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著者はイェール大学で日本を研究していた。外国人っぽい皮肉に富んだ語り口が面白い。
自身も以前から公共工事一辺倒の景気対策には疑問であった。地方の土建業は、ほぼ公共工事だけで経営されている所も多く、そんな会社は税金の投入がなければすぐ破綻だ。そもそもこれで景気は回復していない。日本の国家予算における土木関連の割合は先進国の中では圧倒的に高く(コンクリートの使用量は米の33倍!)、そのため膨大な財政赤字を積み上げる羽目になった。因みに教育費のそれはOECD加盟国中5年連続最下位だ。こんなことで国の将来が明るい筈が無い。しかもそれだけ金を使って自然を破壊し、更にはセンスゼロの景観をこれでもかと増やし続ける行政に呆れるばかりだ。
しかし、このような事態は行政ばかりの責任ではなかった。日立は自社の宣伝のため、名所名跡各所に立看板を立てまくり雰囲気を悪くしている。(自宅に日立製品は一つたりとも無かった。こうしたセンスの無い会社には魅力の有る製品が作れないのかも)
電信柱が林立している国も先進国では日本だけであり、中国などアジア諸国でも、地中化が進んでいるようだ。
日本の建築家は奇を衒う事を旨としており、地域のトータルデザインという概念は無く、行政の仕事ぶりを見る限り、彼らは自然を憎み、コンクリートとアスファルトで直線的に埋め尽くす事を美しいこと、進化していることと認識しているかのようだ。
兎に角この本の写真だけでも多くの方に見て頂きたい。(アメリカの携帯用巨大アンテナが巨木に擬装してるのに感心した)
これでも日本は観光立国を目指しているという・・・残念。
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海外と日本の観光地は何かが違うなと思っていたことがこの本ではっきりしたように思う。
もし日本にダヴィデ像があったらという合成画像など視覚的にも問いかけてくる本。
2020年の五輪前である今だからより読んだ方がいい本かもしれない。
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樋口忠彦『日本の景観』読書日記の際に書いたように,風景・景観に関する基本文献を少しずつ読んでいこうと思っている。Amazonで検索していた際に見つかったのが本書。まあ,よくある感じの日本的なものに魅せられた外国人が,現代日本の風景の乱れを嘆く本。著者は2002年に『犬と鬼』という本を出し,風景・景観に限らず日本の文化が破壊されているのは,日本の官僚政治に原因があり,公共事業としての土木工事の実態を明らかにしているらしい。
本書の内容は,その結果現れる風景に限定し,さまざまな側面からそのあり方をアイロニックに語っている。目次はとても分かりやすい。
序章
第一章 細かな規制と正反対の眺め――電線,鉄塔,携帯基地局
第二章 「町をきれいにしましょう」――看板と広告
第三章 コンクリートの前衛芸術――土木
第四章 人をビックリさせるものを作る力――建築,モニュメント
第五章 ピカピカの「工場思想」――工業モード
第六章 人生は「ふれあい」――スローガン
第七章 古いものは恥ずかしい――町へのプライド
第八章 国土の大掃除――観光テクノロジー
終章 日本人が掌に持っている宝
本書もご多分に漏れず,米国生まれの著者が欧米的な風景のあり方を上位に置き,それに相対するものとして日本の風景を位置づける。しかし,日本文化の本質ないし,潜在力という点では評価は高く,そうした「本来優れた日本文化」が現代では乱されていると主張する。
まあ,この手の主張はありふれているが,日立の看板の話は面白い。日本各地に存在する重要文化財の立て札にはもれなく「HITACHI」のロゴが入っているという。こういうところにも企業文化的な日本のあざましさがあらわれているのだという。
読みながら,かなりうんざりさせられるが,よく考えると読者に考えさせられることは少なくないと思う。このような主張を読み,「外国人のくせに分かったようなことを書くな」という反応は排他的なナショナリズムの反映だといえる。「欧米的価値観と日本の価値観は違う」というような感想も同様の感情の反映だ。どうしたら,そういう感情なしに本書の主張を批判できるだろうか。それはとても難しい。
本書でも土木情事に関する記述は多く,ダムや法面,改修された河川,護岸のテトラポットなど,日本の風景にはコンクリートが大量に使われていることを指摘している。この点については私も風景という観点は抜きにして,国土を覆っている大量のコンクリートがこの先どうなるのか,しかも多くの場合そのなかには鉄筋が入っている。もし,これらを取り除く場合に発生する産業廃棄物をどう処理したらよいのだろうか。言い方が悪いが,放射能に汚染された土や水の処理に近いものがあるかもしれない。
