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泣かされますね。
そして考えさせられましたし、色んな人を思い出しました。
でも何だかパッとしません。
だから…結局なんなの?って気分。
途中の写真はいらないな。
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国際化した日本人の死を支えている人達がいることに勉強になった。
また、彼等の有り余る職業倫理でお別れの準備を施されたご遺体を通じて、遺族の心情も丁寧に描写されており、考えさせられる。
価値のあるノンフィクションとは、読んだ人に何か気づきを与えてくれると感じさせる名著。
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☆4(付箋18枚/P279→割合6.45%)
ノンフィクションは、知らない世界、新しい方法、思わなかった考えに出会える。Facebookでお薦め頂いて、こんな世界もあるのかと思ったが、それ以上に、こんな豊饒な知恵に巡り合えるとは想像していなかった。
取材をする中で不慮の死に巡り合った人びとと出会う。そして、それぞれの人がほんとうの苦しみは他の人に分かるものではないのだと気づいてきたことを知る。そして著者にも自分の人生の中でそれと向き合う時が来るのだ。すべてが巡って、読者としての私も思う。死と別れが対岸のものでないことを。
・木村利惠は過去、南米の同じ地域から戻ってきた二体の遺体を扱っている。一体目は会社設立の10年前、そしてもう一体は4年前だ。
遺体は貨物扱いで戻ってくるため重さを量ってから飛行機に乗せる。成人男性の体重であれば、60キロから80キロ前後。ところが二体ともそれよりはるかに軽い30キロ台だった。
利惠たちは柩を開けて遺体を一目見るなり、その異常な状態にすぐ気付いた。遺体の腹部は奇妙に凹んでいる。空気を抜いたビーチボールのようにぺっちゃんこだった。毎日のように遺体に接している彼らには腹部に臓器が入っていないことは一目瞭然だ。さらに通常なら解剖痕は胸から腹部にかけて縦に入っているのが普通だが、その遺体は縦の解剖痕のほかに真横にも切り開いた痕があるのだ。体の真ん中に縦横に入る十字の大きな縫い痕が、亡くなった人に何か尋常ではない事態が起きたことを告げていた。
関係者に事情を聞いてみると、いずれも日本国内の同じ病院の紹介で、臓器移植のために海外へ渡った人たちであることがわかった。しかし病院に問い合わせをするとものすごい剣幕で、「自分たちは病院を紹介しただけで、何の関係もない」と言う。
・日本は先進国だ。悪質業者はいないはずだと信じたい。だが、誰も語らないところには必ず歪みが生じるものだ。
猛暑のある日、こんなトラブルがあった。中国から来た団体旅行客のうち、ひとりの男性が新宿のホテルで突然嘔吐し、そのまま意識を失った。病院に搬送されたが、男性は死亡し、都内にある監察医務院で行政解剖された。
…日本語の流暢な中国系旅行会社の添乗員はこう述べる。
「病院に葬儀社との仲介業者がいたんです。盛んに話しかけてくるので僕はてっきり病院関係者だと思いました。彼が遺体を持ってっちゃったんですよ。見積書はパソコンで見せるけど、契約書はどこにもない。ヘンだなあと思ったんです。遺体はどこにあるかと聞けば新宿から離れたX市にある。なんでX市まで持っていくのか、と聞くと施設があるのはそこしかないというんです。なんか様子がヘンだ、オカシイと思いましたよね」
遺族が日本に到着すると、A葬儀社にいきなりこう請求されたという。
「前金で、現金で100万円。それを渡さなければ作業はできない」
