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国柱会 田中智学 八紘一宇 八紘(あめのした)を庵いて(おいて)宇(いえ)にせんことを
現代の人が無意識に信じている宗教
拝金教、出世教、ナショナリズム
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人は知らないものに恐怖を感じます。
「学会ってなんなんやろう」って疑問に1つの答えを出してくれています。
ただ内容的にはかなり踏み込んだものなので学会礼賛的なところはあります。
でも中から見ないとその本質はよくわからないというのも真実やと思います。
そういう意味では毛嫌いするわけでもなくのめり込むのでもなくニュートラルに読まないといけないと思いました。
読後の感想としてはやはり他教排斥の宗派なので迷惑さえかけなければ信仰は自由と思ってる僕としては相容れないかなあと思いました。
でも知らないことで感じていた忌避感は薄らいだと思います。
まあ読者を選ぶ本かなあとは思いました。
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わたしは創価学会の会員ではない。
この本を手に取ったのは、創価学会というのがどういった存在なのかを理解したかったからである。入会したい、とかいうわけでもない。
一通り読んで思ったのは、日蓮正宗というよりも、創価学会は池田大作さんそのものである、というように思えた。全ては池田大作さんを中心としている。もちろん、南妙法蓮華経は唱える仏法なのではあるが。それが一番の印象である。
宗教的観点から見えれば、世俗化することもなく、お題目を唱えるなど、信者の日常生活を律している場面は多く、秩序のある宗教だという印象だ。「生きている宗教」という意味もわかる。
憲法二十条は少し誤解していた、
『信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。』
これは国やその機関が宗教を国民に強制してはならないことを述べているのであって、宗教が国(政治)に関与することを禁止しているわけではない。それであれば、創価学会が政界(公明党)に積極的に進出しても良いわけだ。
池田大作さんの名言より『星々のかけらから生命が誕生したことを思うと、この宇宙それ自体が生命的存在であるといえよう。星々も地球も、華も木々も人間も、すべて同じ次元から発して、今ここにある。ゆえに人間は、全宇宙の一体なのである』というのはわたしも同じように思う。人間も自然の派生物であるのならば、人間が大気汚染などをするものも自然がバランスをとった結果なのではないかと、その温暖化対策を行う人間の行動もまた自然のひとつなのだと。
わたしの宗教に関して言えば、典型的な無宗教系といえる。世俗化した浄土真宗であり、葬式の時に「南無阿弥陀仏」と唱えるだけである(お盆やお彼岸などは墓参りしますよ)。わたしはそれで良いと思っている。それもまた時代の流れ、自然の流れなのだと。もともと宗教とは人が救済を求めるために、今よりもっと幸せになりたい、変わりたいという思いから入信するものだと思う。現状に満足しているのであれば、それ以上は不要だ。
それに神道も好きだし。日本人のモノを大切にする心は神道が深く関わっているとわたしは思う。日本八百万の神、モノを大切にすれば、そのモノにも魂が宿る。それが根幹にあるだと思う。針供養などのその表れだね。
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◆日蓮宗を軸とした創価学会のありようを著者が解剖。が、神学者・キリスト教徒という思考のフレームワークが、著者の目を曇らせてはいないだろうか?◆
2014年刊行。
神学者の一面を持つ著者だから感じない違和感。それは宗教における価値絶対主義であろう。
そして政教分離においても消極的信教の自由、つまり国家権力が信教(=信仰・宗教的行為・宗教的結社)の自由に干渉しない側面のみを重視している誤謬。
この点の違和感が個人的には払拭されないまま、つまり説得的ではないと感じ取れたが故に、著者の見解には賛同できないなと。これが全体を読み通した後の読後感である。
① そもそも、価値絶対主義は何らかの形で価値の優劣を肯定してしまい、政治における平等に非親和的(矛盾していると言いたいが、そこまでは言わないでおく)。
② 政教分離は信教の自由(信仰の自由・宗教的行為の自由・宗教的結社の自由)を国家が妨害しないという消極的自由。その保障のみで足りるわけではない。
