投稿元:
レビューを見る
よくわからない、きいろは何者だ?何物でもあるのかな。
とにかく、眩しい。
とても眩しい。
読み聞かせする本としては…。
私にはよくわかりません。
子供たちならわかってくれるかもしれません。
でもやっぱり、よくわかりません。
投稿元:
レビューを見る
黄色に隠れたいろんな生き物。
すこし幻想的で独自ワールドな絵本です。
絵のタッチの力強さが印象的です。
読み聞かせしました。
まずまずの食い付きでした。
投稿元:
レビューを見る
こんなに「風」を感じる絵本って見たことないです。
色にけっとばされる、
そんな表現が浮かんできます。
すごい!!!
投稿元:
レビューを見る
すごい鮮やかな黄色のシャワー!
その中に溢れる動物の姿を子ども達が見つけて大喜びでした。
単純なリズムですが、子どもの心を掴む魅力ある一冊です。
投稿元:
レビューを見る
ちいさいきいろがてんとう虫だったところがおもしろかった
おもしろかった?:★☆
すきだった?:★
またよみたい?:★
だれかにおしえたい?:★
投稿元:
レビューを見る
黄色が襲ってくる!
この本の中では
猫が“黄色”と闘う姿が描かれてる。
その“黄色”は自分の中にある
どうしようも出来ない感情なんじゃないかと思った。
みんなそれと闘いながら生きているんじゃないかと。
そういう
自分じゃどうしようも出来ないような感情。
そこに共感したし、
ミロコマチコさんの絵が良くて、
大好きな一冊。
投稿元:
レビューを見る
「きいろ」の美しさに魅了されました。エネルギーに満ち溢れて、ともするとコントロール出来ない危うさを私は感じました。まるで思春期の頃の内から溢れてくる力。
暴走するエネルギーを落ち着かせようとするオレの青。
そしてホッとするラスト。ざわついた心が安心感に包み込まれる。
手元に置いておきたい絵本がまた増えた(^^)
投稿元:
レビューを見る
新しい感覚の絵本でした。
真っ黒な木の枝の上に、青いネコが腰かけているシーンから始まるこの絵本。枝の先に、小さく光る、丸い“きいろ”をネコが見つけ、それを追いかけていくことで物語が展開していきます。
青ねこのオレ様と黄色が格闘して最後は仲良しになるストーリー展開に、新しい友人や仲間にとまどうけれどいつかは受け入れられるようになるみたいな、他者との共存を表わしているーそんな感想を持ちましたが、インタビュー記事によると、黄色の正体は「春の訪れ」とのこと。
初めて春を体験するねこさんにとって、春と云う季節も不思議で異質なものだろう。再びページを繰り直すと、青ねこが首を90度に傾けて「きいろはとつぜんやってきた」と添えられている。
そういえば青と黄色は補色同士の色の組み合わせ! クリスマスの赤と緑も同じで、互いの色を引き立て合う相乗効果があると美術の時間に習った記憶があります。
子供たちの反応を知りたいです。
投稿元:
レビューを見る
2017.8.19
きいろ!エネルギーがすごい。ネコのオレと黄色のぶつかり合い。原画展で少し離れて原画を見た時に物語が見えた。
投稿元:
レビューを見る
ひたすら「うわあああ」「うわあああ」と心の声で感嘆しながら読んだ。
言葉に押し込められるのを嫌がるようなミロコマチコさんの絵のパワー!(単に私の表現力、語彙力がないからですが)
とりあえず、見て、読んで、と言いたくなってしまう。
読み終わると私の中にも「きいろ」があふれてくるような。
それはたぶん今も窓から見える「きいろ」と何ら変わりないのだ。
あー、なんか元気出てきた。
2021年2月22日。
にゃんにゃんにゃんの猫の日。
日差しがまぶしく、ときおり強い風がびゅうと吹く。
そんな今日の日にぴったりの絵本だった。
感謝。
追記
「きいろ」は、生命そのもの、今生きている、という輝きの色、と解釈しました。窓から見えた太陽の光や生い茂る植物たちも小鳥たちの綺麗な声も、近くの道路で自動車がびゅんびゅん走る音も、自分と同じ「きいろ」、生きているということなんだな、と感動した、ということです。
言葉足らずだなあ、と反省し追記しました。
さらに追記
他のレビュアーさんのレビューを拝読して。
「きいろ」は春の訪れ、とのこと。ん?オレが一人称の青い猫に春の訪れ?青い猫に春。アオハル、、、青春!?