…「あわてて政府機関に相談したら、エアハースという専門会社があるっていう。それで木村社長に連絡しました。そうしたら対応が全然違った。契約書はしっかりしているし、何より決定的だったのはA社は遺体搬送まで一週間かかると言ったけど��エアハースは次の日には出発できるっていうじゃないですか。ああ、これは絶対に業者を代えるべきだと思いました」
・日本は他国との陸続きの国境を持っていない。そのため国際霊柩送還が発達せず、エアハースが手がけるまでは専門的な知識を持つ業者がいなかった。だからいまだに海外搬送のための知識が一般的には乏しく、取り返しのつかないミスが繰り返されているのだと彼女は指摘するのである。
・「個人や遺族の気持ちは、誰にもわからないんだよ」
ある時から、その言葉は私だけに向けられたものではないということに気づくようになった。
…彼らには文学者や哲学者のように「死とは何か?」といった、解けるはずのない“ちえのわ”をもてあそんでいる暇はない。
社員たちは現場に出る時、火打ち石でカチカチと背中に「切り火」を受ける。そして一礼すると厳しい現場へ出ていくのである。
・葬儀にはフランス中から親族が集まってきてくれました。お義父さんとお義母さんも、ものすごく泣いて、おじやおばも泣きました。でも言うんですよ、『なんてかわいいの?』『本当に美人ね』って、そして私に『ありがとう』って。こんな遠くまで連れてきてくれてありがとうって。
あの日から10日が経っていました。なのに、ちっとも変わっていない。誰もが『この技術はすごい』って驚いていました。
亡くなった直後の顔のままだったら、私は誰にも会わせたくなかったと思いました。たぶんみんな目をそむけるでしょうし、それでは理沙がかわいそうだから。でもいつまでも見ていたいほどかわいかった。
エリックの祖母はもう80歳を過ぎていて、杖をついた小さなおばあさんなんですが、彼女が私をぎゅーっと抱きしめてこう言うんです。
『私ももうすぐあっちへ行くから。天国でリサを見つけてあやしてあげるよ。顔を覚えられてよかったよ』って。泣きました。すごく泣きました。
・「娘を亡くすまで、私は人の悲しみがわかっているつもりでいました。でも違うんです。私のような立場になってみないと私の気持ちは絶対にわかりません。でも私だって同じです。津波で家族を亡くした人の気持ちはわからない。
ただ、もし私が人より何かを知っているとすれば、私は誰にもわかってもらえない悲しみを抱えてしまった絶望を知っています。その悲しみからは誰も救ってくれないということも知っています。だから私はなるべくそばにいてあげて、ささやかなことでもできることを見つけるだけです」
・「私の尊敬する葬儀屋はね、『たとえ柩の中の手の形ひとつでも、ああ、お父ちゃんだってわかるような葬儀を挙げてやるのが本当の葬儀屋ってもんだろう』って、言うんだよ。『最高の葬儀を挙げるためならどんな骨惜しみもしない。魂を込めれば必ず通じる』ってね」
・しかし、利惠の言うことは確かに筋が通っていると慎太郎は思っていた。ある日、役所から死亡証明書を取ってきた慎太郎は、利惠に呼ばれこんなことを言われた。
「慎太郎。この書類はなんだ?」
いったいなんのミスをしたのだろう。怪訝に思っていると、利惠は死亡証明書の備考欄を指さした。そこには鉛筆で電話番号の走り書きがしてあったのである。それは慎太郎が書��こんだものだった。
「あっ」と思ったがもう遅かった。
「この書類はね、〇〇さんの人生最後の書類なんだ。もう、〇〇さんは二度とこの世で書類を作ることはないんだよ。そんな大切なものを汚すんじゃないよ!」
・複数の遺体が帰ってきたケースでは、レンタカーでの搬出が行われた。レンタカーで遺体を運ぶというのは、遺族はもちろん、レンタカー業者にとっても、次にその車を借りる者にとってもショックだろう。人の目が届きにくい仕事であるだけに業者自体の倫理が問われる。だが、人間は堕落する生き物だ。相手がもの言わぬ遺体だけに、いったん気が緩んでしまえば際限なくだらしなくなってしまう。だから社員には徹底的に厳しく教育をする。