つまり国家権力による宗教・宗教的行為への非干渉で済まされるものではなく、戦前の国家神道の問題から、国家による「特定」の宗教への援助・助長及びその恐れを忌避するという側面も有している。
後者の面に関して殆ど言及しないため、言い知れぬ違和感を拭い去れないのだ。
本書において著者が言及する飯島勲氏や石破茂氏が有している政教分離・信教の自由保障観は、憲法の国家権力の抑制機構という側面を等閑視して、全く駄目なのは言わずもがなだが、著者の発想も果たして…。
無意味だとか、理解できないとまでは言わないが、どうにも疑問符立ちまくりの読後感であった。
そして、公明党が具体的要件の検討において重要な存在感を示したという集団的自演権行使のための3要件も、そうそう著者の思うように取り計らわれるのか?。
アクロバティックな文言解釈=結論ありきの解釈は政府のお家芸でもある。
もとよりこれらの要件は、無いよりはマシという意味では、その限度で理解できなくはないのは、そうかもしれないが…。
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創価学会について知りたくて読書。
私は学会員ではないが、周りの知人、友人には学会員が少なくない。もっとも勧誘されたことは1度もなく、同じ人から2度勧誘されたら縁を切ろうと決めている。
食わず嫌いであることは否めない。だからもっと勉強したいなと思った。
確かに著者が指摘する通り、中国に関して言えば、創価学会が果たしてきた役割は大きい。現役の大使館、領事館関係者に学会員が多いことも周知の事実だ。
日本で初めて中国人(中華人民共和国)留学生を受け入れたたのは創価大学。
今は北朝鮮に対しても積極的に交流を図っていて、訪朝する政治家でもっとも多いのは公明党の地方議員であることも事実。そうすると北朝鮮と国交が樹立したら最初に留学生を受け入れるのは再び創価学会になるのかもしれない。
著者は、創価学会をいまを生きる宗教としている。
どういう意味だろうと考えながら読み進めた。
私の理解が正しければ、池田大作名誉会長の存在そのものが創価学会であり、いまを生きる源になっていると。
それって個人崇拝と違うのかと学会員へ聞くと当然ながら否定する。だが、私にはその違いがよく分からない。個人依存する部分が大きいということであれば、もし亡くなったら創価学会自体が大きく変わるのであろうか。
読んでいてふっと、大川隆法氏が、1000年以上前に誕生した既存の宗教(大まかに仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、ヒンズー教など)はすべて死んだ宗教だと述べている発言を思い出した。
話を戻し、創価学会が平和主義であることは認めるが、アメリカ、フランス、ドイツ、ベルギー、チリ、オーストラリアではカルト認定されて活動が禁止されているのも事実。これはどういうことなのか。
入会すれば分かるとある知人に言われたが、学会員になろうとは思わない。私は神社が好きだし。
読書時間:約1時間
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佐藤氏は創価学会の会員でもなく、かといって批判しているわけでもない。中立な立場で語っているようだ。公明党の連立与党での在り方にも理解を示している。
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学会のことがよくわかる
創設から現在までの歴史
社会的な影響や宗教との関連などわかりやすく書いてある
池田大作の影響力は大きいようだ
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公明党及び創価学会の反戦平和主義が、集団的自衛権を骨抜きにしたと主張。現代日本で、大きな影響力のある創価の内在的論理を、歴史、宗教観、主要人物の思想・行動から紐解いていく(人間革命の解説本的な側面も)。集団的自衛権、政教分離、宗教(日蓮、キリスト)の勉強もできて良い。もちろん、公明党・創価という言葉を聞いただけで、思考停止に陥る方にもお勧め。私は信者ではないが、日本人の一人として知っておいて損はないと思いますね。
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元外交官の佐藤優による、創価学会と公明党の平和主義について。
彼自身はクリスチャンであるものの、公明党の平和主義については比較的肯定的に捉えてるのが印象的だった。