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前作『殺し屋 最後の仕事』を読んだ途端に、ああ、これほどブラックでスラップスティックな殺し屋という特異な職業のシリーズを、ここまで上手に綺麗に纏めて完結させてゆくストーリー・テリングが世の中にはきちんと存在するんだ、さすがブロックは巧いな、と感心しきりであった。おそらく前作を脱稿したときのブロックは「書き切った」印象は少なからず持ったのではないだろうか。
でもブロックは凡百の作家では決してない。本作では、あそこまで綺麗に物語を収めておきながら、さらに「もっと書ける」匠の技を見せてくれるのである。前作のぎりぎり感、ノンストップ感などはもちろん求められないにせよ、シリーズを支えてきた坦々とした描写、オフビートで変幻自在なフラッシュバックによる不思議な魅力はさらに保ちながら、殺し屋が前作で辿り着いた新しい境遇からの再出発とでも言うような、あるいは大病の後の療養的意味合いを持たせた、曖昧で、メローな時間をシリーズに与えてくれているのだ。
家庭ができて娘が生まれ、切手収集という趣味の他、不動産やリフォームなどの実業家という展開まで見せ始めたシリーズを殺し屋に復帰させたものは、サブプライムローンによる景気の低迷により仕事の相棒ドニーとの共有仕事がなくなってしまってきた現状であった。さすが、時代変化にリアルに着いてゆくシリーズであり、作家ブロックなのである。
しかし、いくら景気が悪いとは言え、殺しの職業を名前と住む場所を変え、さらに継続することには少し無理があるのではないだろうか。その通り。家族との折り合いは? 連作短編の形を取りつつ、本書は、時系列で殺し屋の新天地での第一歩を語ってくれる。それとともにシリーズ初期の時点ではあまり感情を見せなかった殺し屋ケラーが、受けた仕事の意味について、以前よりもずっと迷いつつ、自分で行動を微妙に選択しつつ受け入れてゆくことである。中には受けない仕事もあり、途中で投げ出しても構わない局面に行き当たりもするが、そこでの選択の妙こそが、読みどころであり、ブロックの書きどころなのだ、と思わせる。ブロックという作家は、こうしたところで小説としての旨味を確かに感じさせてくれるのだ。
連作を通して殺し屋から徐々に重心を家庭にそして一般人としての自分に切り替えようとしているケラーが見えてくる。これまでも殺し屋であるケラーと一般人であるケラーとの二重性がおかしく書き込まれてきた本シリーズであるが、彼のひとつの得意技である殺しという仕事をやめてゆこうとするケラーの言動によって本書は完結する。
これで本当に完結するとは思うのだが、さて……。
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おれときみだけが分かちあっている何かに、誰か別の人間を引き込んでしまうかもしれなかったからだ。ただ、そんなことはしたくないことだけはわかった。
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引退したケーラーが戻ってきました。
つか、ドットが戻ってきたよぉ。
いやあ前作で、ドットのいないこのシリーズなんて、くさっていましたが、わかってますね、何が大事かww
ついでに、ケーラーは最強パートナーを得ているわけで…。
でも、これでいいの?