・さまざまな事情から、遺体ではなく遺骨にして日本に戻る場合もある。その時はもちろん遺族の納得のいく形で荼毘に付されなければならない。海外だからといってきちんとした形で弔うことができないと、遺族は一生苦しむことになってしまう。
20年以上前の中国の列車事故で、娘が遺骨になって帰ってきた母親は、今も娘の死が信じられず、遺骨が別人なのではないかという考えを捨て切れずにいる。遺体の損傷が激しく、本人が亡くなったのだと娘は現地で荼毘に付された。20年以上前のできごとなのに、母親にとって娘はいまだに死者にならない。「どこかで、『お母さん、助けて、助けて』と言っているような気がする」というのだ。
・「死は怖くないよ」
とラファエルが言う。この仕事を長年しているとだんだん死は怖くなくなるそうだ。
「みんないつかは死ぬ。とても自然なことだ。でも家族は地球のいろいろな場所で待っている。だから私たちは一生懸命送り届ける」
そして言うのだ。
「キリマンジャロで亡くなった人はみんな僕が運んであげるよ」
・「昭和の弔い屋はアクも強かったが、弔いでしか生きていけないような気骨のある人が多かった。昔の葬儀屋は職人気質だったが、それに比べて今は何も知らぬ素人が形ばかりの葬儀をしている。今の葬儀は遺影がなければ誰の葬儀かわからぬ薄っぺらさだ」
・全国的によく知られているのは、死者の枕元に逆さにした屏風を立てる「逆さ屏風」だ。あるいは、湯灌のためのぬるま湯を作る時の「逆さ水」というものもある。通常湯をぬるくするには湯に水を足すが、この時に使うぬるま湯は、水に湯を足して作るものである。年長者の中には、今でも水に湯を足すことを「縁起でもない」と忌み嫌う人もいる。逆さにする儀式はほかにもあげられる。死に装束の左前や、地方によっては「逆さ布団」というしきたりもある。
このさまざまな逆さにするしきたりは、死者の世界は生者の世界と逆さまにできていると信じられていたことから来ているという説や、「死」という悲しいことはもう二度と起こってほしくないという意味を込めて日常ではありえない行為をするのだという説もある。
この非合理で非日常的な儀式をあえて行うことで、遺された者は死者を彼岸へと送り出す心の整理をつけていく。「死」は家族だけでは対処しきれるものではない。今まで生きているのが当然だった家族を別の世界へ送るには、愛着が強すぎるからだ。家族はいつまでも亡き人の死��受け入れがたく、現世にそのまま引きとめておきたいと願う。場合によっては死の国へ一緒に行きたいと願うのである。
・国際霊柩送還という一見グローバルな命題を書き記すつもりでいて、そこに見えてきてしまうのはごくパーソナルな悲しみだった。たとえ大きな事件、事故の犠牲者であっても、帰ってくる時は、たったひとりの息子だったり、娘だったりするものだ。山科の教えてくれた言葉にこんな一節がある。
親を失うと過去を失う。
配偶者を失うと現在を失う。
子を失うと未来を失う。
実感の伴った言葉だと思う。遺族は愛する人を亡くすのと同時に自分の一部も失うのだ。もう二度と取り返しはつかない。
・「形ばかりのお悔やみよりも静かに立ちのぼる線香の煙のほうが、人の心の慰めになることもある。お香やお線香なんて普段はありきたりでなんとも思わないかもしれないね。でも、なんでだろうね…。讃美歌でもなくミサでもなく、日本人の心を焼香の香りが鎮めるってことがあるんだよ」
・「ご遺体に対面した時はまるで合戦場に行った時のような感じです。…アドレナリンがぶわーっと全身を駆け巡って『絶対になんとかする』という気持ちになる。臨戦態勢っていうのかな…。その時、頭は真っ白ですね。言葉という言葉は吹き飛んで、真っ白になる」
私はその時、やっと利幸の心情が腑に落ちたのだ。
彼は戦場にいるのだ。毎日、毎日、死者の出る激戦の地で、必死になって遺族のために戦っている。誰も知ることなく、知ろうともしないであろうこの仕事で、必死になって遺族や亡くなった人を守っている。私は、人知れず孤独に戦っている彼の言葉に泣いた。
