
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仲良し男女四人組が高校三年生から20年の間にかわしたメモ、葉書、便箋、FAX、案内状、投函しないで破り捨てた封書など、全編を手紙で構成した物語。
そこがそうつながってるのか!とか、あれ…これは怪しい…とかなかなか読んでて入り込みました。
携帯小説っぽくもあるけど、手紙ってとこがいい。垢抜けないとこがいい。
20年も経てば皆いろいろあるよなぁ…
好きすぎると、相手を困らせたくなくて気持ちを伝えることすら諦めちゃったりする心理、わかりすぎる。で、そうやってこじらせて、伝えられなかった気持ちほどたちが悪いと言うか。結果が同じでも、伝えた方がよほどスッキリするのに…と我が身を振り返りました。きっとずっと言えないままだろうけど。
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「ツ、イ、ラ、ク」で姫野カオルコさんにやられちゃった私。
今、一番好きな作家さん。これから全部読破するぞ!!
高校の同級生(♂2♀2)4人が、在学中、卒業後20年の間の手紙のやり取りを綴った小説。
手紙の中には、書いた後破り捨てたものや、引き出しにしまったままのものも。その他に葉書、FAX、メモなど4人だけじゃなく、関わった人達も加わり、なかなか面白かった。
人生いろいろだなぁ♪
本当におめでとう!!
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love is not saying sorry の訳が
愛とは決して後悔しないこと って、
訳が悪かったんだ。初めて言葉と意味を知った気がする。
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姫野カオルコのお手紙小説。すごいことに、全編が「お手紙」によって書かれている。ポスト投函の郵便ばかりでなく、授業中に交わしたメモや、同級生の交換ノート、ファックス送信なども含まれる。出さずじまい、渡さずじまいの手紙もある。
これは、ある意味すごい。公開前提の「往復書簡」はともかく、フツーの「お手紙」は、その宛先となる人と自分との間でわかるだけの話が書かれている。つまりは「こないだの、アレが、どうのこうの」の世界。読者からすれば、こないだっていつ?アレって何?ということになる。
高校時代の同級生が、卒業し、進学し、就職していくなかで、出会い、別れ、人間関係は交差しながら、20年ほどが経つ。その年月を「お手紙」を積み重ねて小説にしてあるのだ。読みはじめたら、おもしろくて、つい最後までイッキ読み。自分のことではないのに、なんか懐かしさも感じる。
▼…
みんな、今はどうしているんだろう。
あのころ。なんて単純で、なんて、一日一日が新鮮で、なんでもドキドキしてたんだろう。なんて、一年が長かったんだろう。体育祭での優勝がなんて大事なことだったんだろう。夜まで教室に残ってる日がなんて大事なことだったんだろう。体育祭の夜、チャリンコで神社に行って興奮して笑った。宴のあとの興奮をチャリンコを六人でのりまわしてさました。なんて、なんでもないことがきらめいていたんだろう。テストがなんてこわかったんだろう。先生にあてられるのがなんてイヤだったんだろう。そんな時代へ手紙を書きました。今だってきっとまだ「あのころ」は各人のどこかにしまってあるだろうと。 草々
平成八年三月二十五日
あとがきにかえて 姫野カオルコ
みんなへ
(pp.342-343)
「あのころ」が埋め込まれた物語だから、私も懐かしいのかなー。便箋に何枚も書きながら、結局出さなかった手紙は、私にもある。あれほど手紙を出しあったのに、今はもうつきあいがないかつての同級生もいる。「みんな、今はどうしているんだろう」と、こういう小説を読むと、ちょっと考える。
(1/16了)
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直木賞で話題になってたから。
つかみどころがない物語だったな。
この人の性格ならこういうところに落ち着くだろうなって結末にしっかり落とし込んできた感じ。
パソコンや携帯の発達とともに育ってきた世代だから、より一層、メールってものは文学性を奪うものだと思った。
メールがあったら、この物語も、自分が大好きな秒速5センチメートルも生まれてなかったんだと思うと。
コミュニケーション手段と青春の関係って数年で大きく変わってしまうなとよく思う。自分たちの2,3歳上の人が中学に入学するときは必ずしも携帯を持っているわけじゃなかっただろうし、Skypeなんてものもなかっただろうし。逆に自分たちの2,3歳下の人は中学入学時には既にTwitterやLINEなんてものが盛んに利用されていて。そんなジェネレーションギャップに少し恐くなる。
