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近くて遠い国、ロシアの古代から現代までをコンパクトにまとめた永久保存版。なぜ、革命がおきたのか? いつ、専制は始まったのか? 隣国の真実の歴史。緊迫するウクライナ情勢も解説。
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著者の主張が前面に出ている珍しい書き方の歴史書と思ったが、図表が豊富で本文とピッタリ合っていて各場面をイメージしやすく、読みやすかったし理解しやすかった。特に、農業生産についての疑問が解消できたのは良かった。
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図書館で。
ロシアの歴史が初心者でもわかりやすい本無いかな~と借りてみました。この薄さでなんと2014年のクリミア事件まで反映させてる!すごい!ただその分駆け足なので手元に置いて調べなおさないと頭に入ってないなあと思いました。買おうかな…
もう一つ言わせてもらうと最後に索引があるとありがたかったですね~ そして日本との関係ではなく世界歴史との年表があると良かったのにな。
スターリンの事、何も知らないな、と借りてきた本でしたが結構最近まで…と言ってももう半世紀以上前ですが…までご存命だったとは。それほど昔の話じゃなかったんだな、という事にびっくりします。今もトルコと緊張関係が続きますが戦争に発展しないと良いなあ…。
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画家V・ヴァスネツォフ(1848-1926)の絵が印象に残った。
「イーゴリ公遠征物語」(1185遊牧民族ホロヴェツと戦い敗れる)1880 トレチャコフ美術館蔵
メモ
<ロシアという国>
歴史には正しい冷静な判断が必要。
1 広大なロシア
領土:1707万K㎡(世界第1位) アメリカ・カナダ、中国の約1.7倍 日本の45倍
人口:1億200万人 多民族国家
位置:ほとんどが札幌のある北緯43度以北
資源:石油 天然ガス 森林 縦横に走る河川が交通路として利用されてきて、南北東西の移動と植民活動は国土の急速な拡大を可能にした一要因。
2 歴史の特徴
・時代により異なるロシア
・遅れて出発したという意識~これが今日にいたるまでロシア人の心に重くのしかかる一種のコンプレックスになっている。
:スラブ人の歴史への登場は紀元5,6世紀。そのころ南ではビザンツ帝国(東ローマ帝国)、西では西ローマ帝国の遺産を継承しながら各地で国家形成を始めていた。
・ロシア人はやっと9世紀になって建国を始めた
・鷹揚なキリスト教:ギリシャ正教を受け入れ、キリスト教国家になった点が重要。これによりヨーロッパ文化圏に属することになった。
・専制と民主的伝統:ロシアは都市を中心に発達した国。軍事指導者である公は居住区を区切る防御壁(最初は木造)を築き支配拠点とした。この木柵で囲まれたところを「ゴロド」=都市と表現してきた。物事は公はじめ住民が集まる民会で決められた。モスクワ大公国によって統一されてゆく14,5世紀までは保たれていた。
○最高権力者の力が強大な理由:モスクワ大公国(大公)、ロシア帝国(皇帝)、ソ連(書記長)、現ロシア(大統領)
1 つねに外敵に囲まれ、侵入の脅威にさらされていた。・・ポーランドやウクライナもそうだが?・・
2 また国内諸勢力(正教会の聖職者、都市民、力をつけた農民、コサック、近代労働者)の側が、君主権や政治的強者を効果的に制約できなかった。
・革命と上からの改革:改革が上からだった
西ヨーロッパなどのように経済活動の中心である都市が発達し市民(ブルジョア)階級が発達していたところでは、改革は国の主導というより、「下から」自然に出てくるほうが多かった。
しかしロシアでは、後発国一般の特徴でもあるが、改革は「上から」、為政者自身、支配階級の主導で行われることが多かった。
・多民族の存在と開かれたおおらかな気質
多民族の構成では国家経営は容易ではない。「諸民族の牢獄」
おおらか・・17世紀のモスクワ国家の貴族層(915家)の出自:ロシア出身210(23%)、外国出身608 うち西ヨーロッパ出身229(25%)、ポーランド・リアオアニア出身223(24%)、タタールその他東方156(17%)、不明97(11%)
3 ロシアとヨーロッパ
・「ユーラシア国家」であるが関心はヨーロッパに向けられている。
「ユーラシア国家」~地理的なものだ