・医師はその時、こんなことを言った。
「尊厳死などと言いますが胃ろうを作らないということはつまり餓死させることです。お母さんはお若いですし、体もしっかりしている。餓死するまでは何週間もかかるでしょう。スタッフもご家族もそれを見ているのは非常につらいことだと僕は思います。
…母がこうなるまで、私は疑いようもなく尊厳死に賛成だった。文化人も良識のある医師もみんな尊厳死について積極的に「いいことだ」と勧めている。逆に食べられない人に体が不自由なまま生きていてほしいと望むことは家族のエゴだと批判されていた。
…だが実際に、そこにいる母を前にして、想像していた尊厳死と大きくイメージが違うことに戸惑った。温かい体、なにが起きているかをすべて理解している瞳、ただいてくれることが当たり前の静かな日々。この人が私のたったひとりの母だ。そこに失くしてしまっていいものなど何ひとつなかった。簡単にできることをしないことで、死なせてしまうことなど、まったく想像できなかった。たかだか胃ろうをつけるぐらい何だろう。簡単に命を救えるのにあえて不作為を選択する理由が私にはどうしてもわからなくなっていた。家族は胃ろうを選択し、父が実家で母を看ることになった。
しかしある日、知識人と言われる私の知り合いは、私にこんなことを言った。
「胃ろうをつけたの?お母様かわいそうに。そこまでして生きていたいと思うかしら?」
・確かに文化圏によっては遺体に対する考え方が異なる。たとえば、釈迦が説くように、亡き人に執着するのは苦しみのもとだとして、その感情を手放すべきだ、という考え方もある。だが、人はもともと遺体に執着するものだ、という前提があってこそ、このような教えがあるのだ。我々は亡くなった人の体に「魂」とも呼ぶべき、命の残響を聴いてしまうものなのである。
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海外で亡くなった邦人や、国内で亡くなった外国人をそれぞれの国に還すための国際霊柩と呼ばれる会社を追ったノンフィクションです。
著者にとっては初めて書くノンフィクションだったようで、随所に書きなれてない感満載でしたが、テーマ勝ちの内容でした。
死については、立場を死者(もしくは死にゆく者)の側に立つか、遺族側に立つかで変わります。
例えば、臓器移植については、自分は提供したいが、家族が提供するのは認めたくないとするアンケート結果があります。
葬儀はまさに、死者のためのものではなく、送る側にある儀式です。
上手く別れをやり過ごせるかどうか、悲しみと上手く付き合えるか、「自分なら」をこの本は考えさせられます。
いつか来る、家族との別れをリアルに考えることができる一冊です。
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前職でエンバーミングのお仕事自体は知っていたけど、こんな風にお仕事されている方々がいらっしゃったとは。
現職でも会社としてはこういうお仕事に関わっていると思うのでとても興味深かった。
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異郷の地で亡くなった人は一体どうなるのか--。国境を越えて遺体を故国へ送り届ける仕事が存在する。どんな姿でもいいから一目だけでも最後に会いたいと願う遺族に寄り添い、一刻も早く綺麗な遺体を送り届けたいと奔走する”国際霊柩送還士”。彼らを追い、愛する人を亡くすことの悲しみや、死の在り方を真正面から見つめる感動作。
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おくりびと のように死者をきれいに整え、国際送還する仕事に携わるプロを描書した本。
