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ミシマ社の代表の人の本。この人の『計画と無計画のあいだ』は前に読んだことがある。ミシマ社の本もいくつか読んでいる。
いまは京都市内に関西の拠点を移したミシマ社が、しばらくのあいだ、京都の城陽市に拠点を置いていたことはなんとなく知っていた(ミシマ社のメルマガかウェブマガジンか、どっちかで読んだのだと思う)。知り合いの空き家をオフィスにしたそこで、「ミシマ社の本屋さん」という、靴を脱いであがりこむ本屋を開いた話を読んだときには、(えらい遠そうやけど、ちょっと行ってみたいなあ)と思ったものである。
そこで「お客さん」つまりは「読者」と出会ったミシマさんは、気づきを記している。
▼恐ろしい話だが、そのときになってようやく気づいた。それまでは、「読者」の顔を知らずにただ本をつくっていたのではないか……。そんなふうに考えると、顔のない何万人という記号のタワーが、いつもぼくの前にそびえたっているように思えてきた。(p.50)
この本屋さんが儲かるわけではなかった。それでも、本を「つくる」から「届ける」までの距離のなさに、ミシマさんは「ぼくは本づくりとは別種の喜びをおぼえずにはいられないでいた」(p.54)という。
そんな喜びを、"城陽レポート"に綴り、各地で城陽をアピールし、「東京という場を離れてもやっていくことができる!」(p.62)と張り切り、日本の大半と同じように"ふつう"の地である城陽で出版社をやる意味を宣言したミシマさんだったが、突如、天啓のように「京都市内にオフィスを移そう」という絵が浮かぶのである。「京都の街中にオフィスがあることで、有象無象がぐるぐる回り出す映像をはっきりと見た」(p.64)そうだ。
この急転換の着想のあとに、ミシマさんは"城陽レポート"に書かなかった現実を記す。
▼──ひとりのお客さんも来ない日々。来ない電車。著者の方との打ち合わせをたった一人ともおこなえないで終わる一週間。調べものがあっても街中へ出るのに一時間…。自由が丘メンバーとの情報共有の困難さ。切れる音声、切れるスカイプ映像。切れるぼく。
城陽レポートに書くことはなかった事実が次々に目に浮かんだ。(p.64)
続く章では、どうして城陽だったのだろうかと振り返っている。その中でも、デジタル依存度がどんどん高まっていった話は、5年近くのあいだ在宅で一人で仕事をしていて、遠く離れた同僚との情報共有のむずかしさにいらだつこともあった私には、わかるなーーと思えた。
▼…東京にいたときのように同業の人たちと繁くは会うことのできない環境で、気づけばぼくのデジタル依存度はどんどん高まっていた。ネットマガジン、ブログ、ツイッターをのぞく回数が増え、自由が丘オフィスのメンバーは当然のこと、社外の人たちともスカイプミーティングを頻繁におこなうようになった。
しかし、自由が丘オフィスしかなかったころのぼくは、会社のメンバーに「パソコンオフタイム」を推奨していたのだ。午後から夕方まではパソコンを開かないように、と。パソコンの前にどれほど長くいても、真に生きた仕事にはなりにくい。座って、画面を眺めているだけで時間はいくらでも過ぎていく。けれど、長時間その前にいることで生産性があがるわけではない。むしろ身体はかたくなる。パソコンは使うべきときに集中して使う。その時間をできるだけ少なくして、人と会う時間を大切にしよう。
ぼくの指摘はまちがっていなかった。城陽で自ら証明した。距離が離れているため、必然、これまで会っていた人たちとの時間を、デジタルでのやりとりで済ますことが多くなった。というより、そうせざるをえなくなったのだ。そうして、ぼくの身体はかたくなった。生きた情報からはほど遠い、記号の情報にふりまわされ、いつしか、生きた仕事を失っていた。(pp.100-101)
この城陽体験の話と、もうひとつおもしろいと思ったのは贈与経済でやっていこうというミシマガジンの話。ここを読んでやっと気づいたが、私が読みはじめた頃には「平日開店ミシマガジン」と名乗っていたミシマ社のウェブマガジンは、リニューアルして「みんなのミシマガジン」になっていた。
お金のある人だけがアクセスできるメディアにしたくない、だから課金制にはしない、老いも若きも富める者も貧しき者も誰もがいつでも閲覧できるところにネットの革新性があったはず、だからネットの読みものは無料でありたい、その無料を維持するために、ミシマガジンは「贈与経済モデル」を採用する。
