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女に生まれて、女に生きるとは。
とてつもないエネルギーを感じたエッセイ。悩み相談が下敷きになっているようだが、あまりに赤裸々にオープンに女として生きることをセックスとジェンダーの両方の視点から書いてあるので戸惑うほど。もちろん生物学的性からも社会的性からも悩みは尽きず、どちらの視点での考えも書かれるべきなのだが、普段どれだけ生物学的性を隠されて・隠して読み書きしているのかを指摘された。
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人生経験豊富な、女として果敢に生きるための師匠を得たような本。どうしても、こういう話題は母親と話しても対立しちゃうのよね。読み易い。母や恋人との関係、女として生きることに悩む、若い女性へ送りたい本。手に取った後気づいたが、NHKの「理想的本箱」にて紹介された本だった。
結婚相手や両親など近しい関係ほど、「あたし」と「あなた」を分けることが大事だと感じた。
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最後の母親の呪いを解いたことばが胸に刺さりました。
家族だから許せない事があって、
家族だから許せる事があるのだと思います。
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とても面白い本である。人生相談に回答する形式で書かれている。また本人の経歴についても懇切丁寧に書いてある。うつ、拒食症、結婚、出産、離婚、親の介護、娘との葛藤など様々な経験を書いているので、幅広く参考になる。卒論としては使えないが、読んで面白い。
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伊藤比呂美さんが、枝元なほみさんと親友だったとはー。お二人の共著も読みたくなりました。子育てだけではなく、老いた親との付き合いかたなどに触れられていたのも良かった。
巻末の年表も楽しい。影響を受けた先生の話など面白く読めました。
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常識、当たり前、正解なんて存在しないんだなと思えた。場所や時代でそんなものは変わっていくのだから、とらわれる必要もないんだな。
ただ、著者があまりにも他人に振り回されず自分の意識に忠実すぎて、著者の3人の娘があまりに気の毒だと思ってしまった。
この人が親で、しかも親のことや自分のことが本になり世に晒され、死ぬまで残り、時には胎児はうんこなどと表現され…思春期から高い障害物を与えられて、壮絶だっただろうなあ。
著者の生き方考え方に対して師と仰ごうというような気にはなれないが、私が肯定しようとしまいとこの人はこの人である。
世の中には色んな人がいるんだな。色んな考え方をそれぞれ持っているんだな。とあらためて受け止めた。
あなたはあなた、わたしはわたし。
これがすべてなのかも。
「引きこもった娘のベッドに毎晩行ってただただ話を聴いた」という話はなるほど〜と思った。
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バッサリと日本刀で青竹を切るような、そんなアドバイスが素晴らしい。
悩める人が、この本に出会えると良いな
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「女の一生」伊藤比呂美著、岩波新書、2014.09.26
230p ¥778 C0295 (2022.12.03読了)(2022.12.02借入)
小学生から老人まで女性のあらゆる悩みにこたえる本です。著者の壮絶なる人生経験に基づいて答えていますので、かなり参考になる本と思います。男性が読んでも、女性がどのようなことに悩み苦しんでいるのか、わかるので……。手助けに役立つと。
【目次】
まえがき
おさない女
自分に向き合う若い女
たたかう女① 性と女
たたかう女② 社会と女
たたかう女③ 生殖と女
たたかう女④ 家族と女
自分に向き合う若くない女
老いる女
或女の一生
あとがき
●妊婦が休むのはあたりまえ(110頁)
どうどうと妊娠できる社会を作る。子どもをそだてながら働ける社会を作る。子どもを産むにはだれかが妊娠しなきゃならない。たまたまそれは女で、女も社会で働かなくちゃならない。とすると、それが当然、それが人類の夢だと、わたしは思うんです。
●社会は、子どものうるささに慣れよ(111頁)
未来は、わたしたちが子どものうるささに慣れていくことで、子連れの女は、迷惑がられているのを承知で、社会に出て行きつづけることで、作られていくはずと思います。
●母は謝りません(119頁)
攻撃されると、人はみな、ぐっとからだを堅くして、自分を守り、否定、反発、自己弁護、心は何も開きません
●誤植(133頁、7行目)
しなくない方はしなくて済む⇒いたくない方はしなくて済む
