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授業で発表するための読書。とはいえ、アメリカ小説は読んではみたかったので良い機会。。
最初は読みにくい気もしたものの、設定とかを頭に把握してしまえばそこまでではなくなった。ただ、込み入ってるのでもう1回整理して読まなきゃ発表はできない気がする。
頻発する「そういうものだ。(So it goes.)」とか、戦争が与えた影響とか、色々ツッコミどころはあるのかな…?ただ、半自伝的小説となるともしかしたら扱いにくいかも?困った困った。。
こういうのがSFなんだなぁと実感。でも、あんまり他の『タイタンの妖女』とかに手を出す気にはならないのは、私がSF苦手ってことなんだろうな。。
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この本は、生涯で最も繰り返し読んだ一冊だ。
10代のときに購入した文庫は、卒業制作のモチーフにしたため、
赤がいっぱい書き込まれている上、相当ボロボロになった。
2007年4月のヴォネガット逝去の際、書店に平積みができ、
「さよならヴォネガット」のPOPが、ゆらゆらゆれている棚があった。
そこからわたしは一冊取り、購入した。二冊目だ。
値段は当時のほぼ倍になっており、物価の推移が伺える。
新版も、結局付箋だらけになってしまった。いい言葉がたくさんあった。
けれど、ヴォネガットのよさは、コトバひとつだけを取り出して
眺めるものではないなぁとも思った。
前後のモチーフがあってこそ輝きを放つエピソードも相当ある。
もちろん、一部を引用したとしても、それはとても美しかったり、切なかったりするし、
十分すぎる魅力に富んでいる。
しかし、それを上回る魅力は、本一冊を通じて貫く芯にあると思う。
あたりまえですが。
それにしても。改めて、伊藤典夫さんの訳文は無駄がない上、美しいと思った。
そしてヴォネガットは、どうしてこんな本が書けたのだろう。
多くの人が、この「調子っぱずれな」本のことを受け入れた事実にも祝福したい。
トラルファマドール星人の言うところの
「なぜわれわれが? なぜあらゆるものが? そのわけは、この瞬間がたんにあるからだ」。
過去も現在も未来も、常にそこにある。
この本が、単純な反戦小説の枠に収まりきらないのは、
このトラルファマドール星人の言葉に理由があるように感じた。
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けいれん的時間旅行者ビリーは自分の人生のそれぞれの瞬間へタイムスリップする。ドイツ軍の捕虜になったとき、幸せな結婚生活、自分を拉致した異星人のUFOの中に、晩年、そしてドレスデン爆撃とその後。SF小説の皮をかぶった反戦小説とかるく構えていましたが、そんな程度のものじゃありませんでした。むしろ直接、反戦をうったえるような文章は一つもありません。
第二次世界大戦を、13万人以上が亡くなったドレスデン爆撃(著者のヴォネガット自身もこの空爆を体験している)を、そしてその後のさまざまな死をひたすらに「そういうものだ」と受け止めています。また過去・現在・未来の出来損ないのどうしようもない人間を冷たく突き放すのではなく、黒いユーモアを交えつつ、抑制のきいた文章で細かく丁寧に描いているところがすごく好みに合いました。
レビューを書いてもこの本の面白さを伝えられる気がしません。ヴォネガットの著作全部読みたくなりました。
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・グレングールドが弾くゴールドベルグ変奏曲
・どこか外で―電車の中や、都市の一角、大きな公園の緑の下
・心の目が霞んだら、この本の扉表紙をひらくこと
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ビリー・ピルグリムまで読み進めるのにえらく時間がかかったが、本編に突入してからはスムースに楽しく読めた。
ドレスデン爆撃を軸に、全体的にものすごく斜めな視点で書かれた戦争の話。
第二次世界大戦しかり、September 11、イラク戦争しかり、戦争はいろんな形で創作(芸術)を生むものなんだなと感じる。
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乱暴に言ってしまえば、ドレスデンの空爆についての本なのですが、
ドレスデンの空爆についての具体的な記述はほとんどありません。
あまりに鮮烈な体験を何らかの物語に変換するという問題について
読みながら、考えをめぐらせました。
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キルゴア・トラウト
ローズウォーター
などなど。
ビッグな面々が勢揃いする作品。
ドレスデン大空襲の悲惨さを伝える一方で、それは起こるべきであって、これからもおこり続けると語る。
SFなんかじゃないぜ。
映画も見たい。
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語れるような言葉なんてない。So it goes.
