紙の本
馬場が猪木に勝てない理由
2014/12/02 20:20
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:愚犬転助 - この投稿者のレビュー一覧を見る
これまでのジャイアント馬場本の中で、もっとも秀逸だと思う。ブロレスの謎明かし本としても、読みごたえがある。さすがに著者の「1976年のアントニオ猪木」や「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」ほどの熱量、凄味はない。どこかで見たようなネタを引き出している箇所も多々あるが、冷徹な目でジャイアント馬場を見通している。
タイトルには「1964年」とあるものの、1964年にかかる分量はさほどではない。それよりも、1960年代に絶頂にあったアメリカン・プロレスがどういうものであったかという種明かしに分量が使われている。要は、客を興奮させるレスラーこそが、会場をいっぱいにするというもので、レスラー仲間や興行師から尊敬されるという話。そこに実力云々はない。実力云々が取り沙汰された昔のアメリカのプロレスがいかにつまらなかったかも、明かされる。馬場は、その華やかな時代に生き、学び、大金を稼ぎ、そして頑迷化していった。
このことが、日本ではなかなか理解されなかった。なにしろ、日本にプロレスをつくり出した力道山は、アメリカのプロレスを理解したとは言い難く、彼はプロレスにリアルっぽい装飾を施そうとしつづけた。日本のプロレス・ファンは、そんな土壌の中でプロレス観を形成していく。だからこそ、真剣勝負をうたったUWFが、1980年代に一世を風靡できたのだ、ここに、アントニオ猪木が馬場を超越する根源があり、馬場は日本マットの異端でしかなく、いや老化してのち世界でも異種として存在したことになる。
また、著者 の馬場論、猪木論から進めていくと、猪木の馬場超えは必然だし、レスラーの全盛期は10年もないことになる。馬場は1960年代に全盛期を築き、1970年代には脆弱な巨人化していった。1970年代に全盛期を築いた猪木に、どうあがいても集客から実力から勝ちようがない。その猪木も1980年代から勘違いオジサン化し、手垢のついたギミックをやっ てはファンの怒りを買った。ただ、ファンの失笑が馬場には直接、鋭い形で向かったのに、 ファンの失望は猪木に直接は向かわなかっただけだ。結局、2人とも時代に捨てられたわけだが、それでも馬場と猪木の対立劇は、ファンに長く何かを語らせつづけてきた。その歴史は、猪木対前田の歴史よりはるかに長く、その意味で馬場の頑迷がプロレスを長生きさせたという逆説も成り立つ。
同書の最後の数章は、頑迷なる経営者・馬場正平の物語である。馬場の無策に対して著者は辛辣であり、猪木に対抗すべく、馬場は大金をドブに捨てつづけたことになる。それでも、晩年 の馬場がファンに慕われたくだりは、救いである。
また、冒頭、もっともハッとさせられるのは、読売巨人の投手・馬場の能力である。まだ20歳にもならない馬場が2軍で勝ちまくっている。2年目、3年目では、合計25勝3敗程度と圧倒的な数字である。にもかかわらず、なぜ、読売巨人は馬場を一軍で起用しなかったのか。これは、個人的に長く謎であった。しょせん馬場の能力では一軍は無理だったのかと茫漠と思ってさえいたが、ベテランからの嫉妬が起用を妨げていたと著者は推理する。大きな馬場はそれだけで観客の視線を一身に集め、忘れ去られていくロートル選手を惨めにする。彼が活躍すれば、中堅でさえも安閑とはしていられない。そんな嫉妬社会で馬場に生き残る目はなく、結局、アメリカ・プロレスで華咲くしかなかったことになる。あの時代の野球村、いや巨人の社会がもうちょいまともだったら、馬場は100勝くらいはあげ、プロレスの歴史も また変わったものになったやもしれない。
投稿元:
レビューを見る
ジャイアント馬場が一番プロレスを楽しんだ場所はアメリカのマットだったのかもしれない