しかし,私は著者のように,コンクリートだけを問題にすべきではないと思う。著者がコンクリートを不要というのなら,私はある程度のアスファルトも不要だと思う。著者は車社会の米国人だからか,車社会がもたらした景観の変容については批判的ではない(北米の地理学者レルフはこの問題を大きく論じていたが)。コンクリート以上に圧倒的な割合で地表面���覆っているアスファルトも不要なものは撤去すべきではないだろうか。
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今まで日本の景観をぶち壊しにしてきた無法者に知って欲しい。それは今も続いているのだ・・・そんな著者の憤りを感じさせ、共感もする。
著者アレックス・カー氏は亀岡、バンコク、徳島県祖谷などを拠点とする多地域居住者だ。
日本は製造業の時代がピークを過ぎ、今後は観光業育成が課題だが、日本の景観に対する認識に対し、疑問を持つ著者。
奇抜なデザインで歴史や自然を圧倒する土木構造物・建築物を対象とした「アレックス景観賞」。皮肉たっぷりの解説を楽しめる。
日本は戦後の70年で見事なまでに国土を汚してしまいました。かつてあった「何もない魅力」が失われている。ブルーシートがない、ビニールハウスがない、看板や電線や鉄塔がない、コンクリートの法面がないそんな景観を復元するために、国土の大掃除が求められているという。
確かに暮らしの中の景観は人間のメンタルから影響が及んでいると感じる。
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確かにニッポンの景観は醜悪。
ごもっともな指摘ばかり。
皮肉がキツイので身内の悪口を言われているような気分にもなるけれど、ニッポン人も成長から成熟へと向かっていけるように、少しずつやっていくしかない。
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日本の景観について外国人が提言するといった感じ。古き良き日本の風景を大切にというのを基調に美しい日本の風景を大切にしようという話。どうして外国の市街地が美しいかの実例などもあり面白い。ほっといてくれよ(笑)と思うところもある。が、この人が具体的に関わった工事を見るとなるほどなと思う。ただ、これは頷けるところとそうでないところがある。こういう議論が広く行われて景観ヒステリーみたいなのにならないようにしながら、外国人にも喜んでもらえる日本らしい景観と調和した国土を模索したらどうかなと思った。
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経済成長期からいつまでも抜け出せない日本の異常な景観が、ユーモアたっぷりに斬られていく。片っ端から。
だからといってヨーロッパを目指したところで、それは外国に憧れ日本のものを恥とした明治の始まりと変わらない。とは言え、日本らしい、その地域らしい景観づくりに取り組まなければ、すぐにアジアで一番古くさい国になる。なんて、2年ぶりのマカティで思う。
#ニッポン景観論 #読書記録2018 #読書記録
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色々な道を走っていると、よくこんな所に道路通したなぁ、と思えるような場所を通ることがあります。それは山の中だったり、海沿いだったり様々です。もちろん現地の人の生活に欠かせない道路も多いのですが、なんでこんなとこにこんな巨大な道路??と思える場所も多々あります。
日本は土建国家なので、なんだかんだと理由を付けて土木工事をやりたがるのです。
でもそれで良いのか。
明治維新以来、そして終戦以来現在に至るまで、日本は必要性の不明な土木工事で、伝統的で美しい景観を壊してきました。この本はそのことをとてもよくわからせてくれます。特に写真が多いので、ははぁ、コリャダメだなぁ、と一目瞭然。こんなの見る度に、現代日本人って底が浅いなぁ、と思ってしまいますね。
写真が多いのでどんどん読めます。是非皆さんもご一読ください。
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改めて怒りに震えつつ、焦燥感に、あわわわわ、となる
良い本でした
日本人は季節を大事にし自然と共存しているなんて信じてる人、そんなの絶対に嘘だと気付いてる人、どっちも読んでみてくださいな