第一印象はこんな反戦小説初めて読んだよ、って感じ。SFで反戦小説。ユーモアとアイロニーと想像力を使ってなんとか言葉に出来ないことを言葉にしようとしてるんだなあと思います。分裂症気味なキャンベル、不条理をどうにか受け入れようとして時間旅行を夢想するビリー。ひたすらな混乱が伝わってきます。
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神よ。願わくばわたしに、変えることのできない物事を受けいれる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵をさずけたまえ。
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ヴィネガットのユーモアには何度助けてもらったことか。どんなときだって笑いがあれば何とかなります。どんなにネガティブな自分も、弱い自分も、絶望も、孤独も、不安も、恐れも、笑いに変える力をくれます。あれこれ細かいことは笑ってから考えたっておそくはないです。
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適当に考えたことを。。
普通小説というものは、「時間性」がある程度固まっているものなのよね。小説ってのは24時間すべてを記録したものではなく、ある程度恣意的に、線的な時間の中で組み立てられたものが大半。あとは小説構成上、作者によってある程度大きな枠組みで区切られて、前後することがある程度。
まぁつまり小説の中での時間の概念というのは、ある程度メタ的なのです。そこは作品のものではなく作者によるもの。小説の中の時間性はメタ=作者の介在の大きな証左なのだな。
ところがこの小説では、その時間性が「物語の中で」機能している。ビリーは自ら選択して時間を前後させる。もちろんそれは読み手にもアナウンスされるけど。そうすることによって「時間の不可逆性」っていう事実を薄め、時間の並列っていうゾーンにまで引っぱる。並列させると今度は、不可避なものとしての死さえ意味のないものになる。トラファマドール星人の言う「永遠」はまさにこのこと。何も生まれないし誰も死にはしない。
そんな中では進歩それ自体だって無意味だ。成長とか拡大とかそんな膨張主義には何の意味もない。前に進んでいるつもりになって色んなものを生み出し、スクラップアンドビルドを続け、成長だの進歩だの月面を歩いただの核実験に成功しただのと、嬉々として語る僕らに対する、強烈な皮肉。
それが人類進歩の歪みである戦争の経験によるものだってのもこれまた皮肉。
忘れてはいけない、これは読み手以外の何物かへのアイロニーじゃなく、今ここに生きているあらゆる人類の、進歩へのまなざしに向けられたものだってことを。
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この小説を読むと、無力感に襲われる。
だけど、その無力感は、そんなに不快ではない。気持ち良いくらいだ。
自己が肥大した窮屈な(自殺したくなるような)想いを、吹き飛ばしてくれる。
自分が思うほど、自分は大きくない。宇宙は広く、自分は小さい、そしていつも風が吹いてる。そういうものだ。それを楽しみたい。
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「ドレスデン空爆」を取り扱った作品と云うことで読み始めた作品ですが、内容は驚く程に軽妙。
かえってそれが悲劇性をもたらしているような気がします。
昔見た、岡本喜八監督の「血と砂」も喜劇から悲劇へと変わっていく方法で、観終わった後、やるせない気持ちになった記憶が…。
(そういえば、この監督も兵役の経験があったのでは?)
しかし、この作品の救いのある所は、
「人生のよい部分だけを見ていけばいい」
その部分が本当に救い。
後、キルゴア・トラウトの小説のあらすじでしょうか。
かなりブラックで笑えました。
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書き手によっては相当に難解で分かりづらくなる設定とストーリーなのに(実際、この表題作に対する一般的な評論とかを見ると、さぞや敷居の高い作品に思えてしまうw)、とても明快で簡潔な読み心地なのです。
これを読んで以来、作品そのもの以上に、ヴォネガットその人に強烈に心を魅かれていますv
ユーモアとウイットは、真摯に人生をとらえる人にほど似つかわしく、必要なのなのだと、再発見した気がします。
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失望、あきらめ、大人、優しさ、を強く感じた。「そういうものだ(So it gose)」ということばに、この4つが言い表されている感じ。戦争のことを、本で読んだり映画で見たりして知識やイメージは持っていても、実際に体験した人は「知ったような顔するな」って思うんだろうなぁ。
『「おやすみ、アメリカのかたがた」と、彼はドイツ語で言った。「ぐっすり眠りなさいよ」』