そんな事を力道山が日本のプロレス興行の素を作って、今のWWEが全米制覇する前の広くて狭いプロレス興行世界を案内してくれる一冊
全日本プロレスをジャイアント馬場が運営して失敗して、全日が大好きながスタッフがファンを作って盛り上がって、レスラーで全日本プロレスに危機感を持っていたのは天龍源一郎しか居なかったパートも面白かったな
投稿元:
レビューを見る
ジャイアント馬場を題材にしたノンフィクション。馬場よりもむしろバディ・ロジャースにかなりのページが費やされている印象。終盤は馬場に対して批判的観点から書かれている。
投稿元:
レビューを見る
一気読み。馬場の海外武者修行時代のところが圧倒的に面白い。また個人的にはNWA王座奪取の裏事情が暴かれているのは驚いた。
投稿元:
レビューを見る
自他共に認める猪木信者である僕。
そして、そのアントニオ猪木のレーゾンデートルであるのが、"東洋の巨人"こと
ジャイアント馬場。猪木本人だけでなく、猪木信者にとっても目の上のたんこぶ
的な存在であり、まぎれもなく敵。しかし、嫌うにはあまりに雄大過ぎる存在。
それが、ジャイアント馬場というプロレスラーであった。
その昔、新日移籍直後のブルーザー・ブロディをこう形容した作家が居た。
「強くて、デカくて、スピードもスタミナもある。つまり、全盛期の
ジャイアント馬場である。」と。
タイトルにもあるように、馬場の全盛期は1960年代。
その頃の馬場を知らず、全日本プロレスが旗揚げされてからプロレスに入った
我々は、ジャック・ブリスコやハーリー・レイスを破ってNWA王者になった
馬場の姿がようやく鮮明な程度。だから、ジャイアント馬場というプロレスラー
の印象は「巨体なのに上手い」だった気がする。
この作品の中には、"馬場がブロディだった時代"の興味深いエピソードが溢れて
いる。いや、言い換えよう。1964年のジャイアント馬場は、"ブロディも足下に
及ばない大物"であったことが、まざまざと解る。ジャイアント馬場とは、
「アメリカで認められたイチロー以前の世界標準な日本人」。この本を読み終え
た今、猪木信者である僕が素直にそう思える。それだけで凄い気がする。
そして、柳澤健の凄さも思い知った。
馬場の本の中で「アントニオ猪木は既にジャイアント馬場を超えていた」と表現
したり、伝説のセメントマッチと呼ばれる力道山vs木村政彦の試合に対し、
「木村はリアルファイトで力道山に勝てる自信が無かった」と断言していたりする。
こういう表現は何冊も読んできたプロレス関連書籍には無かったモノで、斬新さを
感じると共に胸のすくような気持ちにさせてくれる。この人は何冊でもプロレスを
書くべきだ、と心から思う。
いちばん印象深かったのは、ジャイアント馬場が最も憧れたプロレスラー、
バティ・ロジャースを、全盛期のアントニオ猪木のようなレスラーと表現したこと。
あれだけ猪木を無視した馬場の一番好きなレスラー像とは、アントニオ猪木であっ
たのかもしれない。それが事実だとするのなら、僕の人生もかなり幸福だ。
投稿元:
レビューを見る
「1976年のアントニオ猪木」「1985年のクラッシュ・ギャルズ」「1993年の女子プロレス」と筆者は立て続けにプロレスという予定調和なエンターテインメントの中にただ一時、選手たちの自我が狂ったよう噴出する瞬間を見出し、プロレスラーという人間が神々しい光を放つことを物語ってきました。「1964年のジャイアント馬場」は全くその逆で、人間界に現れた馬場正平という神様が、周りの人間の欲望に翻弄されながら、ただひたすら定常状態を保とうと務める人生を描いています。筆者は、馬場プロレスに愛を感じていたのかな?でも、ジャイアント馬場史としてでなくてもバディ・ロジャース伝として、あるいはNWA興亡史として、「なるほど…」はいっぱいありました。
投稿元:
レビューを見る
ジャイアント馬場という人物の人生を知りたいと、漠然と思っていたので、この一冊は、興味を持って読めました。
全体で587ページに及び大書。力道山時代から、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の時代へ、移り変わる話は、日本内のプロレス好きには有名な話です。
