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著者のテイストが活きている作品。描かれていることが切実な人にとってどう映るかはわからない。ただ、大変なのだが生々しく引き受ける様は新しい感触の純文学だと思う。
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オリジンなネイティブなプリミティブなる、つまりこれぞ本当の意味の純愛小説だ。糞尿と角質と喀痰の垂れ流しは、観念や倫理や常識の喜ばしき喪失であり、巨大化はそうして構築されたただただ純なる愛情と信頼である。
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目を背けたくなるような表現や読んでて辛くなる展開があるにも関わらず最後まで目を離せない不思議な話。大切な人が苦しみ、それをなんとかしようとするけど、なんともならない物語に、自分にも今後同じようなことが起こるのではないかという不安が合わさって、変な話だけど妙に共感してしまう。
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アメトークの読書芸人、光浦靖子さんが随分と前に紹介していたこの本。奇才・吉村萬壱先生。今年になって2冊目の著作を読了。
何が良いというわけではないのだが、唸るようにハマってしまうこのクサヤ的な臭いと味。別にどうしてもクサヤが食べたいわけではないのだが、そこにあればつい手が伸びる。そして誰もが臭いで躊躇し、手を出したがらないものを「え?食べれないの?」と言ってむしゃむしゃやる感じ。まぁそんな環境に置かれたことは1度もない。
好き嫌いがはっきりするであろう物語。萬壱先生の実話なのでは?と思ってしまう節も見え隠れしている。とにかく大きくなって糞便を垂れ流す妻の介護が凄まじい。もし自分だったら?なんて考えても仕方がないけど頭をうっすら過る。終わり方が腑に落ちないのだが、それまでの妻との思いで語りでは胸に来るものがあった。これぞ純文学か。
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北大路公子さんの書評から手に取りました。
辿らなくていい道を大回りで辿りながら、互いの結びつきを強める夫婦の物語。
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何らかの極限状態を書きたいんだろうか。
『クチュクチュバーン』では異物の挿入による世界的な混乱だったけど、こちら『臣女』では主人公の妻の「理由不明な」巨大化。
主人公は徹底して一般人。なぜ巨大化するのか疑問に思いつつ、抗いすらしない。ただただ、介護を続ける。ここでの極限状態は、巨大化の様であったり食事内容であったり、糞便の処理であったり。
この設定で、読み終えた後に切なさを覚えるとは思わんかった。
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夫の不倫を機に徐々に巨大化する妻。
世間に隠しながらの壮絶な「お世話」。凄まじい小説だった。
かきまぜた汚物の向こうの排水口みたいな愛。
それとは別に、「とにかくまず病院行くべきでは?」とは思ったw
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図書館で目について、パラパラ読みで気になって借りた。
どんどん大きくなって人間らしさを失っていく妻。
どうなっていくんだろうと続きが気になって先を読み進めたけど…結局何が言いたかったのかよくわからなかった。
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北大路公子さんのエッセイから。日々巨大化する妻を介護する夫の話。生きることは食べて出すことだなあ。出す描写が多くてなんだか本から匂いがわきたつような感じ。あの介護は純愛なのか、不倫の罰なのか。巨大化しすぎて臭いがヤバすぎて家を出るはめになった石井夫婦の行き着く先とは。ちょっと何読んでるか分からなかった。
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すごく奇妙な話だったけれど、すごく良い文章で、作者の力量に驚かされる。
主人公の複雑な引力によって導かれる運命を、その難解さを維持したまま描き切れていた。
読了後はなんとも言われぬ気持ちになる。
なんとも言われぬ気持ちや悩みをここまでの精度で描くことのできる物語の設計や文章の的確さに引き込まれていった。とても好きな本になった。
それから、おそらくだけれど、この作者はすごく変態なんだろうなと感じた。なんだか、良い意味で本能的で純粋な変態性(加えて人間性)が滲み出ている。
好きと増悪は共存しないが愛と増悪は共存する。そんな言葉を思い出した。敦子に言った愛してるは愛ではなく好きだったのではないかと思う。愛してるなんて言葉は愛してるという気持ちを表現するのに値しないほど大きく深いものだ。
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妻がどんどん巨大化していく。
骨を軋ませて、呻き声をあげ、どんどん大きくなった体。
着られる服はなく、近所の目を気にして家から外に出すわけにもいかず……痛みを伴う成長に耐えるため家の中で暴れ回る。
苦痛に耐えグロテスクに巨大化する過程で、たまたま数時間だけ妻の言葉が明瞭になり、均整のとれた美しい姿になる瞬間がある。そんな巨大で美しい妻を抱きしめる主人公・私。
何よりも大変なのは食事と排泄だった。トイレの個室に体がおさまるわけがなく……。
ある日、主人公はストレスに耐えきれなくなり、山に登り、服を脱ぎ捨てて……。
———感想———
めちゃめちゃ面白い。圧巻。
「この作家(吉村萬壱)さんの作品全部読みたい!」と思わせられるレベルの快作だった。
SF的な着想からショートショートやネタの延長として読んでいたが、途中で間違いに気がついた。どこまでも「妻が巨大化」したことのリアリティを追求し、それを受けての自分の罪と妻への本当の愛に目覚める純愛ものだった。
『主人公の気づきと成長』は物語を書く上で必要不可欠なポイントで、確かにこの物語にもそれがあるのに、実生活は堕ちて堕ちて堕ちていく。
「この人なら、そうなるしかない」と納得させられるほど退廃的な主人公の人物設定がめちゃめちゃ印象的だった。他者との関わりが下手で、自分のことをあまりにも誰かに語らなさすぎる危険性を示しているようにも思えた。自分ならこんな状況になったら、すぐに近所の人や医者や自治体に頼る。
そして圧倒的な筆力。
主人公は常勤講師から非常勤になり、書いている小説もうまくいかず、破壊的な性格。ときにえげつない描写や考え方も垣間見えるが、人間の浅ましさのようなものの表現がめちゃめちゃ上手い。
全くこの物語がどこに着地するかわからないまま読んでいたが、めちゃめちゃ納得感があるラストだった。
巨大化した妻との最後の交わり、お茶を飲むシーン、家と町からの脱出、山登りと島への遠泳。どのシーンも美しい。糞まみれで痰まみれでめちゃめちゃ汚くて、美しい。
「私たちはきっと間違えたのだ。いつもいつも、選択を間違えてしまうのだ。我儘でチンケな保身の心がきまって判断力を鈍らせ、悪い結果を産んでしまう。捨て身になれない、自分のことしか頭にないのだ」