と、思わないでもない。
妻はまぁいいとしても、娘がいるからな。
ともあれ、平凡に生きていこうとしていたのに、さくっともどってくるケーラーの軽さが素敵。
と、切手にまつわる狂騒が面白い。
なんにせよ、マニアっていうのは、こわい存在なんですね。
リシーズが続くのは歓迎なんだけど、娘の存在が、諸手を上げて迎え入れるってことにしてないところがブロックの職人故なのだろうなと、思う。
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ケラーが孤独ではなくなった。それが一番の衝撃だった。今まで自らをさらけ出したくてもできないケラーは犬を飼ったり犬のぬいぐるみを買ったりといろいろ悪戦苦闘していたが、自分の仕事を肯定的に理解している妻を得て、それは叶えられることとなった。しかし、どーなのよそれ。あまりに丸くなり、ある意味ケラーの共感できる要素が一つ失われてしまった。それは憧れだった。自分が決して手に入れることのできない、本当の故郷、本当の理解者への憧れが。歳をとったら面白く感じるのかもしれない。
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“殺し屋ケラー”シリーズの第1作(連作短篇集)。巻頭を飾る短篇「名前はソルジャー」の冒頭でケラーが飛行機の中で映画を観ているのが気になって、話の筋を追うよりも、ケラーが映画を観ているシーンを探しながら読むモードで最後まで読んだ。
作中の映画を観る場面を抜き出すと、ケラーの“映画との付き合い方”が見えてくるのが面白い。テレビで放送されている映画を途中からでも観るんだ、とか、HBOで放送される映画が観たいのに泊まっているモーテルではHBOが観られないとなるとモーテルを変えようとするんだ、とか。
ケラーが自身の行いを、かつて摂取したフィクションに影響されたものであることを自覚するくだりもあるし、先行する数多の作品群を意識した作りになっているのは間違いない。掉尾を飾る「ケラーの引退」では、ケラーが殺し屋稼業から足を洗って切手収集を始める話。着地の仕方が最高。
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終わったと思っていたシリーズが復活。
想像する「殺し屋」とはいささか異なるケラーの姿は相変わらず。
淡々と、日常の延長線上の中のように殺しを行い、殺しという稼業について彼の考えや思いは一切語られない、といったケラーの姿がクールな文体で描かれるシリーズだった。それがいつの間にか少し雰囲気が変わりはしたものの、やはり「殺し」にまつわるシーンはドラマチックでも手に汗握るでもなんでもなくさらっと淡々と過ぎる。それが実に良いのだ。
ケラーにとって殺しは仕事。サラリーマンが通勤して業務して帰宅することに「手に汗握る」描写はいらない。
今作はケラーの趣味の切手が各作品で重要な役割を果たしていて、その薀蓄も楽しめ(?)る。
ケラーの妻、ジュリアもなかなか素敵なウィットに富んだ女性で、仕事のパートナーであるドットとともに作品にピリッとしたエッセンスを加えてくれている。
ブロック作品の女性は主人公と対等な立場で語り合える魅力あふれるヒロインばかりで、それもまた楽しめるポイント。
要するに、大御所さすがの作品、という一言に尽きる。
逆に言うとブロックに慣れていない人には、もしかしたら読みにくいのかも?
だけどぜひ、シリーズ処作から読んでいただきたい作品。
また戻ってくるかな?
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<殺し屋>シリーズ、これが本当に最後の作品。前作で殺し屋稼業から完全に足を洗ったはずのケラーが如何にして復帰するのかと思いきや、思いの外ゆるっと復職する。本編は殺しの仕事4割に対し、趣味の切手収集が6割といった具合でいつの間にか<切手屋>シリーズに鞍替えしたかのよう。これでお別れとなるのは残念だが、実質的なエピローグとなる「ケラーの義務」が鮮やかな幕引きを飾っている。シリーズ全五作、これにて完結。今作では「海辺のケラー」が一番好きです。…なぜなら著者自身の趣味でもある切手の蘊蓄が殆ど出てこないので(小声)
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殺し屋ケラーシリーズ五作目。2014年以降、続編がないことから一旦完結したと認識している。
伊坂幸太郎さんが、「ケラーシリーズは、エンジンを積まないグライダー」と述べていたように、そんなグライダーのたびは本作でも存分に愉しめる。
なんといっても本作のうち、7-8割はケラーの趣味である切手蒐集についての話が占めている。なのに面白い。この本はまさしくグライダーであり、目的地に着くことよりも(あらすじを楽しむよりも)、風に身を任せ景色を楽しみながら飛行を堪能することの趣きと同じなのである(グライダーに乗ったことはないのだけど)
もう続編は出ない気がするけど、「ケラーの最後の最後の最後の仕事」が出ることを心待ちにしてます。
ぜひ、皆さんにも殺し屋ケラーシリーズの素晴らしさを感じてほしいと思えるシリーズでした。