死と生について考えさせられる名著。
<メモ>
・死ぬために生き、生きるために死ぬ。
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ファンタジックなタイトルとは裏腹に、「国際霊柩送還士」というなんとも厳かな副題の本ですが、これは、海外で亡くなった日本人のご遺体やご遺骨を日本に搬送し、日本で亡くなった外国人を祖国に送り届ける人たちの活躍を綴ったドキュメンタリーでした。
世の中にこのような仕事があったということを初めて知りました。
・この遺体ビジネスを行っているのは「エアハース」という会社。2003年に設立され、本社はなんと羽田空港国際線ターミナルの貨物倉庫の一角。海外からのご遺体やご遺骨は「貨物」扱いで日本に送られてくるので、「エアハーツ」の社員がそれを受け取り、ご遺族のもとに送り届けるというもの。
・これまでスマトラ島沖地震、アフガニスタンでの邦人殺害事件、ミャンマーでのジャーナリスト殺害事件といった重大事件の被害者はもとより、海外旅行や海外勤務中の事故や病気で亡くなった多くの人の日本への送還に携わってきているとのこと。
・社長は木村利恵という女性。社員は2,3人という弱小企業。少ない人数ながら24時間体制で海外から送還されてくるご遺体に対応している。
・一口に海外からのご遺体の送還といっても、国や地域によって、そして死亡した原因によってご遺体の状態は千差万別。そのご遺体を、パスポートの写真を参考にしながら顔を修復し、包帯やガーゼを駆使して五体の整った体にし、化粧によって肌を復活させ、可能な限り生前の状態に戻した後、遺族の元に送り届ける、というのが彼らの仕事。まことに厳しい仕事で、それは「おくり人」の比ではない。
・「突然の悲報で混乱した状態で、全く変わり果てたご遺体を受け取っても、ご遺族はそれを受け入ることはできない。生前の姿に戻すことで、十分に悲しむことができれば、事実を受け入れることが出来る」というのが社長の信念とのこと。
・海外の赴任先で亡くなった男性や、同じく海外で自殺した若者、ニュージーランド地震で亡くなった留学生、日本からフランスに送り届けた女の子、そして東日本大震災における非常事態、最後はあの山本美香さんの受け入れといった多くの活躍の話、今まで全く気がつかなかった尊い仕事が紹介されていました。その一つ一つに感動すると共に、全く頭が下がる思いです。
今週も自分はその羽田空港から大阪に戻ってきましたが、空港は決して華やかなだけではなく、見えないところで極めて大事な、崇高と言ってもよい仕事をしている方がいることを知りました。この本の作者も女性ですが、彼らの現場に立ち会い、この仕事を紹介したことに感謝したいと思います。読むのには少し勇気が必要ですが、ぜひお勧めしたい本です。
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エンジェルフライト 国際霊柩送還士
ノンフィクションの記事小説。
海外で亡くなった日本人をちゃんと遺族の元に返してあげるお仕事をしている人のお話し。
今までなんにも考えなかったけど、確かに海外で亡くなろうが遺族はちゃんと本人に対面してきちんと日本式のお葬式で送ってあげたいと思っているのは当然のこと。海外で荼毘にふされ骨として戻ってきても、本当は違う人の骨なのでは?と故人に対しての想いが残り辛いだけ。
ただ、海外からとなると時間の経過や、また予期せぬ事故により亡くなった場合は、その姿も無残なはず。
そういった方々を元どおり、家を「行ってきます!」と出て行ったときと同じような姿に戻してあげる。
こんなお仕事あったんだ!と、ただ、ただ驚くばかり。。
遺族は対面していつも通りに眠っているのをみたら、これなら友達や親族にきちんと対面して送ってもらえると感謝しかないだろうな。
この本オススメです。
たくさんのこと考えさせられます!