●年を取る(182頁)
年を取るというのはそういうもの、やる気がなくなり、沈み込んで、衰えてゆくのかもしれません。もしかしたら、一見普通に見えてただけで、父の脳はちぢんでいって、何もできなくなってたのかもしれないんです。
☆関連図書(既読)
「今日 Today」伊藤比呂美訳・下田昌克絵、福音館書店、2013.02.15
「先生!どうやって死んだらいいですか?」山折哲雄・伊藤比呂美著、文藝春秋、2014.02.15
「犬心」伊藤比呂美著、文春文庫、2016.02.10
「女の一生(上)」山本有三著、新潮文庫、1951.03.10
「女の一生(下)」山本有三著、新潮文庫、1951.03.26
「女の一生」モーパッサン著・広津和郎訳、角川文庫、1953.07.05
(アマゾンより)
「月経とは?」「摂食障害について教えてください」「セックスが苦痛です」「むなしくてたまりません」「子どもがひきこもっています」「別れたい」「恋をしました」「一人で死ぬのが怖い」……。年を経ても尽きない女の悩み。いくつもの修羅を引き受け、ひたすら生き抜いてきた著者が、親身に本音で語りかける人生の極意とは。
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Eテレの「理想的本箱」で、「将来が見えない時に読む本」で紹介されていた。「あたしはあたし」「あなたはあなた」
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一貫して「わたしはわたし」というスタンスで悩み相談に答えている。恋愛や母娘の関係がうまくいかないのは、その線引きが揺らぐからなのだろう。さまざまな柵の中で女性の一生はかくも生きづらいものなのか。
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そうだよね、ねるほどね、とうなづきながら読み進めた一冊。女性ということを意識して避けてしまうような話題も、言葉を選ばず率直に語ってくれている点が良い。誰にも相談できず人生に悶々としてしまった時に読むと、スカッとすること間違いなし。
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792
伊藤比呂美
1955年東京都生まれ。詩人。1978年現代詩手帖賞を受賞し、新しい詩の書き手として注目される。第一詩集『草木の空』(アトリエ出版企画)以後、『青梅』、詩集を発表、『河原荒草』(思潮社)で2006年高見順賞、『とげ抜き―新巣鴨地蔵縁起』(講談社)で2007年萩原朔太郎賞、2008年紫式部文学賞を受賞する。1997年に渡米後、カリフォルニア州と熊本を拠点として活躍
この本めちゃくちゃ面白かった。伊藤比呂美みたいなキャラの女性、ブスでも男に激モテしてるイメージなんだけどわかるかなこの感想...
片思い
「片思いばっかり。男子のことばかり考えている自分がいや」〇12歳 いずれ、もう少し大きくなったときに、男子と二人、親密で楽しい、ときには苦悩 だらけの、ときにはこの上なく幸せな、関係を結ぶことになるでしょう。でも、 まだそういう関係になだれ込む準備ができていないから、片思いで、そのときの練習 をしているんです。アイドルとか俳優とか漫画の主人公とか、片思い以前のものにも 思いっきりハマっておくのもタメになります。(つづく)
子が、どんなセクシュアリティをアイデンティティとしても、うむ、わかりにくい ので言い直します。自分が性的にこういうのが好きだということ、それがたとえ、世 問一般ではなじみのないかたちのセックスや性的な興味であっても、「それがあたし だ」と子どもが言い出したら、親は「あなたはあなただ」と、それを受け入れる。 それからもちろん、コンドーム。防ぎたいのは、性感染症と、したくもないときに してしまう妊娠です。 セックスは、しないではいられません。十代の女の子は(実は二十代も三十代でさえ も、性欲というより、自分を確認するために、親から逃げるために、生きのびるため に、やむにやまれず、セックスという手段をとることがある。それはもう、多々あ る。親の日には、他に手段はあるとわかっていても、子どもにはわからないから、む やみにつき進む。
子どもは、この時期、むやみに反抗的です。反抗しているのはたしかにその子です が、何かにあやつられているようでもある。荒ぶる魂に取り憑かれたようである。数 か月、あるいは数年間経つと、すうっとその荒ぶる憑き物が落ちていく。そしてそこ に、前にいた純真な子ではない、一段階おとなに近づいた子が、すっくと立っている のであります。 わたしも最初のときこそ驚いたのですが、二人日、三人日となりますと、この年頃 のひとつの型のように見えてくるようになった⋯⋯というのは、過ぎたから言えるこ とです。実際は途方に暮れてました。こっちを攻撃してきますから、攻撃されれば、 身構え(防御)言い返す(反撃のは、生き物として当然です。
