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ネイティブ・アメリカンの土地を収奪した農民が、借金のカタに東部の銀行資本にその土地を奪われ、メキシコ人の土地を収奪したカリフォルニアの大地主から搾取されるというお話。
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圧倒的強者にいいように使われている大多数の弱者。
生きるため、家族を養うため弱者たちは過酷な境遇の前に泣きねいるしかない。
そんな状況の中、ジョード家を支えてるのは「家族のつながり、隣人との助け合い」しかない。
ジョード家だけでない、この時代のアメリカを厳しい現実を描いた作品。
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最高に面白い物語でした。
次々と理不尽なことが起こる話の中に、かならず救いが混ぜ込まれていることでなんとか最後まで希望を持って読み進められました。
みんながんばってきたんだ。そう強く思えた作品です。
目指す「カリフォルニアの定住地」というものが作中にでてくるのか?と問われれば、答えはノーです。
でてきません。
ただ、そのことに作品を読んだあと落胆するかというと決してそういうことはありませんでした。
生きていくことに大切なのは気持ちでは?助け合う気持ちというか、希望があると思いながら進む気持ち。そういうことを感じました。
今まで、本から得るものといえば主に「共感」でしたが、今回は「愛情」と「この先の指標」をもらえたような気がします。
スタインベックかっこいいわ。
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面白かった。古典的名作と言われるようになるくらい昔に発表された小説だが、現代の問題に通じるものがあって胸が痛かった。派遣のスポット雇用で働いていた時、人間らしい扱いを受けているとは感じなかったが、そこは程度の差こそあれ昔も今も変わらないのかもしれない。社会派な側面と宗教的な側面がある小説だった。ジョード一家は人間らしく扱われないまま絶望に打ちひしがれることになるが、命を繋いでいこうとする結末には、思わず(それまで人間臭くていらついてしまっていた)ローザシャーンへの評価について手のひらを返した。
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ラストに向かって読み進めていくにつれて、苦しくなってきた。
ここに描かれる怒りや恐怖は、まさに同時代的なことであろう。
食えなくなるという恐怖は、人類史を動かしてきた原動力であると同時に、歴史教科書の中だけのことではないということを改めて知らしめてくれた。
どんなに文明や技術が高度になろうとも、生身の部分はそうは変わらない。結局はその部分をどう折り合いをつけるか。
歴史を超克するために我々が解決しないといけないことなのだろう。
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衝撃のラストシーン。全てを失ったものが、無意味かもしれないのに、自らの血肉を差し出す。
救いようのない物語だからこそ、最高の救いを描くことができたのか。
女の視点から見て、男が炭鉱のカナリア的な役割を担わされているのが、印象的だ。
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アメリカの作家ジョン・スタインベックの代表作。
1930年代のアメリカ。農業が資本主義による合理化が進んだことと、行き過ぎた農作による旱魃のために、昔ながらの耕作地から追い出される貧農家族たち。
土地はなく、収穫の仕事もない。あったとしても人ひとり生きていくのにも苦労するような低賃金。彼らは希望を求めてオクラホマ州からはるばるカリフォルニアを目指す。しかしカリフォルニアも既に何十万人とも言われる貧民たちが流れ込んでおり、状況は変わらなかった。
貧しいもの同士、協力して助け合うコミュニティもできつつあるが、貧民の結束を恐れる資本家と政府によって「アカ」呼ばわりされ、潰されていく。コミュニティもまた、資本家や政府の妨害にあって瓦解し始める。
それでも、誇りを持って生きようとするジョード一家の物語。
ずいぶん昔に読んだ記憶があるのだが、その時には時代背景等に理解が無さすぎて、読み進めるのがやっとだった。
新訳が出ているので新訳で再読したが、前回の記憶がまるっきり飛んでしまっているので、ほぼ初見と言って良い感じだった。
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昨今の人権尊重、人手不足の世界に生きていると見えにくくなるが、ちょっと需給のバランスが崩れれば、資本主義の下では人間が一番安いということ。
資本側から見れば「いかに安く使い捨てるか?」だし労働者側から見れば「いかに使い捨てにされないようにたち振る舞うか?」がこの社会の根底原理にあること。
平和ぼけで忘れないようにしたい。
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資本主義の本質が描かれている。
広大な畑を所有していても管理しきれず、ただ眠らせているだけの資本家。
子どもたちが飢餓で死んでいくのに、畑をもてずただ眠っているだけの畑を眺めながら横たわる労働者。
岸田政権下で、人的資本経営が掲げられ、人間も財務上で数値化されるであろう今後、より数値の高い人材とそうではない人材の貧富の差は増していき、富める者はもっともらしい理由をみつけ、貧しい者はより貧しくなるであろうことが予想される。
その先に待つのは、こうした資本主義原初の労働者階級の怒りかもしれない。
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「祖先が開拓した故郷の土地を捨て苦難と困窮の旅のすえ、約束の地カリフォルニアへとたどり着いたジョード一家。そこで迎えたのは、美しく豊かな果樹園や綿畑と、敵意にさらされながら低賃金のわずかな仕事を奪いあう過酷な日々だった…。歴史の荒波のなかで資本主義に翻弄される人びとの苦境を浮き彫りにし、時代を越えてなお世界じゅうで衰えぬ評価を受けつづける不朽の名作。ピュリッツァー賞受賞。映画化原作。」
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百年前とあまり変わる所のない労働環境が存在している、ということはどういうことなのだろうか。明らかに豊かに、便利に世の中はなっているのに、搾取されている人の現状は変わらない。派遣労働者で賃金が高くなってくると、今度は技能実習生や無知な人々を使って、搾取が続けられている。勿論、ちゃんとした賃金を払っている会社がほとんど(と思いたい)だと思うが、奴隷のような扱いをしている非人道的な会社があるのも事実だ。最初は同情的だった移住先の人々も、自分達の仕事や生活が脅かされると知ると、手のひらを返すように攻撃的な態度を取っていく。人間はこんなにも酷いことを簡単に出来るのかと思う反面、その感情を理解出来なくもない、と思ってしまう。どちらにも言い分があり、どちらも正しい気がしてしまう。はっきりとした悪者が見えない分、悲しみを覚える。ケイシーが死ぬ場面でさえ、劇的なシーンではない。あまりにもあっさりとケイシーや祖父母は死に、それでも生きている家族達は生活をしていかなければならない。生きる為に仕事をして稼がねばならないが、そもそも仕事はない。あったとしても、生活出来ないレベルの低賃金しか払われない。まさに負のループ。ローザシャーンの赤子は死産で、最後まで希望が見えないと思っていたが、子供だった彼女が子を産むことで一時とはいえ母になり、飢えに苦しむ男を前に躊躇いもなく自らの母乳を差し出す。最後の微笑みと、洪水にも負けずに他愛無い喧嘩をする末の子供達。少しだけ、そこに希望を見出せた。