ただし、アメリカで、ジャイアント馬場がどのような扱いを受けてきたのか?という点は、全く知りませんでした。また、全盛期を越えた後、どんな存在だったのか。日本テレビの放映権料が、全日本プロレスという団体と、どんな関係であったのか。全体のストーリーの中で、興味深い人生を送った男だったことを実感させられます。
あの巨大さは、病気の影響もあったんですね、やはり。
プロレスなんて、八百長だとか、キング・オブ・スポーツだとか、いろいろ言いますが、エンターテイメントとしては、立派なものだったはず。今は、存在感が薄くなったのは、ジャイアント馬場のような存在がいないためか、他のスポーツが広がったからなのか。
いろいろと考えさせられつつ、「ジャイアント馬場」史を知ることが出来る、素敵な一冊です。
投稿元:
レビューを見る
待ちに待った柳澤健氏のプロレスノンフィクション最新作。今回はジャイアント馬場について。もうこれだけで最高である。私がプロレスを見るようになった頃には馬場は既に薄い胸板に細い手、スローなプロレスラーだったが、それもそのはず、馬場の全盛期は60年代前半に訪れていた。特に、61年から2度に渡り行われた米国武者始業で、力道山でも成しえなかったプロレスの本場でのメインイベンターとなり、伝説の三試合連続の異なる世界選手権を戦うこととなった。
ここから力道山が死に、日本プロレスのエースとなり、猪木を従えてのBI砲での超絶人気までが馬場の全盛期であり、これ以降、日本プロレスの崩壊と全日本プロレスの立ち上げ、それに対抗した猪木の革新的な新日本プロレスの人気、ジャンボ鶴田、長州力、そして天龍革命などの様々な事象はあったが、それらはすべて心優しきクレバーな馬場にとっては時代遅れのプロレスを選手とファンとテレビ局の板ばさみの苦労の耐えない選手権経営者の後半生となったのである。
この本、全編を通じておもしろいが、特に50年代60年代のアメリカンプロレスの詳細が余すところなく記述されており、非常に興味深い。特にバディロジャースの人気と業界内での不人気、それに反するようにフレッドブラッシーのリング上での悪行とリング下のレスラーに対する善行などなど、これを読まなければさすがにこんな昔のこと、知らないままで終わっていた事実だらけ、柳澤氏さすがである。
本書は当然、名著「1976年のアントニオ猪木」の別視点での日本プロレス史の金字塔的作品である。いまにつながるタフネスプロレスの原型をここに見るべし、である。
投稿元:
レビューを見る
近年希にみる集中力で読み切ってしまった。
昭和のプロレスファン必見、G馬場渡米時の詳細が書かれていて貴重。
アメリカ参戦中の馬場age、全日経営者としてのsageが
とても分かり易く、猪木 vs 馬場 の構図が良く描かれている。
投稿元:
レビューを見る
著者は『1976年のアントニオ猪木』や『1985年のクラッシュギャルズ』でおなじみの柳澤健。
今までプロレス界に力道山史観、猪木史観というものがあったが、これはさしずめ馬場史観で書かれた一冊。
そして、馬場史観で見ると、力道山の晩年には既に馬場が全米有数のドル箱レスラーになってて、力道山が気を使う存在だったらしい。
わずかデビュー数年で全米のトップ戦線に食い込むってのもすごいけど。
銭の取れる巨体だったというのはもちろんだけど、何よりジャイアンツに投手として入ったくらい、アスリートとしても一流だったからこそ、日米でトップに立つことができたというのが著者の見方。
その後はプロレス史の通りなので割愛。
もちろん、完全中立ってことはありえないし、事実誤認もあるのかもしれないけど、著者の今までの実績もあり、説得力があった。
以下、例によって気になった点を箇条書きで(敬称略)。
・巨人軍で2軍で優秀な成績だったのに1軍に上げてもらえなかったのは、1軍選手のジェラシーによるものという見方。
・力道山が木村政彦に勝ったのは、ひとえにコンディションの違いという見方。