・まずは「ヨーロッパの東」で産声~地理的には最初からユーラシア的だった。
��� ・しかしキリスト教を受け入れ、ヨーロッパ文化圏に参入
・モンゴル(タタール)の侵入を受け注意は「東」に向けられるが「タタールのくびき」を振り払った後は正教王国として確固たる地歩。
・16C後半、ヴォルガ川中流域のイスラム国家カザン・カン国を征服するやわずか100年足らずでウラルを越えオホーツク海に及ぶ。
・これはロシアが半アジア化したのではなく、ユーラシアに君臨したのであって、正教帝国を維持した。
4 日本とロシア
1804 レザノフが長崎に来て始まる。
日本とロシアは多くの点でまったく異なっているが、近代以降、主としてヨーロッパやアメリカとの関係で自己を位置づけ、歴史を歩んできたという共通性がある。
<2 キエフ・ロシア(キエフ大公国)>
ロシアからは、キエフ公国の建国で始まる
ウクライナからは、キエフがあくまでもウクライナ史の始まりであって、ロシア史はそれよりずっと遅く北東ロシア地方で始められた。
しかしこれは単に首都が移転しただけと考えたほうがよい。ロシア文化はキエフの伝統を受け継いでおり、文化的精神的にはロシア史はキエフから始めるのが適切。
「過ぎし年月の物語」(ロシア原初年代記)
・862年リューリクが、海の向こうのヴァリヤーギのルーシから3兄弟とともにやってきた。北部ノブゴロドを中心に北ロシアを支配。
リューリクの死後一族がキエフ公国を建てた。
キエフ大公国 980-1054の治世が最盛
12世紀 10を超える分領国制へ モスクワのあるウラジミール・スーズダリ公国が栄える
1147年 モスクワの名が年代記に初めて現われる
<3 タタールのくびき(モンゴル支配下)>
1237 チンギス・カンの孫バトゥがロシアを襲う
<4 モスクワ大公国~ユーラシア帝国への道>
1473 ノブゴロド公国はモスクワに降伏。以後周辺公国もモスクワに併合される。
イヴァン3世(1462-1505在位)の時最盛。
1480 貢納を迫るキプチャク・カン国が侵入したが破る。
イヴァン4世・雷帝(1533-1584)ツァーリとして戴冠。(リューリク朝)
1598 リューリク朝断絶
1613 ロマノフ朝の成立 ミハイル帝(1613-45)
<5 近代ロシア帝国① 貴族と農奴のロシア>
ロマノフ朝
イヴァン5世(1682-96)弟ピョートルと併置
ピョートル大帝(1682-1725)
1694 ピョートル大帝の統治始まる 97年に300人からの「大使節団」をヨーロッパへ派遣し自らも偽名で参加し、ロシアの西欧化=近代化を図る。
ピョートル3世(1761-1762)妻エカテリーナ2世
エカテリーナ2世(1762-96)(ドイツ人) 対外進出が本格化。ポーランドの分割。
臣下ポチョムキン(1739-1791)1762年ピョートル3世を殺害してエカテリーナ2世を即位させる陰謀に加わったことから、エカテリーナ2世に認められた。70年からエカテリーナ2世に接近して絶対主義の強化に尽力、プガチョフの乱を鎮圧したり、ザポロージエのコサックの本拠を解体してウクライナにロシアの農奴制を導入した。83年には���リミアのロシアへの併合を実現した。
アレクサンドル1世(1801-25)
ニコライ1世(1825-1855)
1853 クリミア戦争
<6 近代ロシア帝国② 苦悩するロシア >
アレクサンドル2世(1855-81)
アレクサンドル3世(1881-94)
ニコライ2世(1894-1917)
著者:栗生沢猛夫 1944生 一橋大学経済学部卒業 北海道大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学 小樽商科大、北海道大学大学院文学研究科教授 現在北大名誉教授 専門はロシア中近世史
2010.5.30初版 2014.10.30増補新版 図書館
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近頃のロシアとウクライナの争いが気になるので手に取った。その件は、ロマノフ王朝以降の歴史を見ていくのかなと思っていたが、読み始めると、もっと昔のモンゴルに占領されていたことや、ギリシャ正教を受け入れたことなどがこれらの国のミステリアスな部分を作り出していることに惹かれた。10世紀に4つの国から宗教の売り込みがあった。つまり、カトリック、ギリシャ正教、イスラム、ユダヤ教のなかから選んだとのこと。作り話だろうが、そういう環境のなかで国ができたんだなあと納得する。