人は群れます。群れてない人も、群れてないと自覚するってことは、群れの動物だ からです。中学生の頃の群れとは、小学生の頃のような、何も疑わない群れではあり ません。なんだかすべてが疑心暗鬼、すべてが不安定、群れるそばから、違う、こん なふうに群れるのはわたしの本意じゃないと思っているような。群れの中には、人を 傷つける残酷さと無神経さがはびこっていきます。一人一人はどんどん繊細になって いく時期なのに不思議な���とです。
同級生はだれもが下心なく楽しそうに群れている と思ってましたが、ほんとはみんな、わたしと同じような違和感を持ってたのだと、 おとなの女になってから知りました。
遠距離恋愛
恋が終わるのは関係そのものの問題であり、離れていること は、その遠因にはなっても、直接の原因にはならないものです。 その上で遠距離恋愛のひけつを伝授しますと、まずマメであるこ と。メール、電話、各種の5NSをフルに使ってマメに連絡する こと。マメに出かけて行ってマメに会うこと。そういうことを おっくうがる人や出費をもったいながる人にはできないから、あ きらめたほうがいい。 しかしそもそも、歩く速度が人によって違うように、マメの概 念は人によって違うので、マメな方がつねに待ち、メールや電話 やらNSという手段がマメな方を追いつめて、依存症みたいな苦 しみに追い落とす。 それを避けるためには、信じることです。相手を信じる。相手 の心を信じる。相手の性欲がこっちが思うほどたけだけしくない ことを信じる(離れ離れでも我慢できる、と)。自分たちの将来も信 じる。ただ、信じることです。宗教みたいなものです。
自分が誰か、何をしたいのか、セクシュアリティも、アイデン ティティも、自分の中でも、理解するのに時間がかかります。計 算やミステリーなら結論が出ないといけませんけど、なにしろ人 生ですから、結論は、いつ出ても、ついに出なくても、0Kで 理想的な世界とは、カミングアウトしようがするまいが、誰も なんとも思わない世界。異性愛者が、あたしセックスしたい相手 は男なのよなんて、ことさら言わないで済んでるように、レズビ アンやトランスジェンダーの女も、ただありのままに暮らせる世 界であります。
立つことをおそれない、埋没しない、自分らしいおしゃれのでき る女になる。そのとき、生活が安定しているともっといい。どん な生き方を選んだとしても、どんな家族のかたち、どんなセクシュアリティ、どんな親子関係、どんな仕事を選んだとしても、 自分らしく生きられるようになっているといい。⋯⋯ということ を若い女たちが、考えてくれているといい。
一切やめる。もちろん、自殺というのが方法の一つです。うつ になったら、誰もが一度は考えることでしょう。でもそれはあま りに周囲を傷つけます。わたしにはとてもできませんでした。出 家について、瀬戸内寂聴先生にうかがったとき、出家というの が、昔は自殺の一手段だったのかもしれないと考えました。それ から、カリフォルニアに移住した、日本語を断ち切ってみたとい うのが、わたしの場合の自殺の方法だったのかもしれないなと考 えました。
あとは、動く。からだを動かす。 わたしもまた、旅して、旅して、旅して、旅してまわりまし た。日本の古典文芸によく出てくる「道行」というもの。それか ら「漂泊」というもの。あれは、行き詰まり、にっちもさっちも 行かなくなった人たちが、なんとか打開しようと、からだだけで も動かしていったその行為なんじゃないかと思いながら、わたし は必死で旅をつづけました。
実は、わたしは根っからの汚いもの好きで、ウンコだゲロだと喜ぶ子どもがそのままおとなの女になったようなものです。しかしながら、女の性や生理を考えた上で、胎児について考えつめら、それはうんこと実感したのもたしかです。その後、第二子第三子を産み、育て、他にもいろいろと経験をむだに積み重ね、の介護も犬の介護も経験し、シモの始末もやった末に、わたしはハッキリと見きわめました。生きるということは、排泄である、 と。
しかしながら、母とはどうもうまくいきませんでした。それがこの本全体の原動力 になってるフシもあります。母からは、いろんな呪いをかけられていたような気がす るんです。母がわたしをすごく大切に思っていたということには、疑いを持ちませ ん。英語で言えば、ラブであります。でも、呪いもいっぱいかけられた。最後は老い 衰えて、呪いをかけたことすら忘れてるふうでしたが、わたしにとっては、呪いを振 り切って生きるというのが人生の命題だった時期もあるわけで、忘れるということは なかったといってもいいのです。
27歳
戒厳令下のワルシャワにはウィーンからしか入国できず、コペンハーゲンで乗り換 えてウィーン、Nと再会してワルシャワへ。はじめての海外旅行、はじめての飛行 機、はじめての乗り換え、はじめての外国、はじめての外国語、はじめての社会主 義。Nと二人三脚で、まあなんとか。ワルシャワに住んだのも、日本人学校で働い たこともいい経験だった。休み時間に音楽室でクラシック音楽を聴きまくったのも いい経験だった。ポーランド語はNに頼るばかりで身につかなかった。