力道山は自分の強さに自信を持っていた。でなければ、力道山側から仕掛けるはずがない。
・馬場が評価する最高のレスラーはバディ・ロジャース。また、彼によって全米でメインイベンターとなった。
ただし人間的には最悪。
・ブルーノ・サンマルチノとの友情物語は、サンマルチノが日本に来るようになって以降の話。
・カール・ゴッチ、ビル・ミラーのバディ・ロジャース襲撃は、黒幕いない説。
グレート・アントニオ同様、私怨でやったという見方。
・力道山の死後、アメリカでグレート東郷、フレッド・アトキンスの破格の条件をふって日本に戻ってきたのは、遠藤の引止め工作もさることながら、プロモーターでもあった山口組の田岡組長の電話があったから。
・カブキ曰く「馬場は輪島の人気に嫉妬してた。そのため実況で『練習してない』と輪島を悪く言った」
・90年代初頭の全日のマッチメークは、かなり週プロの市瀬、山本の意見が入ってた。
そのおかげで客が入り、日テレへの借金を返すことができた。
印象に残ったのは、著者の「客を呼ぶレスラーこそ正義」「ナルシストキャラはアメリカの歴史の焼き直しであり、WASPのパロディ」という分析。
投稿元:
レビューを見る
ジャイアント馬場評伝。
その記述がどこまで真実かは知るよしがないが、私の
持っているジャイアント馬場像とすりあわせながら読む
のはとても楽しい作業だった。
一番びっくりしたのは投手としても一流だったのでは
ないかという件。確かに二軍で2年連続最優秀投手に輝き
ながら一軍でまともにチャンスを与えられていないと
いうのは、単に馬場に投手としての才能が無かったとは
考えにくいな。
プロレス選手として一流であり、ブッカーを兼任する
プロモーターとしては才能が無く、ファンと触れ合える
ようになって「ジャイアント馬場」から「馬場さん」に
なっていったあたりはすんなりと入ってきた。当時
半信半疑ながら週プロを毎週買っていた身としては少々
複雑ではあったけれど。
投稿元:
レビューを見る
プロレス中心のフリーライターが、ジャイアント馬場の実像を知りたいというリクエストに応えて書いた本。タイトルにある年は、馬場がアメリカで修行・遠征していた時代であり、そこに主題を置いた伝記となっている。
投稿元:
レビューを見る
24頁:二年目……一二勝一敗で二軍の最優秀投手になった。
27頁:前年二軍ながら一二勝一敗で最優秀投手,この年も一三勝二敗という好成績を上げ,二年連続で二軍最優秀投手に選ばれている。
37頁:三年連続二軍最優秀投手に選ばれた。
・この第一章「白球の青春」は,近著,広尾 晃『巨人軍の巨人 馬場正平』を読んで,巨人軍の馬場正平像を修正する必要がある。
・連載が元になっているためか,あるいは「品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけ」を対象としているためか,繰り返しが多い。また著者が気に入っているためか,立花隆がいう「上記の人だけが熱中できる低劣がゲーム」ということばに読者は三度も四度もつきあわされる。
投稿元:
レビューを見る
「1976年のアントニオ猪木」を著した柳澤氏による馬場本。1960~70年のプロレスを理解するには、猪木と馬場の両方を読み解かねばならぬ。著者はプロレス村の外の人。業界の内幕やビジネスとしての構造が、さらりと書かれている。
それにしても、馬場のドロップキック、見たかったなぁ。
投稿元:
レビューを見る
ジャイアント馬場の数奇な運命を辿るうちに、彼の大らかで優しい人柄に魅了されていく。全盛期のアメリカンプロレスの最前線で活躍した馬場は紛れもない世界のトップアスリートだった。現役後半のユーモラスな動きのイメージか強いが、海外で確かな実績を残した馬場の真価に触れ、いかに大きな存在だったか気づかされる。あとがきを読み終わった後に現れる、馬場のあるシーンを捉えたスナップ写真。馬場の人生を辿る旅で誰よりも彼に魅了されたのは著者の柳澤氏だったことが伝わってくる、本書の全てが凝縮されたような写真だった。