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自由と自立について考えさせられます。とても面白かったです。
書籍のタイトルからして、自分とはまったく接点がなさそうでした。僕は東京の中学・高校の受験事情や学校自体ほとんど知りません。
どうやら中高一貫の私学で、東大への進学率も高い男子校。しかしながら、他の進学校の生徒とはすこし異なる質を持った生徒が多いようだということが読み始めて分かってきました。
進学校なのに部活を推奨、文化祭は多額な予算管理も含めて全て生徒たちが主導し、中身は盛大でもちろん一般開放。運動会では競い合う組ごとのリーダーがそれぞれのカラーに髪の毛を染めて統率をしている。クラスはとにかく汚くてゴミの山に埋もれてることも。はたから見ると学級崩壊ではないか?と疑われるほど。
何よりも生徒一人一人の「個」性が強い。そして彼らはつかみどころの無い雰囲気を醸し出すなかに、つねに緊張感を持って生きている。。。著者は麻布学園の教師、生徒、OBへの取材のなかで、他の進学校の生徒たちとの違いに気付き始める。
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「自由に生きよ」そのための「知識」ではなく、「考え方」を導く。素晴らしい理念とそれを今なお継続しようという心意気。いいなぁ^ ^
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「自由に生きよ」それが御三家進学校:麻布学園の普遍的価値観である。あなたは「自由」に生きられていますか!?自由を知っていますか??
自由に生きるなら、責任も持てる人間にならなければならない。それを麻布学園では経験できて、学べる。子供の裁量に任せた教育。
しかし、子供が「社会化」してきている今、それも通用しなくなってきているという。新しい「自由」を学ぶための教育方法の研究が必要だな。
やっぱ大人が勇気を持つしかない。勇気をもって子供の好き勝手させてあげよう。そして、間違えたら論理的に間違いを叱ってあげよう。
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麻布高校の方針や教師/生徒のナマの声が詰まった良書。
詰め込み型の知識教育ではなく、自分で考えさせる土壌を培おうとする教育方針は素晴らしい。
だが、学歴社会である以上、どの大学に行くかは非常に大きなウエイトを占めているので、最終的に大学受験がある高校は難しいと思った。慶応志木とも似ているとこが多くあると思ったが、志木高と大きく違うのは、よくも悪くも大学受験が無いこと。
でも普通の高校とは一線を画した教育方針は興味深い。
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http://shinsho.shueisha.co.jp/kikan/0758-e/index.html ,
http://www.azabu-jh.ed.jp/
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めちゃくちゃおもしろかった!ためになった。
読了したけど新品を買ってトイレに置いておきたい。
全然勉強しなかった生徒が、部活を引退したらスイッチが入って勉強して、浪人する率は高いけどしっかり進路を決めるという話があった(メモ参照)。そしてその原動力は小学校3年生からの塾通いにあるという。小学校生活を塾通いまみれにしてしまうのは可哀想と思っていたけど、一生モノの集中力がそこでつくのなら呑気なことも言ってられないなぁ。大変でもやらせる価値があるのかないのかは、その時々の息子をしっかり見て決めないとね。
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山ノ神が麻布に惚れちまったよ…◆◆こういう自由さのある学校がいいのだよな。◆倅に合うかはわからんな。
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中学入試のお勉強。名門私立ってどんなところなんだろう。。。公立中学、都立高校出身の私が知らない世界。
それにしても、麻布の校長はいいこと言いますなー。
・麻布の入試は三つの力を求めている
ひとつ目は、しっかりと勉強してきているか。…ふたつ目は多角的な視点をもって物事をとらえることができるか。…三つ目は論理力ですね。
・好奇心を育てる
子どもって先天的にみんな好奇心をもっていると思うんですよ。それが家庭環境のなかで、『これやりなさい、あれやりなさい』と言われている子どもは、自分の疑問をあと回しにする癖がつく。でも、逆に家庭でいろんなことをお父さんと一緒に調べている子どももいる。そういうことだと思うですよね。」
・国語科の目標は教養を身につけること
教養とは物知りという意味ではなく、今自分の身の回りで起きていることに対して、想像力を働かせながら、今の自分には何ができるのかとか、自分はそれをどうたらえるべきなのかとか、知の体系を洞察力と絡めて、人間存在を主体的に掘り下げる力という意味です。
・前提とされているものを疑うところから始めてみる
同僚で帰国子女の女性がいるんですが、彼女から『日本人で優秀とされる人はある制約条件下で最適な道はこれ、という議論が得意なのに、嶋田君はまずその制約条件とか前提をひっくり返そうとするよね』ってい言われて、ほうと思いました。
・氷上校長退任を前に終業式での最後の挨拶
それは具体的に言えば、人はなぜ大学に行こうとするのか。あるいは将来、何を職業として生きようとするのか。あるいはその社会は全ての人が幸せに生きる仕組みとしてこれでいいのか。よくなければ、そのために君自身は何ができるのか。などの問いを生徒諸君に発し、問いを生徒諸君と共有することでした。問いをもたなければ、答えを見つけようとすることもありません。そのようなことを普通世間の人が、「当たり前だ、訊ねるまでもないことだ」と考えていることに疑問を持つこと、その疑問につきあうこと、それが私の教師としての仕事だと腹をくくりました。
諸君、どうかとうとうと流れていて、抗する術がないような流れの中にあっても、しかし諸君自身の内なる小部屋を大切にしてください。諸君自身の内なる小部屋にあって、静かに目をつむる習慣を身につけてください。じっと目をつむり、そしてさらに目をつむる時間に耐えていると、必ずや諸君がとりつく杭がみえてきます。その杭がたとえ遠くにあっても、とりつくために流れに逆らって泳ぎきろうとする勇気が湧いてきます。私は今日限り校長の職を去ることになります。いつの日かまたお会いして、諸君がとりつくことができたそれぞれの杭を見せてもらいたいと思っています。
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社会にでてからの輝きかたが“開成”と“麻布”とでは違うことを感じることが多くなってきたのでその理由をちょっと知ってみたくなった。
“なるほど”という側面を“麻布”の側からは覗けた気がする。
が、この日本の中で“麻布”を維持していくのは難しいのも感じた。ましてや未来に向けて発展させていくのは。
これは“麻布”といったいった具体的な機関に限ったことではないのだろう。
日本が問われているように思える。
もしかしたら、“麻布”に代わる異彩を放つ学校が出現していくかもしれない。いや、期待したい。
ということは、日本の教育にということになるのか?