サポーターを募り、サポーターから運営費をいただき、ミシマ社がウェブ版を編集・制作する。毎日なんらかの読みものが更新されていき、その月の最終日に「編集後記」がアップされて完成する"月刊誌"だ。サポーターには、この"月刊誌"の「紙の完成版」を、心からの贈り物として送る。
だが、サポーターから集まる運営費だけでは、とても紙版の印刷費まで出せない。そこで、製紙会社と印刷会社にも「贈与」をお願いしにいって、それが実現するのだ。金銭を介さずにつくることで、お金との交換で出す本とは違ったことが起こる。
商業出版と贈与経済と、その両方をやっていくことで、商業出版だけではみえてこないことが、浮かびあがってきたりするんちゃうかなーと思う。
城陽移転から始まり、違和感をキャッチして急転換した経緯があって、本のしまいのほうでミシマさんはこんな風に書いている。
▼編集やメディアの役割は、よく誤解されがちなのだが、「発信」ではない。くり返すが、あくまでも「媒介」である。自分発信に走ればかえって主体は遠ざかる。自力で全てを動かしてやろう、そういう自意識ほど自然からはるか遠い行為はない。
編集者的身体とは、揺れ動く生の日々のなかにあって、なお主体をけっして手放さないでいるための感覚だ。…(略)…編集者的身体には表現力は必要ない。ただ真っ白になることさえできれば十分だ。…(略)…自分の身体が真っ白になれば、いろんなことが見えてくる。(pp.257-258)
そうやって見えてきたことを書いたのが、この本なのだろう。
(4/25了)
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とても興味深く読んだ。というか、ものすごく共感しながら読んだ。
禅か武道かなんかで同じような概念があったような気がしないでもないけれど、言語と非言語の境目にある「あれ」が浮かび上がってくるような心持ちだった。
偶然なのかもしれないし、必然なのかもしれないけれど、同じ時期に読んでいた佐久間裕美子『ヒップな生活革命』も、アメリカでも同じような現象(と僕には読めた)が起こっていることをさまざまな角度から紹介していた。
これって一体どういうことやろう?「あれ」は日本っぽい考え方というか姿勢というか生き方かと思っていたけど、「あれ」の入り込む余地がないと思っていたアメリカでも日本と同じ流れにあるとは。
この感覚、感覚というか、うーん、無駄な力が抜けた感じというか、仙人になった感じというか、この言いようのないものを言語化しようとする試みは、決して一言では言い表せない、本でしか表現できないことだと言えそうだ。
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自由ヶ丘の出版社ミシマ社の三島氏の前作
『計画と無計画のあいだ』の続き的な内容。
出版社を起こして、自由ヶ丘の次に京都の地方に
支所的なものを作ったそうで。
衰退するといわれている出版業界で奮闘する若い
社長の感性と行動と思考に驚きと敬意を感じます。
特にミシマガシンの創刊についてはなるほどと思い
ました。目からウロコ的な。。
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ユニークな活動を続ける出版界の異端児、ミシマ社社長の三島邦弘さんの、2013年3月以降のミシマ社の動向を綴ったエッセイ。京都に新たな拠点をつくり、新たな活動を始めるが事態はどんどん悪化する。斜陽産業といわれて久しい出版業界で抗う筆者の思考が伝わってくる。
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京都府城陽市。
お洒落なカフェもなければスタバもない。ランチはフライばかりのお弁当屋2軒をローテ・・。
日本全国どこへ行ってもありそうな生活者の町の一軒家で、ミシマ社は編集業務をスタートさせる。
アルゴリズムに支配されつつある世界経済に、記号化された便利なフレーズが氾濫するメディアに、しなやかに対抗し地方で出版という文化を発信する仕事ができるのか否か。
結論はあぁやはり、と同じく全国どこを切り取っても同じ風景が広がる北陸のいち地方の出身者で現在東京在住の身として思わず頷く部分もあり。