よくわかりましたので焦る
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『兵庫の遺産』を考える連続シンポジウム
◇「美しき日本を求めて」アレックス・カー
◇地理情報システム(GIS)を活用した県立大学の学生さんの発表
◇パネルディスカッション
八木 雅夫氏 国立高等専門学校機構教授
山崎 整氏 神戸市立博物館副館長
下間 久美子氏 文化庁主任文化財調査官
小泉 寛明氏 神戸R不動産、有限会社Lusie代表
奥村 弘氏 神戸大学大学院人文学研究科長、地域連携推進室副室長
観光地に便利に行けるように
自然に手を入れて変えていくことが良いことばかりではない
行くのに困難なところでも道のりに魅力を感じることもある
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ちょっとした衝撃。
日本の景観が醜いのは分かっていたが、じゃあどうすればよいのか、というのは分からなかったのだが、本書はそれをクリアにしてくれた。
欧米の価値観だと言われればそれまでだが、やはり世界
学ぶ必要がある。
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読みながら、なぜか恥ずかしいという気持ちが湧き上がってきた。
「愛しているならば、怒らねばならない」と白洲正子がいった。
日本人は日本を本当に愛していますか?という問いかけにたじろぐ。
どこに行っても、同じような街の景色。川辺や海沿いは、コンクリートで固められている。看板はだしたいだけだす。〇〇をしてはいけないという注意書き。街路の木は病気のように丸裸。
自然に対して、あるがままが、なぜそんなに嫌いなのですか?
禅の言葉「明珠在掌」は、昔ある人が、世界一ひかる珠を探して、何十年も諸国を周り、結局珠は見つけられず、最後は自分の掌の中にあった。
日本は「光る珠」だよとアレックスカーに教えられた。
日本ではない日本を受け入れていたことに気がつかされた。
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著者、アレックス・カーは呆れている。いや、怒っている。愛しているなら怒らねばならない。
美しい日本、というのは何なのか。難しい本はみんな読まないからわかりやすく皮肉たっぷりにしてやろう、ということで作られてしまった本。
景観の保全はテクノロジーだけど、日本ではそのテクノロジーはさっぱり発達せず(というより独自の進化を遂げ?)、年度毎に予算がつく土木工事の技術ばかりが発展した。旧建設省制定のユートピアソングの歌詞「山も谷間もアスファルト ランランランラン ランラランラン ランラン 素敵なユートピア」という強烈なものが紹介されている。著者は「この詞が大好きなので、みなさんと一緒にぜひ歌いたいですね」と。
なんだかこっちが謝るしかないか、という気分になるではないか。
そしてこのユートピア幻想は、今でも国民がずっと持っているのだと。やっぱり謝る。
「ふれあい」が連発される公共施設、なぜか文化財の看板についている「HITACHI」の文字、賞が欲しくて既存景観からかけ離れる建築家。
いろいろな事例の紹介には、ほぼすべて皮肉なコピーが振られている。
さらには「ニッポンの景観テクノロジーを世界へ」として、世界の町並みに日本の看板やら建築やらをインストールしたコラージュ写真まで作ってしまう。観光旅行に行ってこんなんが出てきたら、ふざけんな、となってしまうが、日本はそれを海外からの観光客に見せているわけだ。
看板やら公共工事が皆悪い、といっているのではなく、問題は中身である、と。最後は「明珠在掌」を説いて終わる。まだ珠が何かわかる、いまのうちだ。
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40年以上日本に住むアメリカ人である著者が、日本の景観について意見を述べた本。日本の自然と調和した景観を評価しつつも、多数の看板、電柱、コンクリート壁、鉄筋コンクリート建築などが、景観を著しく壊していると主張し、欧米の政策と比較し、日本の景観保持政策が遅れていると嘆く。写真を多用し、とてもわかりやすく、外国人視点は、とても参考になる。土木・建設業に偏重した日本の公共事業政策も、その通りだと思う。提言も建設的。勉強になる1冊であった。
「本来、景観というものは町並み単位で考えるものです。京都なら銀閣寺や金閣寺だけでなく、旧市街そのものが文化遺産です」p19