この小説に話を戻すと、FAXの使い方がすごく上手かった。手紙とメールと電話の挟間の不思議な存在を、すごく効果的に利用していた。
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手紙のやりとりでどんなことが起こったのか想像するのが楽しい。
女性の性質とか嫌なところとかを手紙のやりとりの中で表現していて、とてもわかる!わかる!と読みながら、会話している気分になった。
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書店でPOPに惹かれて購入。この人の著作を読むのは「人呼んでミツコ」以来。
「ミツコ」はナンセンスで勢いがあり、読後すっきりしたなあ。特に年賀状に関するエピソードが爆笑ものだった。
私は昔から書簡体の小説や日記体の小説が好きだ。多分それは、手紙や日記には真実を記すとは限らないからだ。
と言っても何も意図的に嘘をつくという意味ではない。紙幅が限られ日々の全てを記すことができない以上、無意識の取捨選択の結果「記されないこと」が出てくる。そういった、作中で直接描かれない余白部分を想像するのが楽しい。
「信頼できない語り手」の一人称小説が好きなのもこれに通じるのかもしれない。
本作は複数の人間からなる書簡体の小説。青春時代から30代半ばまで、手紙や時にはFAX等を通して描く。読者は実際に手渡されたもの以外に「書きかけて破り捨てた手紙」や「投函されなかった手紙」も読むことができるという親切なつくり。そのため「相手に伝えなかった心情」を想像する余地はなかったが、その代わりその本音を「相手に伝えなかった」という事実に切なくなった。
1970代に学生だった人なら、もっとリアルに感じられ、共感できる部分も多いんだろうな。
ところで、途中から出てくる作家とその周囲の人々には驚いた。いや、彼女達のやりとりは楽しかったのだが、突然現れて、しかも中心人物に直接関係するわけではないので何故?という気持ちだ。それよりも島木について描いてほしかったな。高校時代の友達なのに影が薄すぎる。
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私はこの作品好きです。
終始懐かしい感じ!
昭和の匂い!
共学で青春を謳歌した高校時代がある人は
とても共感できると思います。
私はまだ大学生の分際ですが、
きっとこれからの人生も
高校時代は宝物なんだろうなーって思いました。
なんてことない日常が描かれていますが、
登場人物の生活や心情の変化を想像しながら読んで、
とても楽しめました。
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全編手紙形式。
こんな時代もあったんだろうか?
中高と携帯がなかった世代やけど、手紙はラブレターをもらったくらい?知り合いと文通みたいな事はしなかったな。
こういうコミュニケーションも今のデジタル世代より重みがあっていいかもしれない。
不便そうやけど。。
結婚がタイミングっていうのは、ほんまやなぁってうなづけたのと同時に残酷さを感じる。
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すごく良かった
地の文がないから状況を掴むのに少し時間がかかるが、読み進めるうちにこうだったのか!となる展開
大好きな本になりました
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誰にでも同じように“判る”作家なんて、まったく魅力がないと思います
とは、あとがきでの藤田香織さん(この人知らないなあ)のお言葉。まさにその通り。
その人の人生観、恋愛観、価値観あるいは経験則(恋愛、人間関係などなど)に応じてこの手の物語は何パターンにも解釈され、個人単位で消費されうると思う。
登場人物たちが交わす手紙という形だからこそ、心に沁みる珠玉の言葉の数々が。
私個人としては
都築宏への共感、感情移入が最も深かったです。
ダメ男と罵られるかもしれませんが
こういう考え方、生き方を歩んでいく男は少なくないと思います。
それにしても
あとがきとか解説の類って本当に的を得ているというか「うんうん!そうそう!それが言いたかったんよ!」とこちらの気持ちを代弁してくれるようなものが多いですよね(なんか上からですいません笑)
藤田氏が本書の特徴に挙げる、「あの頃」へのトリップ感。曰く、夏の教室の匂い、窓から眺めた秋の校庭、部活で流した汗、卒業式に流した涙―――
思わずぶるっときました。
そんなに派手な青春を過ごしたわけではないですが
思えば目に映る景色ひとつひとつ、全部がなんか“青春”だったなあ、と。
社会人になって早2ヶ月弱。
ついこの前まで属していた大学生というコミュニティ、ステータス。
永遠に続くと思って漫然と過ごしたあの4年間、思えばあの日々も懐かしく恋しい。戻りたい。
そんなわけでいろいろ考えさせられる興味深い作品でした!