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著者も冒頭で言及しているが、かなり観念的。前半で共感できなかったこともあり、その後の内容があまり頭に入って来なかった。
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躁うつ病で本人もいのちの電話を解説してる坂口恭平の人生論。
実際に色んな行動をしてるだけあって、とても示唆に富んでいて面白かった。
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非常に面白かった。
ざっくりと理解したところでは、「現実」=社会的に共有された規範や知覚とは異なるものとしての個人的な思考の価値を称揚しているととることができそう。
要復習。
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社会集団による共通認識としての「現実」に対して、埋没し隠されてしまいがちな個人の特異性の、尊重・表出(=創造)を進言する書。著者自身の躁鬱病との関わりや、少年期の思考遊び、一風変わった知人たちのエピソードを織り交ぜて述べる。そのプロセスがいわば建築作業的でもあり面白い。一方、まとめの最終章などは繰り返しのような内容で、未成熟さや物足りなさを感じる。そもそも言語化できない、すべきでないことを、自ら言葉で説明しようとしてしまっているから無理がある。「詩」と「論」のあいだで揺れ動いている、その中途半端さがあることは否めない。
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社会の表層だけが変わっても、社会は変らない。
個人の中にしまわれている深い感覚や多様さに気づくことが必要なのかも。
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1人1人(もしくは1匹1匹)が知覚する世界と、画一化された「現実」世界には大きな隔たりがあり、そのことを認識したうえで「現実脱出」は有効だということが、躁鬱持ちの著者によって独特な視点から説かれてた。頭掻き回された
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現実は共通項であり全てではない。
個人が現実に囚われ過ぎると思考を停止(透明化)させてしまう。
思考は現実の中に既に存在しており個人の思考の可視化と伝播が現実を拡張させていくと言う
新たな視点と希望に気付かされた。
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思考と現実との付き合い方。ついつい現実にのめり込んでしまっている我々は、多くの思考という空間を見失っている。五感が感じるもの以上に我々の思考空間は豊かで、現実以上に認識すべき存在である。現実が全てではないことを痛感した。
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前著「独立国家のつくりかた」が面白かったので楽しみにしていた。そこでいわれたレイヤーを掘り下げる本かと思ったが、しかし、どうも違う。うまく読めない。僕としては珍しく、一日数ページずつというスローペースで読んだ。
どこまで読んだかわからなくなって行ったり来たりする。ここは読んだよな、いやはじめてかもしれないな。既視感がある。デジャブを否定されて悲しむ著者に自分を重ねたりしてみる。
「しっかりと言語化されていない叫びを人々に投げかけたとしても、誰も耳を傾けないだろう。他社もまた自分だけの空間を持っているのだから。土足で入り込んではいけないのだ。現実さんともそのように接する必要がある。」
そうだ、これは僕も通り過ぎてきたことの言語化ではないか。既視感はすなわち、うまく言えなかったこと。
だが、読後は引き続き言語化出来ない自分の思考に気持ちわりー、頭いてー、という状態である。ビバ人世(なんて言葉でごまかすからいけないんだよね、わかってるよ)。