「先進国の中で、電線の埋設が進んでいないのは日本だけです。率直に言いますが、日本は電線・鉄塔の無法地帯でもあります」p20
「電線埋設を電力会社に義務付ければ、景観は見違えるほどよくなります。これまで税金で工事費用を負担してきた村、町、区という自治体レベルでの出費はなくなりますので、納税者の立場から見ても、よほど経済的です」p26
「埋設工事の費用は本来、日本のみなさんが思っているほど高いわけではありません。天下りが関与する会社に工事が独占的に任され、かつ、硬直した時代遅れの規制によって、安価な埋設方式開発が妨げられているので、工事費用が本来の適正価格の2倍、3倍と、無理に高くなっているのです」p26
「(ハワイの)看板のない景観は、1959年にハワイ州が大型看板の設置を一切禁止したからなのです。大型看板を禁止してからハワイが経済不振に陥ったかというと、そんなことはありません。看板を規制した半世紀前からずっと、ハワイはあこがれの観光地のポジションを維持し続けています。世界一の経済都市ニューヨークのマンハッタンでは、ブロードウェイのようなごく限られた繁華街を除き、3階以上に看板はありません。つまり看板の乱立=経済効果ではないのです」p33
「実は商業看板以上に、この公共的な看板(「消費税完納推進の町」「人権尊重の町」「交通安全宣言の町」などの大型看板)が、景観の視覚汚染を引き起こしています」p37
「「きれいにしましょう!」という看板にいたっては、この看板自体が町を汚くしています」p37
「世界に冠たる日本の土木技術は、巨額の税金を使って技術を磨いていくうちに、世界の潮流から遅れてしまったのです」p71
「日本では残念ながら、まだ不完全な下水道工事や電柱・電線の埋設、歴史的な街並みの保存といった、地味な工事にお金が流れず、おろちループのような、社会的ニーズがない派手な建造物の方に、国民のお金が費やされています」p81
「(2002年)国の予算のうち、土木、建設が占める割合は、アメリカが8%、ヨーロッパでは6~7%でしたが、日本は40~50%となっていました。土木、建設に関する雇用は、アメリカでは全雇用のうち1%未満で、日本は12~14%でした。桁違いです」p87
「(白洲正子)椿一輪を活けることはなかなかできないことですが、モンスターのような「生け花」はどの家庭夫人でも簡単に作れますよ」p102
「現在の京都の景観の醜さは、古いものがなくなったからではなく、新しいもののつまらなさによるところが大きいのです」p146
「「歴史の否定」「古さに対する憎悪」「不適切なゾーニング」というものを根底に作られた、ゴミゴミした都会を国際的な目で見ると、新しいどころか、単なる時代遅れにしか映りません」p148
「健全な観光には高度なテクノロジーが求められます。景観に配慮せず、画一的に大型駐車場や自動販売機を設けるという手法は、結局は時代遅れです」p167
「2004年から10年かけて数人の人たちと組んで、京都の町家を一軒貸しの宿泊施設に再生するプロジェクトに取り組みました。対象にした町家は、住む人がいなくなり、取り壊しが検討されていたものです。そういった町家を舞台に、パリ、サンフランシスコ、ハワイなど世界の有名な観光地で行われている一軒貸しの「ヴィラレンタル」という形が、京都でもできるのではないかと発想したのです」p182
「欧米人たちの行き先は祖谷(いや)だという。「あんな山奥に、なぜ?」と、彼らはますますわからなくなります。さらに調べてみると、1年に千人以上の欧米人が「籭庵(ちいおり)」という場所に行っている。「籭庵って、いったい何だ?」ということになり、お役所の人がついに私のところに訪ねてきました」p198
「これからは公共事業の中身を変えていきましょう、と言っているのです。予算は削減しなくていいから、それを無駄な土木工事ではなく、電線埋設なり、水道の整備なり、景観に貢献すること、地域が必要としていることに使おう。古民家として街並みを再生して、宿泊施設なり、レストランなりを核とした経済活動の場にしよう。そう言っているのです。それでしたら、ゼネコンも困りません」p203
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外国人から見た日本の景観の残念さについてシニカルに写真付きで紹介した本。
自然の美しい景色を写真に収めようとして、電線や電柱や、カラフルな看板が景観を台無しにしているという経験は、日本人の誰もが経験していることで、著者の視点に大いに共感した。
と同時に、西洋の価値観が日本に入ってきて、西洋を目指し伝統的なものを否定し、近代化してきたのに、その西洋人にその方向性を否定されるという皮肉を感じた。