三島氏自らの城陽での苦悩とオフィス移転までの経緯を隠すことなく披露しているところは潔い。
タイトルからしてくすぐったい理想論がチラリと伺えるが、読書を「消費する」人たちにではなく、本当に本を読みたい読者に届ける”一冊入魂”の精神は嫌いでない。
どれほど電子書籍が広がろうと、紙の本はなくならないと信じる本読みとしては、応援したくなる。
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「ぼくは日本一楽しい仕事をしている」といいきる三島さんの著書。
ミシマ社の設立から、城陽オフィスの設立、京都市内オフィスの設立まで。そして、ミシマガジンをめぐるドタバタ劇。
こんなに場当たり的な経営(といえるかも怪しい)なのに、こんなに明るくて、自身の思想をきちんと貫いているのは、三島さんほんとうにすごい。自分が生きていくうえでのいろんなことに対して、余白というか、未知の部分を持っているのはほんとうに大切。「不安定であること」をここまで楽しんでいるひとは、なかなかいないと思った。
読んだあとは、すがすがしい気分にさえなった。いい読書体験でした。
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http://staygold1979.blog.fc2.com/blog-entry-673.html
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ミシマガサポーターをしているので、オフィスの移転は知ってはいたのですが、こんなに逡巡されていたとは・・・と驚きました。
城陽市から京都市内への移動は単に社屋の賃貸問題なのかと勝手に思っていたので。
自分自身がバスも電車も時刻表など気にしたことがなく(5分待たない)、それが当たり前だと思って育ちました。
現在は都内まで電車で1時間弱、最寄駅は無人駅という地方に暮らしています。時間によって最寄駅では自分しか乗降しないことも珍しくない暮らし。都内の職場から帰ってくると「しーん」と空気が澄んで心底ほっとします。
ただ、これは職場が都内で、その途中にも何でも揃う地方都市があるから成り立つ暮らしなのかとも思っています。
なので三島さんが城陽から移動された理由にとても共感を覚えました。まっすぐ京都市内に落ち着かれた以上に、城陽市でのひとときが三島さんとミシマ社にもたらすものがあったのではないかと思います。試行錯誤を経て進むミシマ社のこれからがますます楽しみです。
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ミシマ社の三島さんが考えた事。
創業から数年。
〝地方〟に拠点を設けたり、様々な人達と出会ったり、資金難に直面したり。
その都度考え、辿りつく境地とは。
たぶんに感覚的。でも腹に落ちるまで読んでいたいと思わせる。
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結論的な趣旨は良いと思うのだが、ちょっと観念的すぎて好きになれない文章です。著者の苦闘の道筋を、自分自身のために忠実に記録していこう、という意向であるのだろうが、こんなにページ数を費やして出版する意義があるのかな?
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いまだ書かれぬ何かを感じ、編み、読み手に届けるのが編集者。その極意は「何もしない」を全身全霊で行うこと。
バブルのようなガツガツの熱さとは一線を画して、でも日々熱く過ごす。感覚的すぎて、支払いが危うくなったりもする。
幼い頃にもっていたはずの感覚を失っている、ということは、多くの人が感じることだろう。僕もそうだ。感覚を取り戻しながら言語化もすすめる。そんなことが出来るのだろうか。作家であればまた違うのだが、編集者とは、まず真っ白になる、「何もしない」を極めて見る、ということ。
本書でも触れられているが、電子書籍やらアプリやらが出版にのしかかってくると、出版社、編集者という存在が失われていく可能性がある。誰もが作家に、なんてのはけっこう辛いものがあって、それよりも失われそうな職能、ひいては感覚が、ほんとうにもったいない、というか怖い。というわけで、僕はミシマ社の本のファンである。