もしかしたら、男の子の春の訪れ、発情期ってこと?なんて思ったりしました。
投稿元:
レビューを見る
なんだかわかんないのに繰り返し読んじゃって、でもわかんないけどすごい好きみたいな不思議な本。
ただ紙に印刷された絵なんかじゃなくて、すごくすごくエネルギーがページ数の外まで溢れだしちゃってとどまらないみたいな?
新しい季節がきた時のどうしようもないわくわくともどかしさと焦りと、それを突き抜けた先のなんだかしっくりくるちょっと得意な気持ちを思い出しました。
投稿元:
レビューを見る
ミロコマチコさんの猫の絵、どこかで見たことあるなと思ったら、石黒由紀子さんのエッセイ、「猫は、うれしかったことしか覚えていない」だった。
そう、あの時は、ここまでぶっ飛んだ印象は抱いていなかったが・・
ぶっ飛んだという言葉が適切なのかどうか、分からないが、待ち切れないかのように、表紙の見返しから、既に物語は始まっているようで、青い猫が佇む、裸の木の枝の先に、突然『きいろ』がやってきた。
その『きいろ』は、「てんとう虫」のように見えるが、「てんとう虫」ではなくて、『きいろがやってきた』のである。まず、これが凄いと思い、色がやってきたという表現には、どこか抽象的な響きもあるが、それ以上に、とてつもない無限の拡がりのようなものを感じさせられて、美しさというよりは、空恐ろしい感覚でもあった。
そして、物語は、その『きいろ』を絶対に捕まえてやると、猫が本能に則った行動を起こすが、如何せん、相手が悪かった。猫がどんなに意地になって追いかけても、悉く邪魔されたり、騒ぎ立てられたり、すごいはやさで通り過ぎられたりと、圧倒されまくりで、『すごいはやさで』の文字の色も一緒に滲むくらいの、その生まれたての自然のような、活き活きと元気な無邪気さを持った、『きいろ』というエネルギーは凄まじいばかりに、それこそ猫など眼中にないかのように、本能剥き出しの喜びの叫びと、狂気の踊りを展開する。
しかし、よくよく考えてみると、はへはへと疲れながらも、それに対抗し続ける猫も凄いなと思ったのも束の間、まだ『きいろ』の饗宴は終わっておらず、猫が寝ている間に更に凄いことになり、まるで、これまでの本能の剥き出しと思われたものが、単なるウォーミングアップであるかのような、その真の本能の呼び声に応じる、様々な『きいろ』たちの誕生には、生まれたての赤ん坊の泣き声の、意味こそ分からないが、それでも生まれてきたぞと聞こえるような、その気高く輝いた命の存在を、高らかと宣言しているように感じさせられて、その猫の存在が思わず、絵本の枠外に吹っ飛びそうな、躍動的で激しくもどこか美しい、その生命の行進から目を離すことが出来ずに、ああ、やはり美しさと怖さは共存しているのだなといった事を実感させられて、世の中の理を知ったかのような気分であった。
黄色から、イメージされることを色々調べてみたら、有彩色の中で一番明るい色、光や太陽のイメージ、インドや中国では昔から高貴な色、ポジティブな色として捉えられていたこと、他にも、愉快、元気、軽快、希望、無邪気、等々・・・様々です。
この圧倒的な絵からは、その『きいろ』から連想される、様々な生命の誕生を象徴しているようにも感じられましたし、生命が誕生するという、その大いなる意義の素晴らしさの度合いを表現しているようにも感じられましたが、私としては、最後の結末がとても心に残っており、それは、今この世に生きているものたちが、これから生まれてくるものたちに対して、本能のままに向き合う事で、その慈愛に満ちた恩恵を得られるということから、そこに欲などの感情は一切存在しない、そうした自然や生命たちの神々しさと、神々しいからこそ、それらと共存出来ることの素晴らしさの、かけがえのなさを表現したかったのではないかと思いました。
そして、その中には人間も含まれていると信じたい。
最後に、裏見返しの、青の絵の意味が妙に気になり、これだけ『きいろ』の凄さを伝えながらも、ここでの『あお』とは、いったい?
私は、猫の見ている夢の中ではないかと、勝手に想像している。