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最初は国際霊柩送還という、興味本意だけで手にとり、ドキュメンレポ的なものだと思っていた。
が、読み終わり、そんな動機を持っていた自分が恥ずかしくなった。
もちろん、ドキュメントもあるのだが、
死する、ということはどうゆうことか考えさせられ本でもあった。
異国の地でさまざまな事由により亡くなり、祖国に帰ってくる。国別関係なしに生しても死しても自分の国に戻ってくることは宗教も関係なく世界共通なことである。
ただ残念なことに死された人は自力で帰ってくることは出来ない。
それを手助けしているのが国際霊柩送還士の人々だ。
彼らは決して送ることだけが仕事ではないのだ。
死を受けとめることができるように最善の努力をする。もはやそれは仕事、と簡単に割り切れるものではない。
決して表だった職ではないけれど、彼ら達のような人々がいるんだ、と畏敬の念である。
断わっておくが、この本はこの職業を知ってもらいたいだけで執筆されたものではない。
常に死とは身近にあるものなんだな、と改めて思った。その身近にある死について考えさせられる本である。しかし決して暗いものではないので、
ぜひ読んでもらいたい。
余談だが、海外旅行に行く時は傷害保険に加入してから行こうと思った。今まで何もせず、海外に出かけてたが、いつなんどき自分が異国で死ぬかわからないし、その送料がどんだけ〜⁉️と思うと恐ろしくなった。。知らないってコワい。
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国際霊柩送還という仕事に携わっている人々の日常を描いたノンフィクション。時には見るに耐えない状態になったご遺体を元どおりに近い形に修復して、一刻も早く家族のもとに届けることに最善を尽くすプロ集団としての国際霊柩送還士たちのハードな日常を熱く語っている。
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空を飛んでゆく銀色の機影。飛行機を見るときに感じるもの。純粋に飛び立つものへの期待感、それが向かう、どこかの国への思い。いつかは行きたい場所への憧憬。
その貨物室に哀しい岐路を辿る遺体もまた収められていることに、思いを馳せる人はいるだろうか。
2001~2010年の外務省の海外邦人援護統計によれば、一年に約400人から多い時で約600人の邦人が海外で亡くなる。その内の200体から250体の遺体を迎えるエアハース・インターナショナル株式会社、その国際霊柩送還士たち。
海外で亡くなった彼らの体は病気、事件、事故、災害など、自然死ではなく、また亡くなってからの日数も経ち、状態の悪い。それらの遺体を修復し、遺族の元へと還す。日本で亡くなった外国人の遺体もまた同様に、彼らの祖国、そこで待つ家族の元へと送り出す。
「故人や遺族の気持ちは誰にも分からない」
しかし、多くの無残な姿、そして遺族の悲嘆を見て、彼らは日々何を思うのか。
「死」が日常から切り離されたようなこの国で、日々死と向き合う送還士の目を通して、死とは、弔いとは何かを問うノンフィクション。
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海外で亡くなった方がどのように日本に帰ってくるか。
いろんな例があって国によってはその遺体が裏のビジネスに巻き込まれることも…。
旅行好きで漠然と(気をつけた上で)外で死んじゃっても本望だと思ってましたが、これを読んでもっとよく考えるようになりました。
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一気に読んでしまいました。
そして、悲しい気持ち、辛い気持ちになりました。
でも、それらの気持ちや思いを包み込むエアハースの方々にこの気持ちは幾分救われました。
身近な人が、あるいは自分が無言の帰宅をすることとなったらどうなるのか。今まで考えたこともなかったですが、大いに考えさせられました。
奇しくも知人がそのようなことになってしまいました。願わくば、エアハース社様の手で帰ってきてほしい。そう思いました。
とても辛い仕事だろうに、途中何度も泣きそうになりました。そして、無事で生きて帰ってくる事の大切さを学びました。
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国際霊柩送還士という仕事があるのか、と興味を持って手に取ってみた。この仕事をベースにしたフィクションかと思ったらノンフィクションで、ドキュメンタリー本になっていた。国内の葬儀(業者)事情と、遺体が海外から輸送されてくるとどうなるのか、どんな仕事なのかがよくわかった。こういう風に仕事をしてくれる人がいるから、遺族は救われる。
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読んでも読んでも涙が出てきてしまって・・
これから海外へ行こうとしている自分にとって、生きているということの奇跡を・大切さを、そして自分の家族のことを、考えさせられる一冊でした。